くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

太陽がいっぱい

2006-11-29 20:42:52 | ノンジャンル
そんなタイトルの映画があったよねぇ。
太陽がいっぱい」。
皆さんよくご存じ、「禁じられた遊び」の名匠ルネ・クレマン監督が発表した犯罪映画だそうですね。


でも、察しの良い皆さんのことですから、またまた映画の話しなんかしそうもないとお考えのことでしょう。
えぇ、えぇ、毎回申し訳ございませんです。

もっとも、これからしようかなと思ってるのは、どっちかって言うと「バクダッドカフェ」の方が、視覚的にはふさわしいのかも。



どっちにしろ、映画の話しなんかしないんだから、とっとと話を進めることにしましょうか。
って、この2つの映画の共通点ってなんだと思います?
あ、はいはい、お次へどうぞ。
A(^_^;




いえね、またまた佐久に出かけてたんですがね、このあたりは日本でも有数の夕焼けが綺麗な場所なんですってね。
でね、この夕焼けをよく見てくださいな。
なんか変だと思いませんか?
そう、太陽が2つあるんです
って、本物は左で、右に見えてるのは幻の太陽、「幻日」なんです。
何年かに一度、幻日を見るチャンスに巡り会うんですけど、こんなに明るくてはっきりしたのは僕も初めて見たんですよ。
もっとよく見てみましょうか。


見やすいようにちょっと明るさを調節して見ましょう。
明るい虹の断片のようになって、そこだけに光が集中していますね。
で、普通はこれが太陽を挟んで反対側にももう1つ光ってるんですが、今回は雲でかくれてます。

これ、要するに、昼間の太陽にかかる輪っかの両端が光ってるんですね。
六角形の板のような氷の結晶が 水平に近い角度で浮いている雲の中を太陽の光が通過する時、屈折して出来るんだそうです。
氷の結晶の方向が水平に揃っていればいるほど、幻日は小さく明るくなるんだって。

本物の太陽を挟んで2つの幻日が光ってるモチーフは、「バクダッドカフェ」で、とっても印象的に扱われてましたね。憶えてる人、いるかしら?

で、虹の輪っかがたまに2重にかかることもあるんですけど、そこにも幻日が現れると、5つの太陽が空に光ることになるんですね。
これは僕もまだ見たことがありません。
が、「五つの太陽が現れた」「七つの太陽~」「九つ~」 といった言い伝えが世界各地にあるそうで、短い人生の間にそんなのに出会うチャンスに恵まれたら、ぜひ写真を撮ってみたいななんて思ってるんですよ。

さて、じゃぁ、たとえば実際に太陽がいっぱい光る場所なんてないんでしょうかね。
ここなんかどうでしょう?
今頃の季節なら、夜、天頂付近を見上げるとキラキラ光って見えるはずです。


そう、おうし座にあるプレアデス星団
昴(すばる)の方が、歌にも詠われてたりするからそれなら知ってるかしら?
このスバルの近くの惑星から空を見上げたら、きっと太陽がいっぱい光って見えると思うんだけど。

ところでこの、「」って言う名前、子どもの頃ずっと西洋の呼び方だと思ってたんですけど、中学の頃漢字で書くって知ってビックリしたことがありましたね。
そんな名前の雑誌がありますよね。
この昴って言う名前は、実は中国の星座の名前なんだそうです。
言われてみれば、明治になるまで日本では西洋の星座なんて無縁だったんですよね。

ついでだからと思って、中国の星座を調べてみたら、あらまぁ、なかなか面白い。
あっちの星座には、厠(トイレ)や屎(ウンチ)の星座なんかもあって、しかも星座を集大成したのが陳卓(ちんたく)って言う人なんだと。

で、昴というのは昴宿(ぼうしゅく)と言う、中国の星座の呼び名から来てる訳なんですが、これ、西洋の黄道12星座にあたる中国の星座「二十八宿」の内の一つなんですね。

中国の星座が日本に入ってきたのは飛鳥時代頃らしく、描かれたキトラ古墳や高松塚古墳にもその頃の天文図が描かれて居るんだそうです。

さて、もっと調べてみたら、こんなのも。

これ、南西諸島でのプレアデス星団の呼び名の分布状況を記した地図なんです。
屋久島のスマルという呼び方は、中国文化の影響がうかがえますが、その他の島々の呼び名はとっても興味深いものがあります。
たとえば宮古島の「ンミムヌブス」とか奄美大島の「ブリブシ」とか、何とも縄文チックな響きだなぁなんて、一人で感心してるんですけど。

これでさらにアイヌ語での呼び方なんかもWebで引っかかったりしたらもっと面白かったかななんて思ったんですが、残念ながら見つかりませんでした。
その代わり、宵の明星(アロ-ヌマ-ノチュウ)とか、天の川(ペトゥノカ)とかってのは、「アイヌの星名称」ってとこで見つけたんですけどね。

あぁ、なんだか、たくさんの太陽に幻惑されて、夜空を彷徨ったあげく、太古の遺跡から言語の海あたりで迷子になってしまいました。
そろそろ、切り上げて呑みに出ることにしましょう。
A(^_^;

壁の花

2006-11-26 13:08:27 | ノンジャンル

先日、浅草を散歩していて、偶然「墨田区壁面緑化コーナー」ってのを見つけた。
文字通り「壁の花」。
まんまやないけ!

まぁ、そうおっしゃらずに。A(^_^;
ヒートアイランド対策としても注目されてるんだからねぇ。
皆さんのお家にも、お一ついかがかし?


積極的な屋上緑化政策を展開しているのが墨田区>なんだそうな。
もう少し抜粋してみる。
<「下町密集地で緑が少ない墨田区では、区民の中に緑を育てたいという要望が強く、その対策として平成9年から『屋上に緑の帽子』キャンペーンをスタートした。>んだそうだ。
「エコガーデン」なんてのも造ってるんだね。

調べてみたら、この壁面緑化見本コーナー、2005年12月に「すみだ区報」で区内の事業者に向けて
「屋上緑化見本コーナー・壁面緑化見本コーナーを拡充するため」ということで展示モデルを募集してたんですね。



僕的に特に面白かったのが、他種類の組み合わせを試みている「入交産業モデル」。
これはもう、生態的な多様性を獲得していて、なかなか素敵だと思いましたね。


あと、イビデングリーンテックモデル も良かったな。

もう一つがややシンプルだけど「ドコーモデル 」ってのが良かったかな。

墨田区公式ウェブサイトの「壁面緑化見本コーナー」に、まとまって紹介されてました。

じゃ、お気に入りをいくつか紹介してみようかな。



まずはこれ。生態的な多様性を獲得していて、なかなか素敵だと思った「入交産業モデル」。
展示されてた中では、扱ってた種類がダントツに多かったですね。
それだけに成長速度や壁面を覆う速度はまちまちなんですが、それだからこそ多様な微少環境がモザイク状に組み合わさって様々なニッチを提供しています。
素晴らしい!!

使っている植物は、だいたいこんな感じ。
斑入りベアグラス、フェスツカ・ロンギフォリア、クリーピングローズマリー、デュランタライム、斑入りヤブラン、斑入りフユサンゴ、アイビー、ラミウム・ガレオブドロン、ロニセラ・ニティダ、ハイネズ、ヒメノウゼンカズラ、アスパラガス・スプレンゲリー、西洋ツルマサキなど。



つぎはこれ,イビデングリーンテックモデル
グラス系を使ってないので、仕上がりはさっきのよりはスッキリしてますね。
これも負けず劣らず他種類を植え込んで成功しています。

カロセファルス・ブロウニー、タイム、キンシバイ、イタビカズラ、ツルコウジ、ワイヤープランツ、ビャクシンの交配種メディア'ゴールド・ソバーリーン'、ティムス、斑入りツルニチニチソウ、スイカズラ、サントリナ、斑入りギンガイカ、斑入り西洋ツルマサキ、コクチナシ、チャボナンテンなど。



三番手になっちゃったけど、壁面をふんわりと覆っていて軽さがあって素敵だったのが、このドコーモデル 」。

ワイヤープランツ、アイビー、セダム、西洋ツルマサキ。


後はこんなのとか。
かなりシンプルですね。どこのだったかな。

オオバジャノヒゲがメインで、アスパラガス・スプレンゲリーとゼラニウムが少し。


後は、古典的な、アイビーやオカメヅタ1種類の物。
ササを使ってたのは、この先どうなるのかちょっと興味でした。


最後に、植物の扱いはわりにシンプルだけど、「熔岩パネル」を使った地肌とのバランスがとっても綺麗だったのが「日本ナチュロックモデル 」でした。
タマシダとアイビーがメインですね。
このまま時間が経てば、ヤブソテツの仲間だとか、イノモトソウなんかも生えてきそうな感じです。
湘南の海岸付近だったら、絶滅危惧種のハコネシダなんかも十分生育するでしょうね。

ざっと見回して思ったこと。
もっと元気に繁るかと思ったら、意外にしょぼかった植物もありました。
コバノランタナ。
何がいけなかったのなかなぁ?

意外に使われてなかったのが、エリゲロン。
四季咲き性が強くて賑やかだし、こんな環境だとこぼれ種でどんどん殖えるのにね。

あと、蔓物では、斑入りアメリカヤマホロシとかハゴロモジャスミンも良いと思うんだけどね、なぜか使われてませんでしたね。
デュランタを使うんだったら、プルンバゴの方が良いんじゃないの?なんて事も思いました。
まだまだ有望な素材はいっぱいありますが、長くなるのでこの辺で。

螺鈿、錦、金蒔絵

2006-11-25 08:05:05 | ノンジャンル

いつまでも山の上でぐずぐずしていると思ったら、いつの間にか街に秋が降りてきた。
あたり一面、金色に染まる。


ところかまわず金箔を散らし、どこもかしこも金蒔絵の世界になる。

そのまばゆさに、張りつめた大気の中には、なにやら笙(しょう)や篳篥(しちりき)の気配さえ漂い始める。
そして、不意に差し込む龍笛(りゅうてき)のような金色の日差しに、思わず目を細める。



人はこの豪奢な時間を前にして、ただ押し黙るばかり。
吸い込む息も、金色になる気がしてくるくらいだ。
人はただ、この金蒔絵の世界の中で、雅楽を吸い、雅楽を吐き出しているかのよう。


梢は、絶え間なく金の破片を振り蒔いている。
地上のあらゆる嘘や嫉妬や悪巧みの上に降り注いで、息がつまるほどに芳醇な香りを放つ無垢な色彩に、金一色の世界に塗り込めようとしている。


混沌の灰色に金を重ね、漆黒の苦しみに金を重ね。
無垢な金一色の世界を紡ぎ出そうとしている。
しかしやがて、この樹々のもくろみも破られる。


鬱金に塗り込められた世界にも、再び血潮が通い始めるのだ。

 ちはやぶる 神代もきかず 竜田川
 からくれないに 水くくるとは
           在原業平

そしてあたりは竜田の錦に彩られる。


が、季節はめまぐるしく流転するものだ。
鈍色に暮れかけた空に目をやれば、そこには既に銀彩と漆黒に綾取られた、螺鈿の輝きの冬が佇んで居るではないか。


ささやかな幸せとささやかな疑惑

2006-11-24 19:14:07 | ノンジャンル
 何も知らない者は何も疑わない。
    ハーバート 「異国風の格言」より

そう、どんなささやかな幸せであっても、その味を知らなければ、幸せを疑うことも出来ないものである。
ただ、疑いが芽生えてしまった時、それでもなおかつ幸せのままでいられるかどうか?
メーテルリンクのお話にもあるではないか、幸せの青い鳥は捕まえる片端から黒くなって死んでしまうと。
それでも死なないのが、ホントの幸せの青い鳥なんだと。


    「青い鳥」
     ジョルジュ・ブラック

さて、こんなご大層な書き出しをするからには、きっとろくでもない話しなんだろうと、察しの良い皆さんにはもう丸わかりなんでしょうね。

えぇ、ご多分に漏れず、くっだらないお話しなんです。
ただね、くだらなく退屈な毎日からでも、学べることはあるでしょう?
少なくとも、今度のことで、幸せについて僕はほんの少しだけ学んだような気がしています。
A(^_^;

喩え、ささやかな幸せであれ、かりそめの幸せであれ、それを長く慈しみ育むことが出来るかどうかは、その人の「幸せの才能」にかかっていることなのではないかとね。



それはな、夏の終わりのことじゃった。
いつものように大汗かきながら、コンビニに飛び込んだんじゃよ。
んで、お気に入りのアイスキャンディーを一本買った。
いつも買ってるやつだ。

食べ終わった頃、ふと気がついた。
棒の先に何か茶色のシミが付いている。
老眼なので、メガネを外さないとよく見えない。
なんだろう?


青いアイスの端から焦げ茶色のシミが顔を覗かせてるのに気がついた瞬間、カビが生えてる?とか、よからぬ薬品で腐食してしまった物を知らずにくっちまった?って、一瞬焦りましたよ。
えぇ、マジで。
で、よく見てみると........




ガリガリ君(1本当り)!
うぉっ!
やったぁ~、当たりじゃん!
う~んちょっと幸せ。

と、次の瞬間、良からぬ考えが、テーブルを曇らす雲の通過のように横切った。
実は、不注意な僕は、これまでにも何本もアタリを引いていたにもかかわらず、気がつかずに捨てていたんじゃないか?
「アタリ」のマークは片側にしか刻印されていないし、酔っぱらった帰り道、暗い外灯しか灯っていない夜道を歩きながら食べることが多いから、きっと何本もアタリと気がつかずに捨てていたのかも知れない。
いや、間抜けな僕のことだから、きっと何十本も捨てていたのかも知れない!
ひえぇぇぇぇっっっ!なんてこったい!!

さっきのささやかな幸せを味わう暇もなく、強欲で愚かな僕は、一気に自責の念と不遇の身の上を呪う気持ちと、激しい苛立ちと、深い悲しみに襲われた。
あぁ、こんな事なら、「当たり」なんかひかなきゃ良かったのに.....。

ね、バカでしょう?
でもね、ちょっとの間落ち込んでたという事実が、情けないよりも可笑しくってしょうがない。

まこと、「足ることを知らない人間は不幸になる」と言う見本みたいでしょう?
まぁね、事がささやかなものだったから良かったんだけど、もうちょっとダメージの大きいものだったら、僕どんな反応をしてたんだろうかねぇって思うと、ちょっと憂鬱になる。
今までこんな反応パータンとは無縁に暮らしてたから、余計に免疫がないというか、ぞっとする。
歳をとってひがみっぽくなったのかしら?

こんなんじゃ、品の良い初老の紳士になんて、とてもじゃないけどなれそうもないわ。
ぶつぶつ。



で、これではあんまりなので、もう少し素敵な格言を。

 花を摘める境遇にあって花を摘まないで居るのは、
  最高に幸せな境遇だ。

誰の言葉だったか思い出せない。
中学の頃、親からもらった手帖に書いてあった言葉だ。
当時は、何かじれったい言葉だなぁって思ったりしたものだが、今ならこの言葉を味わえる気がする。

そんなわけで、このアタリの棒、いまだにアイスキャンディーに引き替えずに持ち歩いているのだ。
もちろん、自戒の意味も含めてなんだけどね。
でも、いい加減にしないといつの間にか無効になったりして、またまた地団駄を踏むかも知れない。
そろそろバカもいい加減にしたいものだ。
50過ぎた親爺が、情けない。A(^_^;

愛のお守り

2006-11-21 22:33:57 | ノンジャンル
いや、それ以前に、そもそもお守りが必要な状態なのか?というつっこみもあるが、それはまぁおいといて話を進めよう。
A(^_^;

実は、去年の今頃から、ずぅ~っと気になっていたことがあった。
花園神社の紋章のことだ。


去年これを僕は、麦じゃないのか?ってなこと書いたんだけど、その後で友達から稲だと思うけどと言う指摘を受けたのだった。
たしかに検索してみると抱き稲とある。
ちぇっ、やられた。
そりゃまぁ、神社は弥生文化と共に日本にやってきたんだろうから、そしてもともと日本にあった聖地の上に建てられた(縄文文化をつぶして、あるいは共存する形で)んだから、稲がシンボルというのは一番妥当なところだった。
でもね、例外の一つぐらいあったら面白いんじゃないかなって思ってたんだよね。

でも、気になることが何点か。
麦なんじゃないかっていう結論に達するキーになってた、例えば麦神事とか、花園神社の社務所だけで配られるという麦の穂の着いた熊手ってのはどうなんだろうかってね。
麦神事の方は、花園神社のホームページにも載ってたから間違いないとして、熊手が気になってたのだ。
で、チョイと足を伸ばして、一人で偵察に行ってきたのだよ。
麦の穂の着いた熊手がなくても、何はヒントぐらいつかめるかもってね。

例えば、昔はポピュラーだったカンザシ型の熊手ってやつも、今ではすっかりなりをひそめちゃってる。
これね。

今じゃ、博物館でしか見られなくなってるってな話しだったけど、去年、花園神社の酉の市で見かけてね、そこのおばぁちゃんに売ってくれって言ったら、非売品だって鼻にも引っかけられなくて悔しがってたんだけどさ、今年行ったらそのババァ、山ほど売ってやがる。
A(^_^;

そんな調子で、いったん消えた物でも、何かの拍子に息を吹き返さないとも限らないじゃないですか。



ってか、こいつの専門店と化していた。
確かに、年寄り一人でやってるんだから、軽い荷物の方が良いよね。
でも、売れ行きの方は今ひとつの様子。
だってねぇ、この手の粋さがわかる御仁ってのも少なくなったんじゃないの?
昔は、芸者遊びに行く時チョイと一つ二つ買っていって、贔屓の女の髪にさしてやったらしいけど。
三の酉でも出してたら、買ってあげようかしらん?
そんでもって、二丁目界隈に繰り出してさ。
あ、行くとこみんな短髪だわさ。(>_<)



屋台と鬱陶しい人混みの隙間をすり抜けながら、チラッと目に入ったのがこれ。
アメ細工って、進化してるのねぇ。
恐竜なんて、なかなかイイできじゃん。


ご本殿をお参りして、社務所の神社グッズコーナーへ。
う~ん、稲のしかないよねぇ。


で、念のため本殿の臨時販売コーナーも覗いてみるが、やっぱり置いてない。
ちぇっ!


帰りかけて、ライトアップされた御輿を見て、ふと思い出して、お稲荷さんにも立ち寄った。
後で社務所でもらった「花園神社縁起」によれば、吉野拾遺上に
『おなじみかど(後醍醐天皇)花山院(京都)をひそかに出御ならせ給ひて、大和の方に赴かせ給ひけるに、いと暗き夜なりければ、御伴に侍らひける人々も如何にせんと侘び合へるを聞かせ給ひて、「此処は何処の程にや」と尋ねさせ給ひければ、忠房の侍従、「稲荷の御前にこそ」と奏したまへば、

 ぬば玉のくらき闇路にまようなり
 われにかさなんみつのともしび(三の光)

と御歌ありて伏し拝ませ給ひければ、御社の上より、いと赤き雲一群立ち出で来て臨幸の道を照らし送りて大和の内山に入らせ給へば、雲は金の御嶽(金峯山)上にて消え失せにけり、まさしく御伴に侍らひて見しことにこそ』
とある。
新宿三丁目界隈を三光町と言ったのもこれに由来するとか何とか。
いずれにしてもそっち系というか古いというか由緒正しいのよね。


あぁ、ありがたやありがたや。
(^。^)
と、見ると、これまで気がつかなかった小さな張り紙が。
なになに?夫婦和合のお守り、本殿社務所にお問い合わせください?
さっき見た時、それらしいのなんか無かったと思うのだけれど。
取って返して聞いてみると、神主さんが隠しの引き出しからおもむろに取り出したのがこれ。


なるほど、言わなきゃ出してくれないのね。
で、だめもとと思って聞いてみた。
「物の本で、こちらではかつて麦の穂を着けた熊手を配っていたと読みましたが、今では扱っていないのでしょうか?」
すると神主さん、そのような物は扱っていませんが、詳しい者がおりますのでしばらくお待ちください、そう言って引っ込んでいった。
で、しばらくして戻ってきたんだけれど、あいにく席を外しているとのこと。
うむぅ~、こりゃぁ三の酉も来ないといけないね。

で、やっとここから本題なのだ。
夫婦和合のお守り、何が入ってるか見たくありませんか?
そんな罰当たりなと思う方は、この辺で退散してくださいね。
これを開ける時に、友達たちが『開けちゃうと御利益が無くなる」って言うけど、僕はそんなこと無いって経験済みなので開けちゃうのだ。

そう、たしかにね、中身を見ちゃうと、なぁ~んだって思って信じなくなっちゃう人の方が多いかもね。
でもね、お守りってね、そう言う単純に物質的形状的外観的なもので効力を発揮してるんじゃないんですよ。
たぶん。
じゃぁ、なんで開けるなって言うのかって?
その手の感受性のない人には、見ない方が多少なりとも神秘性という演出が残るでしょ。

2丁目のとある、イタコバー(こらこら)のマスターに言わせると、お守りを直接肌に着けたままにしてると、体が弱ったりするからダメよって言われました。
それはそうかもと思います。
だって、家の実の妹なんか、前にも書いたけど、宮島のお守りを直に触ったとたん、雷に打たれたみたいになって1時間ほど動けなくなってたくらいだし、僕も秋吉台秋芳洞の中でうじゃうじゃいる何かに取り憑かれた時、その小さなお守りの方を直に体にこすりつけて難を逃れたりしてますからねぇ。
ま、これには、恐~い後日談があるんだけど、それはまたそのうちにね。

さて、じゃぁ見てみましょうか。





予想に反して2つ入ってました。
ま、考えてみれば当然のことなんですけどね。
で、中身はと........




これをもう1セット買って、チンコ2本のお守りにしようかななんて思ってます。
罰当たり?
えぇ?明治頃まで衆道も盛んだったんだし、日本の八百万の神はこの手のことにも当然の事ながら寛容だと思いますよ。
ははは