くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

美食のよろめき

2004-11-30 15:49:55 | ノンジャンル
能登でのメニューをあげておこうかな。
こうやって並べてみると、お品書きってのにもそれぞれの個性というかセンスが伺えて楽しいよね。


その1

おしながき(無地の色紙)
付出し
クジラしぐれ煮
イカの塩辛
クジラ皮のヌタ

前菜
ゆず釜
メガラス
さざえつぼ焼き
あじ寿司
イクラ

造り
クジラの造り
ヒラメ
甘エビ
アオリイカ
ガンド

酒肴
クジラの味噌漬

鍋物
クジラすき焼き

焼物
ガンドのゆうあん漬焼

揚げ物
白子の天ぷら

酢物
甲ばこガニ

果物
メロン
ブドウ


クジラゴボウ汁


その2

おしながき(大きくオレンジ色のもみじがプリントされている)

先付け
鯨のユッケ

前菜
自家製イクラ
メガラス
助子
もみじ人参
柿奉書巻き
さざえ壺焼き
ひすい銀杏
木の葉じゃがいも

お造り
地鯨
めじ
口いか
さざえ
甘えび

酒肴
鯨お造り

鍋物
鯨すき焼き

焼き物
鯨味噌漬け

揚げ物
竜田揚げ

酢の物
鯨皮
じゃばらきゅうり
若芽
からし味噌添え

蒸し物
茶碗蒸し

果物
メロン
巨峰

汁物
かわはぎのつみれ汁



願い事

2004-11-30 13:09:29 | ノンジャンル
あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風
                     芭蕉
1989(元禄二)年、芭蕉が金沢で作った句だそうだ。
兼六園の築山の脇に、江戸時代後期金沢の俳人、梅室(ばいしつ)の筆によるという歌碑がひっそりとただずんでいた。

僕はどういう訳か半端じゃない晴れ男なのだ。
この日も午前中は雨もよいの空で、いかにも北陸の冬を予感させる天気だったんだけど、あの徽軫(ことじ)灯籠を撮る頃には晴れているんだろうと、何となく思っていた。 徽軫(=琴柱)っていうのは琴の弦を支える足のこと。
いやぁ~、見事に晴れましたなぁ。



それは、待ち望んだハ長調の協三和音とは少し違っていたけれど、むしろもっと美しかった。バッハのカンタータ50番やデーリアスの郭公の響き。長七度を含み銀色に輝く大気の響き。幾分の苦痛に彩られながらも、返って凛としたただずまい。早春や晩秋の明るく張りつめた大気にこそふさわしい響きだった。


「願い事をするときは注意しなければならない。なぜなら、願い事は必ずかなってしまうものだから。」
大好きなリチャードバックの「イリュージョン」にこんな台詞があったように思う。

だが、しかしだよ。
今は迂闊に願い事をするのがためらわれる。
この岐路には見覚えがあるからだ。
もうおなじ過ちを繰り返している暇は、僕の人生には残されてはいない。


からっぽのまち

2004-11-23 16:53:52 | ノンジャンル



からっぽのまち

  きみがいないとおもうだけで
  とうきょうはからっぽのまち
  きみのはくいきはいまどこを
  ながれさろうとしているのか
  どこかとおくのそらのしたか
  それともとなりまちのどこか
  あんがいぼくのすぐかたわら
  ほらこっちだよなんてそっと

  きみがいないとおもうだけで
  とうきょうはからっぽのまち
  きみのぬくもりはいまどこに
  うすれいこうとしているのか
  どこかとおくのやまのむこう
  それともまがりかどのどこか
  あんがいぼくのすぐかたわら
  ほらここにいるよだなんてさ

  きみがいないとおもうだけで
  とうきょうはからっぽのまち
  きみがもどるまでのひととき
  わらいがおがもどるときまで
  きみのいないからっぽのまち
  きみがもどるからっぽのここ
  きみをまつからっぽのまちで
  きっともどるぼくのほほえみ

我が命を支えし美しき君よ

2004-11-12 16:56:53 | ノンジャンル
我が命を支えし美しき君よ
古いマドリガルの題名なのだ。
シンプルな旋律だけれども、切なく美しく深い幻想に満ちた曲。
30年前に聞いて、それ以来体にこびりついている。
今では僕の一部になってしまっている曲だ。



今週の初めまで、函館にある北大水産学部の学園祭に取材に行ってきた。
ゲイなお仕事。
鯨関係の取材だったのだ。

取材現場の隣の教室を覗いたら、オーケストラの連中がスープバーを出店していた。
チェロやバイオリンが無造作に置いてある。
聞いてみるとさわらせてくれるという。
らっき~!
30年ぶりにチェロを弾かせてもらった。


バッハの無伴奏なんて、もうとうてい弾けるわけもなく、とにかくどんな手触りだったか感触を思い出すのがやっとだった。それでもボーイングは体に染みついていたと見えて、何とか音は出せる。チェロは良いね、やっぱり深い良い音が出る。
しばらく音階練習をして指もなじんできたんで、リアドフの「8つのロシア民謡」の中の「悲歌」にチャレンジしてみた。短い曲だけどこの沈鬱な曲は大学1年の時、初めてのコンサートで弾いた曲だ。もちろんその時、僕が弾いていたのはビオラなんだけどね。
「悲歌」の前半はチェロだけで演奏される。後半もほんのちょっとだけほかの弦パートが重ねられるだけのシンプルな構成なんだけど、荒涼とした風土の中でのかすかな憧れのようなこの曲が大好きで、ビオラの2重奏に編曲して練習してたことがあった。だから、このメロディーも僕の体の一部になっている。
たどたどしい演奏。
でも、当時の音楽へのひたむきな憧れがよみがえったような気がした。
なんて長い間、僕は歌うことを忘れていたんだろう。

オーケストラの女の子と、弦楽合奏の話をした。
その子は子供の頃からヴァイオリンを習っていて、大学に入ってからアンサンブルを始めたんだそうな。
ブリテンのシンプルシンフォニーでちょっと盛り上がったけれど、グリーグのホルベルグ組曲とか、レスピーギの古代舞曲とアリアだとか、ペーターワーロックのキャプリオール組曲なんて言うのは聞いたこともないという。
そんなものなのかねぇ、世の中のいわゆる音楽ファンって言うのは。
世の中には、気も転倒するほど美しい曲ってのがいっぱいあるのに、いわゆる大作曲家のラインナップを少しでもはずれると、ほとんどの人が興味を示さなくなる。

ビオラを持ってきてくれたので、弾かせてもらった。
MATAGIの1周年以来だ。あのときパーティーの合間にちょこっと弾いていた、キャプリオールのパヴァーヌを弾いてみた。古いマドリガルの旋律を弦楽アンサンブルに編曲した作品。「我が命を支えし美しき君よ」と歌い出すこの曲は、静かな幻想に満ちていて大好きな曲。パーティーのさなかにこの旋律を弾くのは、なかなか楽しかった。誰にも曲のタイトルを言い当てられる心配はないからね。「我が命を支えし美しき君よ」なんて口ずさんでいたら、きっと聞きとがめられちゃうだろうけど、その点器楽曲は良いね。密かに愛の言葉を歌うことが出来る。

密やかな恋、片思いで終わった恋というのは、それを失った後も甘く悲しい思い出として長いこと体の中に居座っていたりする。
何年も一緒に一緒に暮らしたあげく、ひどい裏切りで終わる愛の暮らしみたいに、心にまがまがしい傷跡を残したりしない。
時々思い出すたびに、ひそかな後悔の念を呼び覚ますぐらいだ。
そんなことを思いながらパヴァーヌを弾いていた。