くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

サイババショット謎の修理費8万円

2005-05-31 21:26:13 | ノンジャンル
行ってきたよ。
数寄屋橋のS○NY(伏せ字の○です)。
仕事で愛用しているのデジカメなんだけど、今使ってるのが4代目なのだ。
ひさしちゃんを撮ってるカメラでもある。
そのうち、現在稼働してるのは1台だけ。残り3台はいずれも1年ちょっとした頃にいきなり壊れるという、世間で言うS○NYタイマーの正常動作を確認しているのだ。



愛機、初代サイババショット
修理して使わずにしまっておいたら
1年ちょっと後には自動的に?壊れていた
なので、ただいまお蔵入り中です(涙



夏が来る前になおしたい
お気に入りの水中カメラ
可動部はないけど1年ちょっとで死亡(涙
全く同じ症状というのが、なんですよ

「買ったお店の人に、技術者とお話しした方が良いかもと言われたんですけど」
とか言いながらブツを出す。
「突然画面が暗くなって、レンズ系統が反応しません。」
「衝撃とかあたえてないんですが、何の前触れもなく突然なんです。」
「仕方がないんで、今はこれの前の機種を使っているんですよ。」と、見せる。
「使いやすくて良いカメラなんですけどね、1年ちょっとするといきなり壊れるんで、困ってます。」
「同じ症状のがあと2台、部屋に転がってるんですよ。」
「そのうちの1つは、万が一のために修理に出しておいた物なんですが、1年ちょっとして他のが壊れたんで出してきてみたら、これまた同じ症状で壊れていて使えないんです。」
「もう1つは、同じシリーズの可動部分のない水中カメラなんですが、これも突然同じ症状になって使えません。」
「今動いているのがいつ壊れるか気が気じゃないので、とりあえず一番使いやすかったのを直そうと思って、買ったお店経由で見積もりを出してもらったら、7万から8万と言われたんです。レンズ交換の必要があるという話しで、色々疑問点もあるので、直接ここに来てみたんです。」
「レンズに障害があるとは思えないんですが、なぜ交換の必要があるんでしょうか?」
受け付けてくれたおじさんの説明はこう。
「8万ですか。修理履歴を調べてみますから、一緒に見てください。」
「これなんですが、これは同じ機種の場合で、レンズ交換は4万5千円....ですねぇ」
僕は露骨にいやな顔をして見せた。だって、いま僕が見てるのは、明らかに個人情報なのだ。
依頼者の名前や連絡先まで表示されている。

で、僕。
「あの、これ、他人の個人情報ですよね?」
「僕が修理を依頼したデーターとかも、場合によってはこんな風に他人に見せたりするんですね?」
おじさんの説明はこう。
「あ、個人情報ですから、あんまり見せられないんですが、こことここだけ見て頂いてですね」
そう言いながら、慌てて紙で画面の真ん中を隠し始めた。
「こちらは単純な電気系統の修理で、1万円です。」

で、僕。
「で、レンズ交換の必要性というのは、どのように発生するんですか?」
おじさんの説明。
「絞りが壊れたときは、レンズごと交換することになるんです。」
「真っ暗と言うことは、絞りの故障の可能性もあるわけなんで」
脂汗をかいている。
ちょっと気の毒。えぇえぇ、あんたが悪いんじゃないことぐらいわかってますってば。
でも、こういうストレスも、ギャラの内なんでしょ?

で、僕。
「絞りの故障で、どうしてレンズ全体を新しい物に換える必要があるんですか?」
「絞りの修理で、十分じゃないんですか?」
おじさんの説明。
「レンズに絞りが組み込まれているもんですから、全部換えなきゃいけなくなるんですよ」

で、僕。
「そうですか、カールツァイスのレンズだと言うことで信用してこのシリーズを買い続けていたんですが、S○NYさんは、このすばらしいレンズに1年ちょっとで壊れる絞りを組み込んで売っているという訳なんですね?」
「どこのカメラメーカでも、1年ちょっとで壊れるようなカメラを開発している所なんてありませんよねぇ?20年以上前に買ったRIKOHのオートフォーカスのカメラだって、死んだ親父が若い頃愛用していたカメラだって、未だにちゃんと使えますよ。」
「1台や2台なら、まぁたまたまと言うこともありますが、これだけのカメラが通算5回、いずれも1年ちょっとで故障というのは、統計的に言えば有意水準0.1%台の確かさで、偶然ではあり得ないと言うことになるんですからね。」
「ま、良いんですけど。ところで8万円の根拠は?」
おじさんの説明。
「一般のお店に出した場合の手数料などもありますから、こちらの金額との差もあるんです」

で、僕。
「さっき言ったカメラの内の1台は、2回続けて1万円で修理してもらってるんですよ。」
「こちらで先ほど見せて頂いた最低レベルの修理価格ですよね?」
「差額は含まれようがないですよね?」
「レンズ交換以外にも修理が必要だったと言うことなんでしょうか?」
と、助け船を出す。
おじさんの説明。
「あ、そうですね。他に修理が必要かどうかは、工場に出してみないとわからないものですから」

以下略。

ま、見積もりは1週間か10日後に来るそうだ。
もう、S○NYは買わないかも。
なんか良いカメラ無いかなぁ? (T。T;

本来道具という物は、手になじむほど愛着がわき、体の一部のように自由に使いこなせるようになる物なんだと思っているんだけど、この頃の機械と来たら、直して使うより買い換えた方が早いと来ている。おまけに使いもしない新機能が、ごたごたと着いてきて、鬱陶しくってかなわない。
このカメラだって、中古なら2万も出せば買える代物。
なんだか、時代の風潮について行けない年寄りになってるなぁと思う今日この頃なのだよ。
とほほ

七五調で愛の言葉を

2005-05-30 00:22:14 | ノンジャンル
あかあかや あかあかあかや あかあかや 
      あかあかあかや あかあかや月
                明恵上人

松島や ああ松島や 松島や
         松尾芭蕉

月々に 月見る月は 多かれど 月見る月は この月の月
                    詠み人知らず

どう思います?
すばらしい句だと言われています。
でも、僕には、この句にはダダイズムの臭いがするような気がしてますの。
Dadaism
http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords/a_j/dadaism.html


ダダと言えば、デュシャンの「泉」が有名ですが、なんで便器が美術館に?と思われる御仁のタメに
デュシャンの「泉」
http://www.msubillings.edu/art/Dada.htm


これは、デュシャン本人の監修による7つのレプリカの一つで、
ホンモノ?は紛失しているそうです。
量産は可能なんですが、あえてそれをしないあたり、さすがダダイズムだけにダダ漏れを恐れたようです。

話しを戻しましょう。

冒頭にあげた、日本が世界に誇る名句を、
ダダイズムなどという青二才のゲ~ジツめいているなどと言ったのは、
言うまでもなく失言です。>バキッ!

まぁ、例えば、大まじめに、この日本の伝統に則って歌を詠んでみようかと思うのですよ。

クマクマや クマクマクマや クマクマや
      クマクマクマや クマクマやマタギ   字余り
                 くまえもん

ひさしちゃん ああひさしちゃん ひさしちゃん
                 くまえもん

隈々に 熊見る隈は 多かれど 熊見る隈は この隈の熊
                     くまえもん
意味)この界隈に熊の集まる所は多いけれど、
   やっぱりなんと言ってもマタギが一番だよねぇ。

ダダイズムのつもりでしたが、結果はダサイズムになってしまいました。

このまま終わっても良いんですが、
タイトルと内容が違いすぎるので、もう少し続けましょう。

万葉集に相聞歌というジャンルがありますよね。
今で言うなら、メールで、
「君素敵だね、今度逢おうか」
「良いわよ、でも大人の関係と割り切ってね」
ってな感じなんですが>違う気がする

昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓木の花
君のみ見めや 戯奴さへに見よ 
       紀女郎 巻八 1461
意味)昼は花が咲いて、夜は葉が重なって
   恋人が抱き合うように寝るネムの花、
   ご主人様のアタシだけ見てもしょうがない、あんたも見なさいよ。

吾妹子が 形見の合歓木は 花のみに
咲きてけだしく 実にならじかも
       大伴妬家持 巻八 1463
意味)あなたの身代わりのネムノキは花ばっかりで、
   もしかしたら実をむすばないのでは?

七五調でやりとりしてる所が、何とも雅なんですが、
言ってしまえば恋の駆け引きです。
たとえば、こんなやりとりをメールでやると、どうもいけません。

やらせろよ こんやあいたい どうしても
おまえでないと たたないおれさ

こくられて おいらとっても うれしいよ
きっとあいする ずっときみだけ

まぁ、雅とはほど遠いんですが、さらに

あいしてる ほんとなんだよ しんけんさ
きみだけのこと おもいつづけて

とか

ほんとだよ しんじておくれ どうしても
ぼくはいつでも うそはいわない

とか、深追いしてはいけません。
どうも、七五調というのは、現代社会においては
真実を告白するのには向いていない形式のような気がします。

閑話休題

さて、ちっとも休題にならないのは、皆さんもう慣れっこですよね。
なぜにこの七五調などというメディア?を引っ張り出してきたかと言えば、
歌詞よりは、あからさまでわかりやすいかなと思ったからです。
つまり、去年の12月までの3ヶ月間、
ぼくは歌詞で始まって「ひさしちゃんかわい~」でしめくくるか、
「ひさしちゃんかわい~」で始めて歌詞で締めくくると言うネタを書いていたんですが、
僕が驚かされたのは、これだけわざとらしい形式を持ってしても、
大勢の人がこれを僕の個人的な
恋愛日記だととらえたという点です。

これを歌詞じゃなくて七五調でやってたら、誰も本気にしなかっただろうなぁ、
と、まぁ、そんな反省?をしているんです。>相変わらず、バカが全開です
まぁね、女のウソというのは、まず当人が信じてしまう所から始まる物だから、
他人様が勘違いするのも、無理からぬ事。
あまりの不人気に、年が明けてからは「不幸な女くまえもん」ネタを引っ張ってみました。
本来脳天気な親爺には、これはまぁ、荷がかちすぎましたネ。
次なるアホネタは、七五調?
まさかね、はははのは。


XXL装着レポート 8万ヒット記念企画

2005-05-18 09:25:28 | ノンジャンル
なんちて。
友達から、ドイツで流行のXXLをいただいた。
シンデレラを捜す王子様よろしく、これがぴったりな相手を探せと言うわけでもないらしい。
そう言えば「Mr.グッドバーを探して」なんて映画があったなぁ。
見なかったけど。
ドイツで流行とは、彼の地の紳士諸氏はこのグッズを買うとき、
自分のサイズに関係なくXXLを注文する習わしなのだという話しは、だいぶ前に書いた。

前置きはもう良い。
でね、見てみると、パッケージの上からでは、そんな化け物じみた感じはしないのだね。
ぼくたちが普通に使っている、直径4.5cmのやつとそんなに変わらないような。
開けてみると、やっぱり大して変わりない。
白っぽい色ってなぐらい。
でもね、巻いてある部分がなんだかちょこっとぶ厚いような。
XXLとは、はてどんなものであらふか?
かぶせてみる。
あれ?
太さはやっぱりちょうどいい。
なんでよ???
フィット感すらある。
でもね、やっぱり、根元までかぶせていって見ると、
あまるのよ。
あたりまえか。
で、どれぐらいあまるのかって言うと、それほどでもない。
なんで、なんで???

妙なのはね、なんつ~の、やたらぶ厚い感じなのだよ。
ビニール袋とサカってる感じ。
閉じこめられてる感じが閉所恐怖症を呼び起こしそうな....。
ひょっとして、これって伸縮性が強いとか?
引っ張ってみたけど、ダサイぐらいぶ厚いだけで、特に伸びるわけでもない。
長さは、さすがに僕の1.5倍はある。
でもさぁ、XXLって、こんなもんなの?
拍子抜け。

あ、一応念のために言っておきますが、僕は巨根だと言っているのではありません。
で、友達との会話をもう一度思い出してみると、多分こんな事ではないかと.....。
ドイツのオッサンは、見栄を張ってみんなXXLを買う。
なので、ホントにでかく作っちゃうと、ブカブカで用をなさない。
なので、小さめに作ってある。
ホントか???
ホントにでかい人は一体どうするんだ?
XXXLとかも売ってるとか言うと怒りますよ。

いやまてよ、ドイツ人はぶっといのはあんまりいなくって、長いのがいるって事かな?
でもねぇ、XXLがこれなら、僕のはXLってことになるんだけど。
なんか嬉しい。>ばか?
何度も言いますが、僕のは普通サイズです。
ってことは、ドイツ人全体では日本人とどっこいか、小ぶりが多いって事?
??????
そうなの??
なんかガッカリみたいな.....。
むかし祖師谷温泉21で、膝まで届くアングロサクソンを目の当たりにしたけど、あれはアメリカ人だって言ってたなぁ。
どこ系なんだろう?
え?やってませんってば。
無理無理。
逃げましたがな。

また今度、その友達にメールで確認してみなくってはね。
どうなのよ?ドイツ人ってそんなもんなの?
ねぇねぇねぇ???




愛の言葉

2005-05-17 09:30:58 | ノンジャンル
愛の言葉

言葉の世界はある
しかし世界は言葉ではないから
愛する人を言葉で表すと
言葉に切り刻まれ
言葉にならなかった
おびただしいカケラが散乱する
生命の、愛情の、肉体の、体臭の、言葉にならなかったカケラ
これこそが生きている証なのに

切り落とされた破片に
気がつかない
言葉でしか考えない人には
それが見えない




連星(二つの太陽)の回りの惑星の運動

*****************

アンリ・ポアンカレは混沌とした世界を愛した人だと思う。
ニュートンの整理され切り刻まれ飼い慣らされた世界でなく、
世界の混沌を、生きて、脈打って、のたうち回る世界を愛した。
混沌=カオスの顔をとことん見つめた人。
彼の内なるカオスに気づき
それを抱きしめた人。

すべてを疑うか、すべてを信じるかは、
二つとも都合の良い解決法である。
どちらでも我々は反省しないですむからである。

彼らしい言葉だと思う。

http://www.a-phys.eng.osaka-cu.ac.jp/suri-g/phys8.html



2005-05-17 09:29:41 | ノンジャンル
大人になったら、自分の顔に責任があるというのは、本当だと思う。
でも、ある程度って感じね。

写真を撮るという行為を繰り返していると、そのことがよくわかる。
「写真」は一つの演出で、けして真実の全てを映しているわけではない。

自分の顔というのは、一つの演出で、それは自分の全てを表してはいない。
これは、実にありがたいことだ。
自分でももてあましている問題を、他人が察知するすべのないこと。
これは、神様の優しさなんではないのかと思ったりする。

人は他人の顔を見て、その人の見たい側面だけをとらえているのが普通だったりする。
たとえば、自分は自分がこんな人間だというファンタジーを人に押しつけるべく、
ああでも無いこうでもないと、髪の手入れをしたり髭を整えたり。
ところが、顔の髭全部をそり落としても顔中髭だらけにしても、
自分の周りの人間は案外気づかないものだったりする。
彼らもまた、自己演出に忙しいからだ。
自分がどう見られているか、皆戦々恐々として、他人の顔の細部に頓着している暇がない。
つまり、自分の外見を、そんなに気にしても始まらなかったりする。
大方は、世間一般の、ステロタイプ化された、
そんな程度の自己演出と判断で事足りているのである。
いわゆる熊系とかね。
それに、自分が欠点だと思っていることを、美点だと思う人間も意外にいるものだったりもするからね。
蓼食う虫は後を絶たないってか。(^_^; やれやれ

顔というものが、その人の全てを表していないことは言うまでもないことなんだけれど、
そのことは逆に価値のあることだったりする。
写真を撮るとき、それを実感する。
写真は、物体としての顔に、いかようにでも演出を加えることができるからね。
で、僕の見たい物だけが映される。
誰かの写真を撮っても、そこに写っているのは、
その人に関する僕のファンタジーでしかない。
そのファンタジーが、現実の、日常の何かよりも素敵だったりすると、
撮る側も撮られる側も、なんだか少し嬉しくなったりするような気がしている。