クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

昭和51年には羽生で何があった?―子ども学芸員―

2014年08月26日 | 子どもの部屋
昭和51年の羽生の主な出来事は以下の通り。

 3月、新田土地区画整理事業完了
 4月、埼玉県立羽生第一高等学校が開校

羽生第一高校は羽生市下岩瀬にある。
近くを国道122号線が通り、
南一帯には小松工業団地が広がっているが、
開校当時は田んぼの中に突如校舎が現れたような景観だった。

入学式当時はまだ体育館ができておらず、
羽生北小学校で式が執り行われた。
当時教員を務めていたT先生によると、
その入学式は校歌にあるとおり、
まさに「求めて強き風に立ち 築く未来の朝を呼ぶ」だったと語る。

ちなみに、校歌の制定は昭和52年のこと。
作詞は羽生出身の詩人“宮澤章二”が手がけている。
T先生は多くの学校に赴任したが、
羽生第一高校の入学式が最も印象深く記憶に残っているという。

それは第一期生の生徒たちも同様かもしれない。
先輩もいない学校で初めての生徒になるというのは、
どのような気分だったのだろう。
不安もあるが、自分たちで学校を作り上げていくという感覚だろうか。
第一期生になるには、その年にちょうど開校しなければならず、
1年でもずれたら叶わないわけだから、貴重な体験と言える。

ちなみに、昭和51年には秋本治氏の「こち亀」の連載が開始。
また、「徹子の部屋」も放送が開始されている。
「日清焼そばU.F.O.」や「白い恋人」、
「どん兵衛きつねうどん」や「チップスター」が発売されたのもこの年だ。
いわば、広義の意味で羽生第一高校と同級生と言える。
羽一の人なら親近感がわくかもしれない。
コメント
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