クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

県内3番目に誕生した女性校長が羽生にいた? ―丸木ちか―

2014年08月09日 | ふるさと人物部屋
縁あって、学校の「校長室」に入る機会がある。
校長室に共通しているのは、歴代校長の写真が飾られていることだ。
厳しそうな表情の先生もいれば、
柔和な顔をされている先生もいる。

男性校長が多い。
女性校長は皆無ではないが、
古い時代になると男性校長の写真が並んでいる。

そんな中、羽生市立新郷第二小学校は異なっている。
初代校長が女性なのだ。
“丸木ちか”という。
実は、埼玉県内で3人目に誕生した女性校長だった。

生まれは鴻茎村牛重(現埼玉県加須市)。
明治39年12月13日にこの世に生を受けた。
旧姓を坂巻という。
丸木姓に変わったのは、昭和5年に嫁いでからだ。
羽生の丸木家に嫁ぎ、「丸木ちか」となる。

話は前後するが、大正14年に埼玉県女子師範学校を卒業すると、
種足尋常高等小学校や鴻茎などの訓導として勤務した。
その中には、新郷尋常高等小学校があった。
実は、嫁ぎ先も新郷であり、羽生とは縁があったのだろう。

昭和22年、北埼玉郡地方事務所の初の女性視学委員に任命された。
女性教員の相談相手となり、
指導する立場から教育に尽力したという。
昭和29年に、羽生市立新郷第二小学校の校長に就任。
ゆえに、同校の歴代校長の写真には、
最初に丸木ちか氏が飾られている。

ちか氏の写真を見ると、知的な風貌をしている。
きっといい先生だったのだろう。
優しさと厳しさの両方が滲み出ている。
子どもから大人まで、人望の厚い先生だったのではないだろうか。

丸木ちか氏は、昭和41年に同校校長を退職。
それから約20年後の平成2年3月19日に、
教育界に献身した人生に幕を下ろした。
享年83。

亡くなってから、さほど長い歳月が流れているわけではない。
だから、丸木ちか氏を知っている人は多いだろう。
昭和54年生まれのぼくも、どこかで会っているかもしれない。

ちなみに、丸木ちか氏が“新二”の校長先生になった昭和29年は、
羽生が市制施行した記念年でもある。
校長先生に就任してから60年ということだ。
存命ならば軽く100歳を越えている。
60周年にあたり、天国で感慨深い想いに駆られているだろうか。

なお、“新二”の校歌は、丸木ちか氏が作詞している。
最後に同校の校歌を引用し、この稿を締めたい。

 1.学びの庭に すずかけが
   高くそびえる 空の下
   新郷二小 よい学校
   正しく若い芽 伸ばそうよ
   みんな手を取り 伸ばそうよ
   明るい学校 楽しいな

 2.小鳥も歌う 庭に出て
   富士のお山を 遠く見る
   新郷二小 よい学校
   きれいな心を みがこうよ
   みんな手を取り みがこうよ
   明るい学校 楽しいな

 3.大きな望み 胸に満ち
   みんなにこにこ なかよしの
   新郷二小 よい学校
   丈夫なからだを きたえよう
   みんな手を取り きたえよう
   明るい学校 楽しいな
 (「羽生市立新郷第二小学校 校歌」作詞:丸木ちか 作曲:山崎八郎)
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