昭和49年の羽生市内の主な出来事は以下のとおり。
1月、国道122号線羽生バイパス全面開通
4月、市消防庁舎完成
11月、新市庁舎完成
昭和49年以前、国道122号線は羽生の町中を通っていた。
現在のプラザ通りを含む道路がそれだ。
あの道が国道でトラックがひっきりなしに走っていたのだから、
自ずと渋滞になっていたことは言うまでもない。
歩行者すれすれに車が通っていたという。
この年は、羽生市役所の新庁舎が完成している。
現在の場所に建つ庁舎だが、これ以前は中央2丁目にあった。
現在の中央公民館である。
羽生城下町の方にあったということだ。
昭和54年生まれのぼくは旧庁舎を見たことがない。
聞いた話によると、駐車場が少なくて混雑することもあったそうだ。
古写真を見ても、庁舎の周囲には住宅が密集している。
車も何台も置けなかっただろう。
昭和49年に新庁舎が完成し、現在に至っている。
ちなみに、新庁舎は白い建物だったが、耐震工事により茶色く変身した。
これも歴史の1ページだろう。
帰省した友人は新庁舎を見て驚いたらしい。
「チョコケーキみたいになってる!」と、その衝撃をメールで送っていた。
1月、国道122号線羽生バイパス全面開通
4月、市消防庁舎完成
11月、新市庁舎完成
昭和49年以前、国道122号線は羽生の町中を通っていた。
現在のプラザ通りを含む道路がそれだ。
あの道が国道でトラックがひっきりなしに走っていたのだから、
自ずと渋滞になっていたことは言うまでもない。
歩行者すれすれに車が通っていたという。
この年は、羽生市役所の新庁舎が完成している。
現在の場所に建つ庁舎だが、これ以前は中央2丁目にあった。
現在の中央公民館である。
羽生城下町の方にあったということだ。
昭和54年生まれのぼくは旧庁舎を見たことがない。
聞いた話によると、駐車場が少なくて混雑することもあったそうだ。
古写真を見ても、庁舎の周囲には住宅が密集している。
車も何台も置けなかっただろう。
昭和49年に新庁舎が完成し、現在に至っている。
ちなみに、新庁舎は白い建物だったが、耐震工事により茶色く変身した。
これも歴史の1ページだろう。
帰省した友人は新庁舎を見て驚いたらしい。
「チョコケーキみたいになってる!」と、その衝撃をメールで送っていた。