ファッションが個性の主張なのか、はたまた没個性の極みなのかは意見の分かれるところだと思う。
その服が象徴するところのヒエラルキーを身にまとうと言うこと、演じると言うこと、本当のアタシ、あるいはホントでない俺になったかのような感覚をもてあそぶこと。
早い話、中身の品質は問わないことにして、ラッピングに凝る遊びだったりしないだろうか?
とはいえ、タカシマヤだとかイセタンの包装紙を開けてみたらバイブだったなんてのも、嫌いではないのだけれど。>ぼかっ!
自分の本質を変えるよりも、見かけを変える方が遙かに手軽なのは言うまでもないこと。
別の楽しみもある。
TVカメラの前にオーバーオールを着て行ったり、チェックのシャツを羽織っていったりするのも、自分を積極的に記号化して、より深い理解と言うよりはむしろ表面的に扱われることで、僕を見る人間が一種思考停止状態になり、個人の領域まで踏み込むのを忘れさせる効果を期待していたりする。
実際、それは十分な役割を果たしてきた。
というわけで、僕はファッションに興味がない。
そりゃぁ、たまにパリコレとか見るのは面白いし好きだけれど、時計やら靴やらはやりのジャケット、有名ブランドに血道を上げる方ではない。
たまたま気に入ったデザインの物があったら買うことはあってもね。
それ以外の時には、単純に上に挙げたような「機能」としてとらえていたりする。
実際、僕がたまに、ニコルだのメンズビギだのを身につけていても、誰もそれと気がつかない。僕の一部になってしまっているから。
きっと、アバクロを来てもユニクロに見えるだろうし、エディーバウアーを羽織っても虎一に見えてしまうに違いない。
しくしく。
何が言いたいのかって?
コスプレってのに、どうもなじめなかった僕だけれど、何の抵抗もなく受け入れることが出来るようになったような気がするなぁってな話しだったのだ。
ぶはははは
いや、困ったことに、何の抵抗もない。
正確に言うと何の感慨もない。
ただ、実際に仕事をするときには、こんな格好はしないなぁとかは思うのだ。
実際にはもっとシンプルに、もっと機能的な格好で動いている。
なので、地下足袋を履いたからと言って、カウパー氏腺液がにじむと言うこともない。
不感症である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/6f/1e9e9ad99cbf7992f24ac1f58bcd7b59.jpg)
とはいえ、舞台衣装は重要だ。
少なくとも、口を開くまでは、その人となりを覆い隠してくれるからね。
なので、安物をひとそろいそろえようかとは思っている。
台詞回しは、もっと後の話しになるだろうね。
まだ買ってないのは、地下足袋かぁ。
あんまりそそられないねぇ。
学生の頃、牛糞のにじんだのをはいていた記憶とか、ファンタジーとはかけ離れた、あまりにリアルな記憶がまだ残ってるからねぇ。
いずれにしても、愛情を持ってする仕草を、愛情を持って受け止めてくれるのでなければ、あらゆる行為は心に届くこともないのだから。
それは、チェックのシャツでも、ブランド物でも、土方着でも、ネクタイにスーツでも、変わる所はないんじゃないかって思ってるのだよ。
本当の快楽は、その遙か先にあるのだし。
表層的に相手を受け止めている間は、
得られる快楽も表層的なものでしかない。
そのことは、すでに体が知ってしまっているし。
その服が象徴するところのヒエラルキーを身にまとうと言うこと、演じると言うこと、本当のアタシ、あるいはホントでない俺になったかのような感覚をもてあそぶこと。
早い話、中身の品質は問わないことにして、ラッピングに凝る遊びだったりしないだろうか?
とはいえ、タカシマヤだとかイセタンの包装紙を開けてみたらバイブだったなんてのも、嫌いではないのだけれど。>ぼかっ!
自分の本質を変えるよりも、見かけを変える方が遙かに手軽なのは言うまでもないこと。
別の楽しみもある。
TVカメラの前にオーバーオールを着て行ったり、チェックのシャツを羽織っていったりするのも、自分を積極的に記号化して、より深い理解と言うよりはむしろ表面的に扱われることで、僕を見る人間が一種思考停止状態になり、個人の領域まで踏み込むのを忘れさせる効果を期待していたりする。
実際、それは十分な役割を果たしてきた。
というわけで、僕はファッションに興味がない。
そりゃぁ、たまにパリコレとか見るのは面白いし好きだけれど、時計やら靴やらはやりのジャケット、有名ブランドに血道を上げる方ではない。
たまたま気に入ったデザインの物があったら買うことはあってもね。
それ以外の時には、単純に上に挙げたような「機能」としてとらえていたりする。
実際、僕がたまに、ニコルだのメンズビギだのを身につけていても、誰もそれと気がつかない。僕の一部になってしまっているから。
きっと、アバクロを来てもユニクロに見えるだろうし、エディーバウアーを羽織っても虎一に見えてしまうに違いない。
しくしく。
何が言いたいのかって?
コスプレってのに、どうもなじめなかった僕だけれど、何の抵抗もなく受け入れることが出来るようになったような気がするなぁってな話しだったのだ。
ぶはははは
いや、困ったことに、何の抵抗もない。
正確に言うと何の感慨もない。
ただ、実際に仕事をするときには、こんな格好はしないなぁとかは思うのだ。
実際にはもっとシンプルに、もっと機能的な格好で動いている。
なので、地下足袋を履いたからと言って、カウパー氏腺液がにじむと言うこともない。
不感症である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/6f/1e9e9ad99cbf7992f24ac1f58bcd7b59.jpg)
とはいえ、舞台衣装は重要だ。
少なくとも、口を開くまでは、その人となりを覆い隠してくれるからね。
なので、安物をひとそろいそろえようかとは思っている。
台詞回しは、もっと後の話しになるだろうね。
まだ買ってないのは、地下足袋かぁ。
あんまりそそられないねぇ。
学生の頃、牛糞のにじんだのをはいていた記憶とか、ファンタジーとはかけ離れた、あまりにリアルな記憶がまだ残ってるからねぇ。
いずれにしても、愛情を持ってする仕草を、愛情を持って受け止めてくれるのでなければ、あらゆる行為は心に届くこともないのだから。
それは、チェックのシャツでも、ブランド物でも、土方着でも、ネクタイにスーツでも、変わる所はないんじゃないかって思ってるのだよ。
本当の快楽は、その遙か先にあるのだし。
表層的に相手を受け止めている間は、
得られる快楽も表層的なものでしかない。
そのことは、すでに体が知ってしまっているし。