大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

十二月八日と八月十五日

2015年07月13日 | 読書
十二月八日と八月十五日 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋


「十二月八日」とは、昭和16年12月8日の対米英戦争の火蓋を切った日です。
「八月十五日」とは、その戦争が惨憺たる敗北のうちに終わった昭和20年8月15日のことです。
著者の半藤一利氏は、近代史の歴史作家として著名な人ですがなぜ戦後70年のこの年に、あらためてこのような本を書いたのでしょうか?
その興味に惹かれて購入しました。

半藤氏はこう語っています。
「流行りの都合に合わせた“歴史修正”はすべきことではありません。
厳然たる“事実”がそこにあるからです」
そしてこの二日間のみの“事実”についてを、多くの人びとの日記やら回想やらで克明に描き出していきます。

名前を聞けば誰でも知っているような立派な文化人までもが諸手を挙げて戦争に賛成したのはなぜでしょうか。
「…たしかに戦争はある日突然、天から降ってくるものではありません。
長い間にはさまざまな事件や小規模の紛争があり、政治・軍事の指導者たちのそれらにたいする“ごまかし”や“なしくずし”があって、危機が徐々に拡大していき、時代の空気はもういつどこで何があってもおかしくない状況下にあった」
開戦の日の出来事や人々の心の動きを、午前6時から午後10時まで時系列に追っていきます。
12月8日のその日、日本人のだれもが一種の爽快感といった、頭の上の重しがとれたような喜びを感じたといいます。
敗戦という結果を知るいま、その恐ろしさが蘇ってきます。

終戦の日の出来事も午前6時から午後9時までを時系列で追っています。
初めての敗戦に日本中は不安の渦に巻き込まれますが、他方では戦争が終わったことに国民は喜びと開放感で全身をよぎらせていました。
「…夕闇が迫って点々と、灯りがともりはじめる。
電灯や窓を覆っていた黒い布はすべて取り払われた。
ローソクの火であってもよかった。
もうその明かりが爆撃の目標にならないのである。
長く苦闘に満ちた暗い時代のなかで、日本人がひとしく待ちのぞんでいたのは、つまりその赤い暖かい光であった」
国民のだれもが気息奄々でした。
日本本土の主要な各都市は焦土となり、もはや民草の住むところが戦場となっていました。
原子爆弾とはいわず当時は新型爆弾といわれていましたが、その爆弾によって広島・長崎の二つの都市が吹っ飛んだらしい、とうこともおぼろげながら知っていました。
しかもそこに中立条約を結んでいたソ連が宣戦布告をしてきたのです。

半藤氏は語ります。
「…歴史は決して断絶するものではなく、また歴史をつくる人間の行動はつねに意味を持って連鎖していくものです」
そして最後にこうまとめてありました。
「わたしも日本と日本人を愛している。
この美しい国土を愛している。
であるから、いっそう強く思う、この敗戦直後の声に、日本人はもういっぺん耳を傾けなければならないのではないか。
日本人よ、いつまでも平和で、穏やかで、謙虚な民族であれ」