クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

昭和50年には羽生で何があった? ―子ども学芸員―

2014年08月15日 | 子どもの部屋
 3月、城沼下水路工事完了
 4月、公共下水道事業に着手
 6月、日本精工羽生工場が操業開始
 11月、あだたら高原の「市立少年自然の家」が完成。

かつて羽生っ子が親しんでいた“あだたら高原少年自然の家”は、
昭和50年に完成されたものだった。
羽生っ子のぼくは小学生時代に林間学校で、
中学生のときにはスキー学校で利用した。

布団のたたみ方説明書のあった二段ベッドや、決して広くはない浴室、
カレーを食べた食堂など、もはや全てが懐かしい。
少年自然の家は山の中に建っていて、
肝試しは暗い林を通ってゴールまで行くというものだった。
小学生の間で囁かれる七不思議的なホラー話を聞いた気もするが、
何かを見たとか体験したなどということは結局耳にしなかった。

都合3回しか利用しなかった少年自然の家だが、思い入れは強い。
きっと、この家を利用した多くの羽生っ子も同じだろう。

長く親しまれてきた少年自然の家だったが、現在はない。
数年前、あだたら高原少年自然の家にかかる展示を羽生市立郷土資料館で開催した。
展示室内に設置されたメッセージボードには、
たくさんの感謝と熱い想いが書き記されており、
いまでも多くの羽生っ子の心の中には、少年自然の家が生きているのだろう。

余談だが、ツレがコンビニでウノを買ってきた。
10年以上ぶりにウノをやったのだが、
あだたら高原少年自然の家のことがふと思い浮かぶ。
林間学校とスキー学校で同級生たちと盛り上がったからだろう。
罰ゲームにくらったシッペの音とともに、
あだたら高原少年自然の家がかすんでいた。
コメント
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