くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

愛のお守り

2006-11-21 22:33:57 | ノンジャンル
いや、それ以前に、そもそもお守りが必要な状態なのか?というつっこみもあるが、それはまぁおいといて話を進めよう。
A(^_^;

実は、去年の今頃から、ずぅ~っと気になっていたことがあった。
花園神社の紋章のことだ。


去年これを僕は、麦じゃないのか?ってなこと書いたんだけど、その後で友達から稲だと思うけどと言う指摘を受けたのだった。
たしかに検索してみると抱き稲とある。
ちぇっ、やられた。
そりゃまぁ、神社は弥生文化と共に日本にやってきたんだろうから、そしてもともと日本にあった聖地の上に建てられた(縄文文化をつぶして、あるいは共存する形で)んだから、稲がシンボルというのは一番妥当なところだった。
でもね、例外の一つぐらいあったら面白いんじゃないかなって思ってたんだよね。

でも、気になることが何点か。
麦なんじゃないかっていう結論に達するキーになってた、例えば麦神事とか、花園神社の社務所だけで配られるという麦の穂の着いた熊手ってのはどうなんだろうかってね。
麦神事の方は、花園神社のホームページにも載ってたから間違いないとして、熊手が気になってたのだ。
で、チョイと足を伸ばして、一人で偵察に行ってきたのだよ。
麦の穂の着いた熊手がなくても、何はヒントぐらいつかめるかもってね。

例えば、昔はポピュラーだったカンザシ型の熊手ってやつも、今ではすっかりなりをひそめちゃってる。
これね。

今じゃ、博物館でしか見られなくなってるってな話しだったけど、去年、花園神社の酉の市で見かけてね、そこのおばぁちゃんに売ってくれって言ったら、非売品だって鼻にも引っかけられなくて悔しがってたんだけどさ、今年行ったらそのババァ、山ほど売ってやがる。
A(^_^;

そんな調子で、いったん消えた物でも、何かの拍子に息を吹き返さないとも限らないじゃないですか。



ってか、こいつの専門店と化していた。
確かに、年寄り一人でやってるんだから、軽い荷物の方が良いよね。
でも、売れ行きの方は今ひとつの様子。
だってねぇ、この手の粋さがわかる御仁ってのも少なくなったんじゃないの?
昔は、芸者遊びに行く時チョイと一つ二つ買っていって、贔屓の女の髪にさしてやったらしいけど。
三の酉でも出してたら、買ってあげようかしらん?
そんでもって、二丁目界隈に繰り出してさ。
あ、行くとこみんな短髪だわさ。(>_<)



屋台と鬱陶しい人混みの隙間をすり抜けながら、チラッと目に入ったのがこれ。
アメ細工って、進化してるのねぇ。
恐竜なんて、なかなかイイできじゃん。


ご本殿をお参りして、社務所の神社グッズコーナーへ。
う~ん、稲のしかないよねぇ。


で、念のため本殿の臨時販売コーナーも覗いてみるが、やっぱり置いてない。
ちぇっ!


帰りかけて、ライトアップされた御輿を見て、ふと思い出して、お稲荷さんにも立ち寄った。
後で社務所でもらった「花園神社縁起」によれば、吉野拾遺上に
『おなじみかど(後醍醐天皇)花山院(京都)をひそかに出御ならせ給ひて、大和の方に赴かせ給ひけるに、いと暗き夜なりければ、御伴に侍らひける人々も如何にせんと侘び合へるを聞かせ給ひて、「此処は何処の程にや」と尋ねさせ給ひければ、忠房の侍従、「稲荷の御前にこそ」と奏したまへば、

 ぬば玉のくらき闇路にまようなり
 われにかさなんみつのともしび(三の光)

と御歌ありて伏し拝ませ給ひければ、御社の上より、いと赤き雲一群立ち出で来て臨幸の道を照らし送りて大和の内山に入らせ給へば、雲は金の御嶽(金峯山)上にて消え失せにけり、まさしく御伴に侍らひて見しことにこそ』
とある。
新宿三丁目界隈を三光町と言ったのもこれに由来するとか何とか。
いずれにしてもそっち系というか古いというか由緒正しいのよね。


あぁ、ありがたやありがたや。
(^。^)
と、見ると、これまで気がつかなかった小さな張り紙が。
なになに?夫婦和合のお守り、本殿社務所にお問い合わせください?
さっき見た時、それらしいのなんか無かったと思うのだけれど。
取って返して聞いてみると、神主さんが隠しの引き出しからおもむろに取り出したのがこれ。


なるほど、言わなきゃ出してくれないのね。
で、だめもとと思って聞いてみた。
「物の本で、こちらではかつて麦の穂を着けた熊手を配っていたと読みましたが、今では扱っていないのでしょうか?」
すると神主さん、そのような物は扱っていませんが、詳しい者がおりますのでしばらくお待ちください、そう言って引っ込んでいった。
で、しばらくして戻ってきたんだけれど、あいにく席を外しているとのこと。
うむぅ~、こりゃぁ三の酉も来ないといけないね。

で、やっとここから本題なのだ。
夫婦和合のお守り、何が入ってるか見たくありませんか?
そんな罰当たりなと思う方は、この辺で退散してくださいね。
これを開ける時に、友達たちが『開けちゃうと御利益が無くなる」って言うけど、僕はそんなこと無いって経験済みなので開けちゃうのだ。

そう、たしかにね、中身を見ちゃうと、なぁ~んだって思って信じなくなっちゃう人の方が多いかもね。
でもね、お守りってね、そう言う単純に物質的形状的外観的なもので効力を発揮してるんじゃないんですよ。
たぶん。
じゃぁ、なんで開けるなって言うのかって?
その手の感受性のない人には、見ない方が多少なりとも神秘性という演出が残るでしょ。

2丁目のとある、イタコバー(こらこら)のマスターに言わせると、お守りを直接肌に着けたままにしてると、体が弱ったりするからダメよって言われました。
それはそうかもと思います。
だって、家の実の妹なんか、前にも書いたけど、宮島のお守りを直に触ったとたん、雷に打たれたみたいになって1時間ほど動けなくなってたくらいだし、僕も秋吉台秋芳洞の中でうじゃうじゃいる何かに取り憑かれた時、その小さなお守りの方を直に体にこすりつけて難を逃れたりしてますからねぇ。
ま、これには、恐~い後日談があるんだけど、それはまたそのうちにね。

さて、じゃぁ見てみましょうか。





予想に反して2つ入ってました。
ま、考えてみれば当然のことなんですけどね。
で、中身はと........




これをもう1セット買って、チンコ2本のお守りにしようかななんて思ってます。
罰当たり?
えぇ?明治頃まで衆道も盛んだったんだし、日本の八百万の神はこの手のことにも当然の事ながら寛容だと思いますよ。
ははは

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (モッコ親父)
2006-11-22 07:22:56
楽しいね、でも恐ろしいのかな。お守りね、欲しいような欲しくないような。微妙!開けてみたいのは当然ですね。
チンコ二つ 良いな。
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Unknown (熊小僧)
2006-11-22 10:39:00
ひゃぁ~こんなのが入ってるんっすね!
びっくりです。
これは金属製?
シルバーアクセみたいでちょっとかわいいかも。
でもおいらもお札を開けるのはやっぱ恐いなぁ。
くまえもんさんと花園神社に行ってみたいっす。
その酉って、何時から何時くらいまでやってんのかなぁ。
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Unknown (住職(jusyoku))
2006-11-22 11:40:11
紋はノギがないので稲の確率がやっぱり高いかと。

さて、お守り。
昔、あけた記憶があるけど、何が入ってたか思い出せないのは、そんなに印象のないものだったせいでしょう。
今回のは結構インパクトありますね。

別に開けて構わないと、同級生の巫女さんは言ってましたが。
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Unknown (くまえもん)
2006-11-22 20:10:47
開けてみてガッカリしそうな人は、開けないに越したことはありませんよね。

例)
開けたとたんに帰りたくなる、ゲイバーのドア>ぼか!


三の酉
11月27日(月) 前夜祭 
夕方6時から翌2時頃まで

28日(火) 本祭 
正午頃から翌2時頃まで

28日には戻ってきてるかな。
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Unknown (くまえもん)
2006-11-22 20:12:32
花園神社はこちら
http://www.hanazono-jinja.or.jp/mt/top/
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Unknown (くまえもん)
2006-11-22 20:16:31
裸麦は、明治時代からこの界隈で盛んに栽培されてたんだそうですが、紋章の決まった時期はもっと前でした。
この辺までは、去年の段階で調べてたんだけどねぇ。
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Unknown (くまえもん)
2009-04-18 13:01:50
神前に麦を供える高麗(こま)神社
http://izasaito.iza.ne.jp/blog/entry/494248/
神社の神饌といえば、たいていはお米です。ところがこの神社はお米ではなくて、小麦である、というところが興味深いのですが、それでは、なぜ小麦なのか。どうやら古代朝鮮の神話と関係があるようです。

高句麗の建国神話には、「建国の祖」朱蒙の物語が描かれています。母国・扶余(ふよ)を発ち、建国の旅に出る朱蒙に、母・柳花は五穀の種を与えます。ところが、別れの悲しみのあまり、朱蒙はこのうち麦を忘れてしまいます。旅の途中、木陰に休んでいると、2羽の鳩が飛んできました。「母が麦を届けてくれたのだ」と思い、朱蒙は一矢で2羽を射落とします。ノドを切り裂くと、はたして麦の種が見つかりました。

日本の天孫降臨神話では神から与えられるのは稲ですが、高句麗では麦なのです。
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宮園神社 麦餅つきまつり
http://www.nakatsue.com/blog/archives/2002/07/1.html
中津江村に400年前からある麦もちつき祭りと言う お祭りについて、語った昔話です。
 宮園神社には、麦もちつき祭りがある。 この祭りは、この地方を支配していた長谷部信連が、大友氏の命で、日田や玖珠の山賊の征伐に出かけることになり、 その先勝祈願のために始めた祭りであると言われている。 そして、餅米ではなくて麦をむいて、かしの木の長棒で、男達が盛大に暴れながらついていた。 餅つき歌というのがないので、みんなワーワーと言いながらつくだけだった。
 その時、とてもみすぼらしい女が現れて歌を歌ってくれたそうである。 そしてみんなが「いわいめでたやもっつきもっつき」と覚えたころ、 ふっとその女の姿が見えなくなった。 それで「今のは老松様かもしれない。」と祭壇のほうを、 ふしおがんだということである。
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諏訪神社大祭に合わせ神事「麦供え」 
http://www.47news.jp/localnews/gunma/2008/10/post_186.html
 甘楽町天引の諏訪神社大祭に合わせ、地元集落から境内に麦飯を運び上げる神事「麦供(ばくぞな)え
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Unknown (くまえもん)
2009-04-18 13:08:08
麦蒔御神事 〈むぎまきごしんじ:下之宮地区〉
日付:旧暦10月末の午の日の午前0時頃~旧暦11月初午の日の夜明けまで
http://www.town.tamamura.lg.jp/rekishi_bunka/matsuri/mati-mukeiminzoku.html
下之宮の火雷神社に伝わる祭りで、貞観4年(862)より始まり、五穀豊穣、災難よけの秘密の神事として神社の四面にシメ縄を張ります。旧暦11月初午の日の夜明けに祭りがあけるまでの13日間は一般の参拝が禁じられます。もし誤って入れば、天災が起きるといわれています。また、氏子の家でも鳴り物や高声は慎まなければならないと伝えられています。深夜に行われるこの神事は、古代の祭りの様式を伝えるものとされています。
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富里市の指定文化財
■中沢麦つき踊り(なかざわむぎつきおどり)
http://www.city.tomisato.lg.jp/syoukai/bunkazai/bunkazai12.html
もともとは農作業中に歌われた作業歌で、歌詞はその場の雰囲気で即興的に作られ口ずさんでいたものでした。この労働歌に踊りが加わったものが麦つき踊りであると言われています。

 現在、「中沢麦つき踊り保存会」により継承されているこの踊りは、神社の祭日の10月17日に、早朝から準備が進められ、神事である「湯立」が拝殿前で執り行われた後に奉納行事として行われています。

 湯立神事を行った釜の回りに円を描くように並んだ踊り手は、麦をつく動きを取り入れた踊りを時計回りにまわりながら歌に合わせて踊ります。
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Unknown (くまえもん)
2009-04-18 14:59:36
麦から神輿
坂戸市四日市場地区の天王様の祭りで行われます。
麦わらで作った神輿を飾り立て、子供達が担いで町内を練り歩きます。
同様の行事は福井県小浜市にもあります(田神祭り)。
http://s-maturi.la.coocan.jp/mugikara.html
茨城県には「麦わら天王様」と呼ばれる遊びがあり、子供達が祇園祭の真似をして麦わらで神輿を作り、担いで遊んだそうです(現在も行っているかは不明です)。
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文京区駒込にある駒込富士神社
http://shampoo-milk.blog.ocn.ne.jp/kenken/2005/12/post_abf4.html
6月30日から7月2日までということで大祭

小高い富士塚を登ると“麦わら蛇”という護符と富士山の形をした麦落雁、そして江戸時代の駒込富士神社の賑わいを描いた浮世絵版画が授与品として売られていました。

中略

“麦わら蛇”は東京では最古の郷土玩具といわれる原始的なものでヒバの枝に麦わらで編んだ蛇、そして口には赤い舌が付いています。宝暦3(1753)年の川柳には「じゃと蚊の出るのは駒込の6月」と詠まれ、江戸時代のガイドブックである『江戸名所図会』にも「祭礼にて前夜より詣人多く道路に充り此の産物として麦藁細工の蛇をひさぐ」と記述があります。ということはこの“麦わら蛇”は江戸時代中期にはすでに授与されていたことになります。

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Unknown (くまえもん)
2009-04-18 15:49:42
稲紋について
http://www.belltree.org/emblems3.asp
鈴木家の代表家紋である稲紋の数は資料によっては50種類などとも書いてありますが、大図鑑ですでに213種類掲載されていました。

中略

紋章として史籍に初めて見えるのは『羽継原合戦記』で、『熊野鈴木は稲丸に榊也』と載っており、戦国時代にかけて多く用いられ、穂積姓の鈴木氏の代表家紋となった。(「鈴木と称する語も、穂積と称する語も同意義で、熊野地方の方言に稲穂を積んだものをススキと称しているため、その氏を鈴木といった。」)徳川時代には、大名の亀井氏をはじめ幕臣で四十余家が用いた。

鈴木氏の代表家紋であるが、他の使用家も鈴木氏に関連した一族が多い。

神紋としては、京都の伏見稲荷大社、敦賀市の気比神社、高岡市の射水神社、豊川市の稲荷神社など多くの神社が用いている。
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