戸籍法ってのについて、ちょっと調べてみた。
だって、この夏、久々にホットな話題、でしょ?
186歳男性「戸籍上生存」十三代将軍・家定と同い年
戸籍上は生存する「超高齢者」の存在が相次いで発覚する中、山口県防府市は26日、186歳の男性の戸籍が残っていたことを明らかにした。男性が生まれた1824(文政7)年は、篤姫が嫁いだ徳川十三代将軍の家定が生まれた年だった。
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何ともホノボノするイイお話しじゃありません事?
戸籍法制定
ちょっと抜粋
明治4年(1871)4月、戸籍法が制定され、それまで各府県ごとに行われていた戸籍作成に関する規則を全国的に統一されました。戸籍法は、翌年に全国的戸籍を作成することを命じましたが、それによって作成された戸籍を「壬申戸籍」と言います。

明治4年の戸籍法を収録した文書の写真は
こちらから。
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明治5年(1872)2月1日に戸籍法が施行され、日本で初めての本格的な戸籍制度が開始された。この年の干支が壬申だったことから
壬申戸籍と呼ぶ。
封建社会を打破し、中央集権を目指す明治新政府において「家」間の主従関係・支配関係の解体は急務だった。新政府は戸籍を復活させ、家単位ではなく戸単位の国民把握体制を確立した。「家」は国家体制とは関係ない私的共同体とされ、新政府は家を通さずに個人を支配できるようになった。しかし個人単位の国民登録制度ではないため、婚外子・非嫡出子問題などの戸に拘束された社会問題も現れた。
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してみると、徳川十三代将軍家定と同い年の彼は、戸籍法が施行された年には48歳だったんだね。
後日、ショパンと同い年、長崎県壱岐市の文化7年(1810年)生まれ200歳男性の戸籍が残っているってなことが発表されて、影が薄くなっちゃったけどさ。
2010年8月28日 読売新聞
明治5年の時点では62歳、ありうる話し。
それにしてもまぁ、こう暑くちゃぁ、チョイと頑張りすぎただけでシヲマネキ、なんて書いたのも束の間。
ホントなら涼しくなって過ごしやすくなるはずの夜中に熱中症で死亡だなんて、かつての日本では考えられなかった話しが続くねぇ。