リスボア・ホテルのカジノ、葡京娯楽場はさすがに客でにぎわっていた。大小ばかりでなく、どの卓にも人が群がっている。
私は待つのに飽き、賭けはじめた。
10パタカずつ程度ならいいだろうと始めたが、ひとたび場に加わってしまうと、それはいつしか、20パタカになり、30パタカになり、50パタカになっていった。負けがこむにつれて賭ける額が大きくなり、金のなくなるスピードを早めた。
1,500パタカを綺麗に使い果たしてしまい、さらに300ドルを両替した時、底のない沼へ足を踏み入れてしまったような気持ちがした。
このまま博打をやっていけば、本当に行くところまで行ってしまうかもしれない。金を失い、これ以上前に進めなくなるかもしれない。ロンドンは無論のこと、デリーにも辿り着けず、いや、東京に帰ることすらできなくなるかもしれない。
これは、沢木耕太郎著「深夜特急」の一節。
我々、熊猫と師はホテル・リスボアの雰囲気にすっかり飲まれ、おどおどしながら、大小やポーカー、或いはブラックジャックのテーブルをふらふらしていた。
まず、リスボアのカジノに入るときから我々はダメダメだった。
何も荷物を持ち込んではいけないのに、小さなバッグを持ち込もうとして、ガードマンに止められた。
そして、ふらふらして数時間を過ごしたにもかかわらず、我々は1パタカも賭けずにリスボアを後にしたのだった。
その日、マカオに着いた我々は、その足ですぐさま皇宮飯店という宿へ向かった。香港で出会ったバックパッカーから、「マカオの宿は皇宮飯店がいい」と教わっていたのだ。
バックパッカー御用達の宿だから、ボロいことは予測できたが、そのボロさは想定外だった。
なにしろ、ベッドのシーツは何年も洗われたことがなく、湿ってどす黒い鼠色をしていた。ベッドのスプリングも壊れていて、身を沈めると、どこまでも体が沈んでいくようだった。
ツインのベッドになっており、どっちも五十歩百歩だったが、微かにベッドのスプリングの効きに違いがあり、その微妙にいい方のベッドを巡って、わたしと師はじゃんけんした。
結果はわたしの勝ち。
わたしは、微かにスプリングの効いたベッドで寝る権利を得たのである。
師は、スプリングがバカになったベッドに身を横たえると、ズブズブと体は沈んでいき、ほとんど身動きできないくらいになった。
そのとき、師はこのような科白を吐いている。
「まるで、ツタンカーメンのようだ」。
一方、お風呂も凄まじかった。
わたしは、約1年に及んだ旅だったが、風呂に入れなかったのは、この皇宮飯店とデリーのチベッタンキャンプの宿だけだ。
わたしは、入り口まで行って、そのおぞましい風呂の惨状に尻尾をまいたが、師は風呂に足を踏み入れていた。
さて、リスボア・カジノを出てきた我々が向かったのは澳門皇宮。
ここはリスボアよりも庶民的なカジノだった。
ここでも、我々は打つんだか、打たないんだか、のらりくらりと賭けの場を眺めていた。元々、わたしは賭け事が嫌いな性質である。
雰囲気さえ味わえればいいかな、とカジノに遊びに来た程度だった。
夜もだいぶ更けてきた。
わたしは一足先にカジノを出て、宿に戻ることにした。
宿への帰路、暗がりの石畳を歩く。
香港は夜になっても光が溢れていたが、とにかくマカオの夜は暗い。
街灯が数メートルおきにたち、ぼんやりと石畳を照らす。そして、その街灯の下にはたいてい女が立ち、通りすぎるわたしを目で追っていた。
宿に戻って、しばらくすると師が帰ってきた。
そして、少し紅潮した顔でわたしにこう言った。
「勝ったよ」。
どうやら、大小に賭けて勝ったらしい。
「すごいじゃないか。で、どれくらい勝ったんだい?」。
「お金が倍増さ」。
賽の踊り。ダンス・オブダイス、ダンシング・ダイス、英語で表現するとどういうことになるのだろう。そんなことを考えているうちに、ダイスという単語の綴りが不意に曖昧になってきた。(中略)バッグの中に放り込んでおいた辞書を取り出し、調べてみた。(中略)綴りはやはりDICEだった。しかし以外だったのはそれが複数形で、賽の単数はDIEであると記されていることだった。DIE、つまり死だ。
辞書にはこんな例文も載っていた。
「賽は投げられた」
ルビコン河を前にしての、ジュリアス・シーザーの有名な台詞である。それを英語にすると次のようになるという。
「The die is cast」
だが、この文章をじっと見つめていると、投げられたのは賽ではなくて、死であったかのように思えてくる。いや、賽を投げるとは、結局は死を投ずることだと言われているような気がしてくる。DICEはDIE、賽は死と…。(「深夜特急」沢木耕太郎=新潮文庫)
一度も賽を投げなかった男とたった一度だけ賽を投げた男。
死を伴わないへなちょこたちの挽歌。
だけど、微かに一度だけ賽を投げて、師は生死を賭けた。
その違いは、スプリングが効かないベッドと若干効いているベッドの差ではなかった。
お互いのベッドには、ダニか蚤か南京虫か、とにかく何らかの虫が棲みついていたのである。
我々がマカオを後にし、再び中国に入国したのは1月4日のことである。
(写真は、恨めしそうにリスボア・カジノを眺める熊猫刑事)
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん氏と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
私は待つのに飽き、賭けはじめた。
10パタカずつ程度ならいいだろうと始めたが、ひとたび場に加わってしまうと、それはいつしか、20パタカになり、30パタカになり、50パタカになっていった。負けがこむにつれて賭ける額が大きくなり、金のなくなるスピードを早めた。
1,500パタカを綺麗に使い果たしてしまい、さらに300ドルを両替した時、底のない沼へ足を踏み入れてしまったような気持ちがした。
このまま博打をやっていけば、本当に行くところまで行ってしまうかもしれない。金を失い、これ以上前に進めなくなるかもしれない。ロンドンは無論のこと、デリーにも辿り着けず、いや、東京に帰ることすらできなくなるかもしれない。
これは、沢木耕太郎著「深夜特急」の一節。
我々、熊猫と師はホテル・リスボアの雰囲気にすっかり飲まれ、おどおどしながら、大小やポーカー、或いはブラックジャックのテーブルをふらふらしていた。
まず、リスボアのカジノに入るときから我々はダメダメだった。
何も荷物を持ち込んではいけないのに、小さなバッグを持ち込もうとして、ガードマンに止められた。
そして、ふらふらして数時間を過ごしたにもかかわらず、我々は1パタカも賭けずにリスボアを後にしたのだった。
その日、マカオに着いた我々は、その足ですぐさま皇宮飯店という宿へ向かった。香港で出会ったバックパッカーから、「マカオの宿は皇宮飯店がいい」と教わっていたのだ。
バックパッカー御用達の宿だから、ボロいことは予測できたが、そのボロさは想定外だった。
なにしろ、ベッドのシーツは何年も洗われたことがなく、湿ってどす黒い鼠色をしていた。ベッドのスプリングも壊れていて、身を沈めると、どこまでも体が沈んでいくようだった。
ツインのベッドになっており、どっちも五十歩百歩だったが、微かにベッドのスプリングの効きに違いがあり、その微妙にいい方のベッドを巡って、わたしと師はじゃんけんした。
結果はわたしの勝ち。
わたしは、微かにスプリングの効いたベッドで寝る権利を得たのである。
師は、スプリングがバカになったベッドに身を横たえると、ズブズブと体は沈んでいき、ほとんど身動きできないくらいになった。
そのとき、師はこのような科白を吐いている。
「まるで、ツタンカーメンのようだ」。
一方、お風呂も凄まじかった。
わたしは、約1年に及んだ旅だったが、風呂に入れなかったのは、この皇宮飯店とデリーのチベッタンキャンプの宿だけだ。
わたしは、入り口まで行って、そのおぞましい風呂の惨状に尻尾をまいたが、師は風呂に足を踏み入れていた。
さて、リスボア・カジノを出てきた我々が向かったのは澳門皇宮。
ここはリスボアよりも庶民的なカジノだった。
ここでも、我々は打つんだか、打たないんだか、のらりくらりと賭けの場を眺めていた。元々、わたしは賭け事が嫌いな性質である。
雰囲気さえ味わえればいいかな、とカジノに遊びに来た程度だった。
夜もだいぶ更けてきた。
わたしは一足先にカジノを出て、宿に戻ることにした。
宿への帰路、暗がりの石畳を歩く。
香港は夜になっても光が溢れていたが、とにかくマカオの夜は暗い。
街灯が数メートルおきにたち、ぼんやりと石畳を照らす。そして、その街灯の下にはたいてい女が立ち、通りすぎるわたしを目で追っていた。
宿に戻って、しばらくすると師が帰ってきた。
そして、少し紅潮した顔でわたしにこう言った。
「勝ったよ」。
どうやら、大小に賭けて勝ったらしい。
「すごいじゃないか。で、どれくらい勝ったんだい?」。
「お金が倍増さ」。
賽の踊り。ダンス・オブダイス、ダンシング・ダイス、英語で表現するとどういうことになるのだろう。そんなことを考えているうちに、ダイスという単語の綴りが不意に曖昧になってきた。(中略)バッグの中に放り込んでおいた辞書を取り出し、調べてみた。(中略)綴りはやはりDICEだった。しかし以外だったのはそれが複数形で、賽の単数はDIEであると記されていることだった。DIE、つまり死だ。
辞書にはこんな例文も載っていた。
「賽は投げられた」
ルビコン河を前にしての、ジュリアス・シーザーの有名な台詞である。それを英語にすると次のようになるという。
「The die is cast」
だが、この文章をじっと見つめていると、投げられたのは賽ではなくて、死であったかのように思えてくる。いや、賽を投げるとは、結局は死を投ずることだと言われているような気がしてくる。DICEはDIE、賽は死と…。(「深夜特急」沢木耕太郎=新潮文庫)
一度も賽を投げなかった男とたった一度だけ賽を投げた男。
死を伴わないへなちょこたちの挽歌。
だけど、微かに一度だけ賽を投げて、師は生死を賭けた。
その違いは、スプリングが効かないベッドと若干効いているベッドの差ではなかった。
お互いのベッドには、ダニか蚤か南京虫か、とにかく何らかの虫が棲みついていたのである。
我々がマカオを後にし、再び中国に入国したのは1月4日のことである。
(写真は、恨めしそうにリスボア・カジノを眺める熊猫刑事)
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん氏と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
「マンゴン、マンゴン」とお休みなさい、なのか、こんばんは、なのかよく分からなかったけれど、必ず挨拶してくれたし、娘さんと口論したりとか、人間ドラマを見せ付けてくれたっけ。
香港の刺激の後にマカオに行くと、あののんびりした感じがやけに落ち着いたのは確かだねぇ。
個人的にはドッグレースの帰りにバスで辺鄙なところに行き着いた事が結構思い出に残ってるよ。
マカオは外でボーっとしている方が楽しかった記憶があるなあ。
だから、結構まめにうろうろしてたのかもしれないね。
俺は独特の、あのひなびた街の雰囲気が結構好きだったなあ。