くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

うしろからまえから

2008-09-23 17:16:07 | ノンジャンル
♪後ろから前からどうぞ  後ろから前からどうぞ
 後ろから前からどうぞ  いつでも抱きしめていいの

 やさしさの中に隠した 熱い野生
 二つの顔を持つ そんなあなたが好き
 つかの間の恋に おぼれてしまっていい
 あなたのその胸で 燃えてしまっていい

 例えば子供みたいに その瞳をふせて
 例えば獣みたいに 激しい仕草で

 後ろから前からどうぞ  後ろから前からどうぞ
 後ろから前からどうぞ  いつでも抱きしめていいの♪

    後ろから前から 畑中葉子



もうね、そんな気分の午後なの。


それにしても、ものすごいノリの量。
どろりと白くて、ネットリしてる。
そして部屋中に立ちこめる刺激的な臭気。

ニオイの強さって、若さとは関係ないよねぇ?
なんて、あらぬ事を考えてニヤニヤしてみたり。

汚さないように注意していても、冷静にやってるつもりでも、
思わぬところにまで飛んでいたり。
せわしなく手を動かしてるといつの間にか指にベットリついている。

や~ねぇ~、こんなところにも。

やっぱり気が動転しているのか、あちこちにつけちゃってるのに後で気がついて、
拭き取るのに大わらわだ。

それにしても持続力が無くなってきてるのは、やっぱり年のせいかねぇ。
立て続けに前から2回、後ろから2回も抜くと、もう無理って気分になるね。

で、まぁ今日のところはこれで良いことにして、手にこびり付いてるのをぬるま湯で落として、一息吐いている。

でもまだなんだかスッキリ抜けた気がしない。
A(^_^;





もうね、去年から頼まれてたんだよねぇ.....
で、去年、藍の苗を分けてもらって、だんだん殖やして、
今年はかなりたくさん育ったんだけどまだ収穫には間があるんで、
染料屋さんに行って足らない分を仕入れてきて染めてみたのだ。

藍で全体を染めて、その後で文字の部分だけ抜くのだけれど、
これが一筋縄ではいかないんだよねぇ.....。
この前、大阪に出張で出掛けたとき、偶然に創業130年って言う染物屋を見つけて色々聞いてきたんだけど、染め型も布地も乾き具合で大きさが変わるから、ピッタリ抜けないのは仕方ないんだって。

藍染め専用の還元剤を専用のノリに溶いて、裏側から表側から脱色するんだけど、
これを厚手の生地で寸分違わずやってのけられるのは、国宝級の数人だけなんだそうな。

化学染料使ってシルクスクリーンだとわりと簡単なんだけど、
結局はその程度の物しかできないんだってさ。
てな訳で、その辺の量産品じゃなくて一点物の藍染め暖簾だっちゅうことで....汗





え?
えべす?
突っ込みは無しの方向で。



男尻?

2008-09-16 23:08:47 | ノンジャンル

ダンジリって....
男の尻って書くんじゃないよねぇ? >(^^;)☆\ボカバキッ!!




岸和田だんじり祭りで着る鯉口を土産に買って、羽織ってみました。


後ろは重森三玲作の「八陣の庭」。
諸葛孔明の八陣法をテーマにしています。
岸和田天守から見下ろすと天地風雲龍虎蛇の各陣が配されているのがわかります。

写真じゃ伝えられない、格好良さと荒々しさの庭です。



岸和田城八陣の庭

重森三玲(1896年-1975年)のお孫さんにあたる作庭家重森千青(しげもりちさお)氏によると、
「庭園の紋様には、伝統的な青海波紋(せいがいはもん)や直線紋(さざなみもん)などがありますが、同じ庭師が同じ庭で描いても二度と同じものはできない。八陣の庭の場合、石の趣があり、普通の紋様では負けてしまうので伝統的にあるものを、自分流にアレンジして描くことで石との対比が美しく出てくる」のだそうです。






左の天陣と右の虎陣の間から眺めた大将陣

というので、楽しみに思いながら訪れた岸和田城でしたが、砂紋はただまっすぐの線が描かれているばかり。

岸和田城「八陣の庭」 現代日本庭園の最高傑作 重森三玲・昭和28年の解説に拠れば、
「庭は三段に構えて、各段は約20センチメートルの高さとして、古城の縄張りを美術的に造形して組み合わせたものである。庭園様式は遠く室町・桃山の手法に現代感覚をアレンジしたもので、立体的に盛り上げて巧みに線と稜を生かしている。」
と言うことなんですが、こんなまっすぐの砂紋では、せっかくの直線の縁取りが際だちません。
それに、せっかくの砂が持つ自由度も、生かし切れてないのが勿体ない。
やっぱり、最初に掲げた写真のような沸き立つ渦模様だったら、さぞかし躍動感に満ちた勇壮なハーモニーを楽しめただろうにと残念に思うことしきり。



画面右端の風陣側から、中央に聳える大将陣と城を望む

受付の人に聞いてみると、普段は地元のボランティアの方々が手入れしているとのこと。
込み入った紋様はとてもじゃないけど、素人の手に負えません。
で、いつもはこんなシンプルな砂紋なんだそうです。
ちょっとガッカリ。

城に向かう途中立ち寄った商店街の、お祭り用品店のオバチャンが「昔はそれは綺麗だったんですよ」と、しきりに残念がっていたのもわかる気がしました。


石の配し方に関する詳しい解説は、八陣の庭に。

ついでながら、色んな時代の日本庭園については、「日本庭園の美」をご覧ください。



天守閣から見下ろした八陣の庭

この日はあいにくの曇りで、砂紋が見えない分、何とも締まりのない散漫な印象を受けてしまいました。




さて、天守閣から見た庭の石組みは、こんな風になっていますが、読みにくいので図を元に戻しましょう。




気を取り直して下に降り、庭石を眺めてみましょうか。



虎陣

花開くかのように配された石組み。
と、言うよりは、これは僕たちを招き入れる待ち受けの花。
巨大な石の花だ。
重森三玲庭園美術館の庭の中央に据えられた石組みを思い出して欲しい。




そう、これ
石で活けられた立華と言われているこれです。

『庭園家としてしられる以前に、昭和8年に勅使河原蒼風らと生け花界の革新を唱え、「新興いけばな宣言」を発表(起草)した人物としても知られる。昭和24年前衛いけばなの創作研究グループ「白東社」を主宰し、その後、前衛いけばな誌「いけばな藝術」を創刊。重森邸を会場とした毎月1回の白東社の集まりには、中川幸夫などが参加していた。』
 重森三玲邸書院・庭園から抜粋。



天陣の石の間から眺めた大将陣。右奥は鳥陣。

身長よりも高い石が、すっくと聳える隙間から窺う景色というのもなかなかにスリリング。
さて、足早に見ていきましょう。



蛇陣

2つの大石が横たわっていますが、じつはもう一つあるんだそうです。
この角度からではわかりませんが、後ろの石は2つの石を直列に並べて、長い一つの石のように扱っています。




天守閣から見下ろした写真を見てもらうと、つなぎ目がわかります。



雲陣


龍陣

見る角度がほんの少し変わるだけで劇的に表情を変化させる石組みたち。
写真ではとらえきれない、無力感にさいなまれます。



風陣

石の上に戯れる光と影を楽しみながら、低く高く庭を巡りながら、やっぱりこれはここに来て実際に眺めてもらわなければ、伝えきれないねぇなんて思うのでした。



鳥陣から天守を眺める



鳥陣

鳥陣なんて、どうやったって、写真なんかに納まるつもりのない石たちだしね。



地陣

これだけ見ると、何とも地味ですが全体との絡みで見てみると....。




じつは天守閣下の石段を登ってくると、最初に迎えてくれるのがこの石たちなわけで、虎陣と大将陣が天守閣の両脇を固めるかのように見えるんですねぇ。
何とも決まってるじゃぁありませんか。

石を伏せる組み方が、この地陣の他にちょうど城の真下に当たる蛇陣と雲陣で使われているというのも、庭全体の構成から考えれば当然ですね。
それに、城のすぐ下に垂直に聳える庭石を置いたら、その卑小さが際だつばかりでしょ?
A(^_^;

そのまま天守閣の方へ歩いていくと、はじめの方で紹介した虎陣と天陣の脇を通って城に入るわけなんです。
僕たちは、城へ向かう最初のルート上で、水平で平坦な地陣、屏風のように立ちふさがる面を見せる虎陣、そして垂直に背伸びする直線の天陣という3大構成要素を体験させられるんです。

冒頭で鳴り響く3つの主題。
そして僕たちはその変奏を、庭を巡りながら体験する。
何だか後期ロマン派のシンフォニーの出だしのようじゃありませんか?
しかもこの3つの主題が、何ともロマンティック。
だって、天(天陣)と地(地陣)の間に命(虎陣)が花開くんだもの。

せっかくここまで来たのだから、天守閣に登る前に2巡り目のシャコンヌの、変奏の出だしを踊ってみましょうか?

シャコンヌ
それは、岩や流れや小道でしつらえられた通奏低音の上にの上に繰り広げられる変奏だ、果てしないアラベスクだ。
その旋律たちは、もつれあい発展し成長し夢見がちに歌う。

ってな事を去年の今頃書いたっけね。
話しを戻して、天陣の次には蛇陣が来ますよね。
垂直の直線の次に、水平の直線。
そしてその次に、雲陣。
平坦から次第に立ち上がるマス(かたまり)。
生成する、変化そのものを象徴しているのです。
あとは、これらの組み合わせから生まれる自由な変奏になります。




で、これが2層から見た大将陣。
8陣に囲まれている大将は、6角形というか六芒星状に配されて居るんですねぇ。
何だか、6枚の羽でまわりからのエネルギーを集めて天に向かって放射する装置のようにも見えませんか?
ストーンヘンジみたいじゃありませんか?
日本の北陸地方に見られるウッドサークルなんかも連想させられたりします。
ナスカの地上絵のようでもありますよね。
荒唐無稽な連想は、これぐらいにしておきましょう。
A(^_^;




そして、3層から見た大将陣。
周囲を5つの突起のある縁取りが囲んでいて、そのさらに外を囲む縁取り石のすべての線と稜が、地上で見たときに複雑に屈折し合い、変化に富んだ音律を引き出すよう仕組まれているのがわかります。


と、まぁ、予算難で本来の美しさが大幅に失われてしまったと嘆かれていた庭ではあったけれど、それでも地元の人たちの愛情で守られている庭でした。
岸和田お祭りによる結束の強い地域です。
この庭の美は、きっと守られ続けていくんでしょうね。