くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

カサはやっぱり開いてるのが....

2009-03-22 01:09:00 | ノンジャンル


林の中の林の中のいまはもう使われていない小径にマツボックリがいっぱい落ちているところがあって、ちょっと前から気に掛かっていた。
時間のあるときにこれで遊んでみようかなって思ってたのだ。




で、いざ出掛けていって見ると、前日の雨のおかげでマツボックリはみんなしぼんでいた。
ガ~~ン!




そう、マツボックリは、水を吸うとカサを閉じてしまうんだよね。
で、乾燥してくるとその鱗片を開いて、間に挟まっている種を風に乗せて飛ばす。
いやぁ、旨くできてるもんだよねぇ。

カサを閉じちゃってると、地面に立てるのがちょっと大変なんだけれど、でも、考えてみると、カサが開くまでの変化を楽しめるんだよねぇ.....。
こりゃいいや、さっそく試してみよう。







で、色々考えては見たんだけれど、アンディ・ゴールズワージー風のウネウネにするのがやっぱ一番だよね。
そこはかとない違和感&何となくすっとぼけた感じ。




多少は工夫もしてみる。
始まりは、とぼとぼとおぼつかなげに。
やがて本格的千鳥足に。




お終いは、カオスに飲み込まれる。
おとぼけはこれぐらいにして、あんまり何かを象徴しようなんて考えないのが良いね。




1時間ほどして戻ってみると、日の当たってるところでは少しカサが開きはじめている。
でも、今日中に全開ってのは無理そうだね。

よく見ると、所々マツボックリが倒されている。
散り敷いている松葉が小さくほじくり返されているところも。
何か小動物の仕業のようだ。
わくわく。
ちょっと様子を見てみよう。




か、可愛いっ!
マツボックリを蹴倒した犯人は、この子だったんだね。




何ともきまじめな面持ちで、せかせかと松葉を運んでこちらにやってくる。
径のこっちには、カメラを構えた人間が、僕を含めて4人ほど。

カラス君、ちょっとたじろいだけれど、人間なんかにゃ構ってられないってな勢いで、僕らの間をすり抜けて傍らの流れの脇までとことこ歩いていった。




おもむろに流れにはいると、何とくわえた松葉を洗い始めた。
えぇ~っ?
ホントにこれ、松葉を綺麗にしたくて洗ってるのかな?




たまたま水に浸けたんではなくて、ホントに何度も水に浸けてバシャバシャやってる。




と、木の上に場所を変えて、落ち葉を足に挟んで何かはじめた。




よく見ると、コナラなんかの枯葉だけ選り分けながら綺麗な松葉だけクチバシにくわえて、腐葉土っぽいのは棄ててしまった。

松葉の向きまで、何となくそろえてくわえてるところにご注目。




と、また水に入って洗っている。




場所を変えて、またまた良く洗って、やっと納得したのか飛び立っていった。
ってことはなにかい?
このカラス、巣材の泥を水洗いで落としてから、巣のクッションにしてるって訳?
なんてきれい好きなカラス!!
って言うか、水で洗えば綺麗になり、ヒナのために気持ちの良い巣を作る事が出来ると、その辺まで理解した上での行動???
とすると、カラスの知能って、世間で言われてるよりのずっと高いことになる気がするんだけれど。

そう言えば前にも、何羽かでハンカチ落としみたいな遊びに耽ってたカラスたちに出会ったこともあったっけなぁ。




なんて考え込んでいたら、突然流れの脇から黒い影が這い出てきた。




野良猫がカラスをねらってたんだね。
カラスたち、まだまだここで巣材を集めるだろうから、猫に捕まらないようにしてもらいたいものだねぇ。

そんでもって、君のような賢い子をどんどん育てておくれ。




と、またまた人間達がやってきて何事か騒いでいる。
「あらまぁ、これ見てみて!自然にこうなったのかしら?」とかなんとか。
んなわきゃないだろうよ。


この頃この手のイタズラをしていて、わりとそう言うトンチンカンな反応をする人が多いのには驚かされるのだけれども、中にはもちろんちゃんと自然と人為の境目を見極めて「だれかがイタズラで並べたんだね。でも、不思議な感じがするねぇ」なんて、ホッとさせてくれる感想を同行者にささやいてるのが聞こえたりもするのでした。


猫も杓子もとは言うけれどこの頃のエコ流行りはなんだか「エコも杓子も」と言いたくなるようなのが多くて、日本のエコってなんでこう表層に流れてしまうものばっかりなんだろうかと悲しくなるのだけれど、そもそもこんなたわいもない人工と自然の違いさえ見極められなくなってしまったこの国の人たちに、自然を守ろうと言ってみても、その守るべき自然像が曖昧模糊としているのでは、そもそも具体的方策のとられようはずもないのだと、悲しい納得を飲み込みかけ、いやいや何とかしなくっちゃって思い直したりするのでした。




さて、良い天気が続いていたというのに、出張やらが立て込んでいて3日後にやっとまたここに来ることが出来た。
マツボックリは無事に奇妙な行列をやったままだった。

先日のように、いけ好かないジジイが蹴散らかしていったりなんてことも、あれから無かったのは何とも嬉しい。
カラスだってネコだって、僕のささやかなイタズラには優しい無関心でいてくれたのに、一番共存が難しいのはやっぱり人間だって改めて思い知らされるのは、やっぱり嬉しい事ではないからねぇ....ハァ~~~涙




カサも綺麗に開いて、これならもう倒れる心配もないね。








はじめてオジサンを食った日

2009-03-14 19:05:00 | ノンジャンル
いくつになっても、人生初めての経験ってあるもんなんだよねぇ。

それにしてもまぁ、出会いってのは、なんでまたこういつも唐突なんだろうねぇ。
まさか新宿で遭遇するとは思っていなかったね。
奴のテリトリーが主に西日本と聞いていたんで、いきなり目の前を横切ったときには目を疑った。
いや、小躍りしたい気分だったんだがねホントは。

でもねぇ、いきなり手を出したんじゃぁ、いかにもがっついてるって思われちゃうだろうし。
なんでも、愛媛の方では「ひげいち」って呼ばれてるらしいんだが、関西方面ではただ「オジサン」って呼ばれてる。
だから、こんなところでいきなり「ひげいち」なんて呼ぶのは、やはりためらわれたのだが、かと言って「オジサン!」ってのもなんとも間が抜けている気がしたのだ。
若い子が言うんならともかく、僕みたいな年代のオヤジが「オジサンが欲しい。オジサンが食いたい!」って、あんまりじゃない?
A(^_^;


奴はバーとかでは見かけることもなく、もっぱら小じゃれた料理屋なんかでおつに清ましてるだとか、そんな噂ぐらいしか知らない。
フレンチレストランで見かけたと言う人も。
とは言え白状すると、僕が奴を意識しはじめたのは子どもの頃からで、顎の下の立派な髭がトレードマークだった。
今思えば、僕って小学校の頃から髭専の気があったって事になるのか?>チガ~ウから!


そんな長年の憧れだった奴が、今僕の目の前でみんなのさらし者になって回されている。
もうすこし、何というか改まった感じでお目に掛かりたかったような。
でもまぁ、「さぁ食え!」と言わんばかりに、僕の目の前にむっちりとした奴の肉がほんのり桜色をおびて差し出されて居るんだからタマラナイ。

再び僕の番が巡ってきたときには、さすがにこらえきれなくなって思わず手を出した。
ウム、良い色だ。
いきなり頬張った。
と、何とも深い至福感が訪れた。

あぁ、ついに長年の夢が叶ったんだ。

が、移り気な僕は、もう他の奴へと興味が移っている。
奴のために弁護しておくけれど、決して大味だったとか、冷凍マグロみたいだったとか、そんなんではないのだ。
僕的には、もちろん、めっちゃ趣味!
でもねぇ、立て続けに僕ばっかりがっての、アレじゃないですか「何あのオヤジがっついて」って思われるじゃないですか。

それと、年のせいでやっぱ好みが淡白になってるのもあるしね。
欲望に身を任せて、ついお腹いっぱいなんてのもねぇ。
一応、ペース配分は考えるわなぁ....。
でもね、西の方で再会したら、やっぱり手を出すだろうなぁ。
いや、ホンマホンマ。






まさかこれを、回転寿司で食えるとは思ってもいなかったね。
ラッキーなような、ちょっと勿体ない経験のような。
オジサンは白身の魚で、鯛よりは旨味が強いし、ちょいとコリコリした感じが良かったな。


市場魚介図鑑によると、魚貝類の物知り度としては「これを知っていたら通」なのだそうな。
もっとも、「関東では食用として流通することは非常に希で、関東の市場への入荷は少ない」んだそうで、「釣りでは伊豆七島や西日本でお馴染みの魚」ってな話し。
関東勢が知らなくたって、まぁ無理もないのだね。

オジサンって名前は、顎の下の長い髭によるんだそうだけど、飼育生物解説によると
「泳いでいるときは下顎のみぞにたたみこみ、海底でエサを探すとき、その髭をせわしなく動かして小動物などを探して食べる。髭は舌の役目をして、味を感じることができる。」
なんて書かれていてね、生きものによって髭の機能もこうも違うものかと感心させられたり。
僕らなんかだと、悪さした時に、たまに相手の匂いが髭にこびり付いたりはするけれどさ。

オジサンは、地方によって色合いも模様もかなり違う
ちょっと見は別の種類の魚みたいのまでいるんだけれど、味は同じなんだそうな。

今度関西方面に出張したときは、寿司屋とか市場で探してみようかなって思うのだ。
関西のオジサンは、こっちで食べたのとホントに似たり寄ったりの味なのか、ちょっと興味なのだ。

ついでながら、この日に食べた変わり種がもう一つある。
ノレソレ




ノレソレも、関東方面ではほとんど見かけないね。
市場魚貝類図鑑でも「食べる習慣があるのはやはり西日本である」とのこと。
僕がはじめてこれを食ったのも、土佐の高知でだった。
僕はてっきりウナギの幼生だと思ってたんだけど、「マアナゴのレプトケファルス(稚魚)であるというが種名は明確ではない」ってのが真相だったんだね。

なんでまた僕がウナギの幼生だと思ったのかって言うと、昔スペインに行ったときとあるレストランのメニューにAnguillasってのを見つけてね。



アンギラス
いやぁ~ぜひ食ってみたいとか思って、一応辞書で確認したらウナギの幼生だったなんて事があったからなんだけどさ。



淡雪も鳥の通い路

2009-03-06 19:31:15 | ノンジャンル


雪の日の翌朝、山の斜面に日が射すのを待ってシャッターを押す。
梢をうっすらと雪の花が覆う。
この軽やかな眺めは、ドカ雪なんかの後では返って望めない。





雪が融けてしまわぬ内にと山道を登っていくと、冬枯れた野のくさぐさにも粉雪の花が灯っている。

 心ざし
 ふかく染めてし
 をりければ
 消えあへぬ雪の
 花とみゆらん
    古今集 よみ人しらず

確かこんな歌があったよねぇ。
春を心待ちにするのは、今も昔も変わらないってことかな。




時ならぬ花盛りの山道に浮き浮きしながら、更に歩みを進める。

 霞たち
 木の芽もはるの
 雪降れば
 花なき里も
 花ぞ散りける
  古今集 紀貫之




向かう先は、リスの餌台を作った、まぁ仮に「リスの広場」なんて何のひねりもなく呼んでおこうと思っている、先日の場所。

餌台へと渡したリスのための渡り廊下にも雪が積もって、朝日に輝いていた。
ちょうど木漏れ日の落ちているあたりに、枯葉を並べてみる。




早春の日射しの移ろいは思いのほか早い。




カメラを向けている内にも表情が変わっていき、止まることがない。





と、すぐ近くにシジュウカラの警戒音を聞く。
チチチチチッ!っと鋭い鳴き声は、何だか叱りつけられているような勢い。
見ると、ほんの1m先の枝の間に、数羽の群れが来てこちらを見ている。
彼らの聖域に侵入した不埒者を追い出そうというのだ。

「なんだ、こんなに近くにまで寄ってくるんだったら、目隠しなんか要らなかったのかな」なんて思いながらも、いそいそと立ち退く。

観察用の目隠しの陰に回り、改めてカメラを向けて待つと、今しがた置いたばかりの餌をついばみにやってきた。




それでも、気の強い連中ばかりではないらしく、一粒くわえるやいなやすぐ下に散乱したままのソダの中に隠れて殻をつついていたりする。




果敢な連中が次々と戦利品をかすめ取ってくるようになってくると、次第に群れは大胆になってきて、餌台の上でゆっくり食事をはじめる者も出てくる。




お気に入りの一粒をくわえると、足場の良い餌台の縁に移動して......




両足で挟んで、一心不乱に殻をつつく様子はなかなか愛らしい。
早く連中と紳士協定を結んで、至近距離からのんびり撮影したいとも思うのだけれど、それでは野生が失われてしまうねと思い直したりもする。

ひとしきり撮影もしたので、午後の予定は周りの様子のチェック。


目指すは、去年一番最初に作った餌台だ。
昼休みの後出来てみると、雪はほとんど融けてしまってましたね。
春の淡雪は、儚いねぇ。




縁に飾った木の実もなくなっています。
周りにも落ちていないので、鳥たちがついばんだんじゃないかなって思うんですよね。
周辺の林の中も、実を着けたままの枝はすっかり無くなってしまっているし。
この餌台に飾った実が、確か一番遅くまで残っていたんだからねぇ。




餌台の中を覗いてみると、山盛りに入れてあったクリやドングリはほんの数個までに減っていました。
餌台の足下にはドングリの殻やクリのしいながいくつか散らばっていました。
それだけじゃありません、餌台の中に入れてないはずのヒマワリの殻がいくつか見つかったりして。
ってことはこの餌台の周りに立てた新しい餌台に入れておいたヒマワリをくわえてここで食べていたって事になりますね。




さて、周囲の林を調べに行っていた仲間が戻ってきて、鳥の群れが見られたのはこのエサ台を置いた周辺に限られているってなことを教えてくれました。

どうやら、この2日間に見かけた十数羽の混群がここを利用しているようです。
たぶんここの木が切り払われる前から見かけていた連中なんでしょうね。
と言うわけで、この餌台たちは間伐による影響を最小限に抑えてくれているようです。

気をよくした僕たちは、ここを観察スポットとしてふらりと散歩に来た人たちにも使いやすくなるようにって言うんで餌台を並べた小径からリスの広場へと階段を造ることにしました。
材料はもちろん間伐したままになっていた枝や幹(えぇ、放置していたらエコスタックって呼ばれてしまう運命の)です。

階段の設置場所は、この冬の間に何となく出来てしまった踏み分け径を流用することにしました。
そうすれば改変する場所が最少に抑えられるだけでなく、感覚的にも利用しやすく(人間が作った獣道みたいなものですね)自然に足が向く階段になるわけです。

よくある公園の、いかにも図面の上だけで位置を決めた感じの小径って、まず例外なくあらぬ場所に踏み分け径が出来てますよね。
径のカーブや周りの障害物、木立やビューポイントとの配置関係を考えずに、図面上の平面的美観だけで線引きすると実情に合わない散策路が出来て、そこを利用する人たちがショートカットルートを造っちゃうんですよね。
で、たいていの場合そっちの方が歩きやすいし理にかなっている。
A(^_^;


でも、ほとんどの場合、公園側はその踏み分け径に進入禁止の立て札なんか立てたり柵をしたりしている。
でも、いくらそんな障害物を作ってもすぐにまた人が踏み込んでいく。
散策路をデザインした人は、自分の不明を恥じてルートを付け替えるのがいちばん良い解決策だと思うんですけどねぇ....そうすればもっと洗練された公園デザインへの道も開けると思うのだけれど.....。

そう言えばこんな話しがあったっけ。
母校のキャンパスの庭が整備されたとき、新しい庭にはまっすぐの径が1本もなくなってたんですよね。
なぜだか聞いてみたら、設計者が雪の日に通行人が残した雪の足跡を見てひらめいたんだそうです。
雪の上の足跡は、どれ一つ取ってもまっすぐのものはなかった。
これが人間の気ままな歩き方の本性なんじゃないかってね。

まぁ、実際出来たキャンパスの庭は、歩き良くはなかったんですがね。
地形の細かな起伏や、目的地(例えば図書館の入り口)までの主要な最短ルートはやっぱり意識して造る必要があると思いましたねぇ。
最短時間と最短距離で移動したい目標物へのルートは、やっぱり直線的な方が使いやすい。
のんびり散策しながら小径沿いの色々を発見しながらってな、くつろぎの場所はウネウネと綾のある方が面白い。
発案者は、自分の発見に余りにも強く愛着を持ちすぎたんでしょうね。

話がそれた。





階段造りをしていたら、落ち葉の下からこんな物が出てきました。
えぇ、リスがかじったクルミの殻です。
ネズミと違って、殻の合わせ目にそって囓るのがリスの特徴。

どうやら階段脇に生えている若いクルミに以前からやってきていたようです。
リピーターがいたんですね。

ってことはこの場所にリスの観察スポットを造ったのは正解だったって事ですね。
地形や林の様子からここがよかんべって、スタッフたちとの感で決めたんですけど。
それだけ僕たちの感性が、獣じみてるって事?


それはさておき、今年はここを拠点に、更に色んな観察スポットや環境回復のためのオブジェを配置していこうと思っています。
もちろん、子供達のボランティアも交えてね。
楽しみ楽しみ.....