くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

Turkish Wrestlingはお好き?

2005-11-29 10:46:37 | ノンジャンル
藤本先生のサイトで紹介されてたやつなのだ。
す、すごいです。
ゴッツイヒゲ兄貴が、オイルまみれで股ぐらに手を突っ込んで....。
鼻血。
Turkish Wrestling
トルコ相撲たまんねぇっす!


これとか
「あぁっ、もっと奥!」
なんて、勝手に妄想がふくらんじゃいます。


これに至っては、ホントに健全なスポーツなの?
ごっくん
そんな感じになりませんかぁ~?

秘密の花園?

2005-11-29 00:56:57 | ノンジャンル
とあるお店の屋上庭園を整備しています。


少しずつ、時間をひねり出して、のんびりやってます。
これが何とも楽しい。
綺麗なだけじゃつまんないから、ミツバとかも植えてお通しに使えるようなのが良いかななんて、やっぱ、貧乏性かしらん?
ミツバ、ハラン、パセリ、ルッコラ、これじゃ家庭菜園か。
ははは


真正面のケヤキの木には、ちょうど目の高さあたりにカラスの巣が!
ご多分にもれず、ワイヤーハンガーで出来ています。
逞しいねぇ。
でも、巣の中には何にも居ませんね。
空の巣。
空き巣じゃありませんよ、カラスだけに空巣。>ぼかっ!

(写真は撮り直し中)
庭仕事で出た枝を、活けてみました。
この角度から見ると、なんかやたらとまとまりが無く見えるなぁ。
ちゃんとかっこよく活けてあるんですよ。
ほんと。
くやしいから、庭仕事の続きをやりにいくときに撮り直してこようっと。


過ちと悦楽と

2005-11-26 12:19:37 | ノンジャンル
一夜明けて、昨日の記事を読み返してみると、実に初歩的なミスをやらかしたことに気がついた。
とほほ。
やっぱり、書いて一晩寝かせて、もう一度読み返すという作業は必須ですなぁ。
時間をおくことで、妙な思いこみの呪縛から、多少なりとも自由になってるからねぇ。

で、その、初歩的ミスとはこれ。


花園神社の紋は、裸麦ですね。
二条大麦も六条大麦も小麦も、ツブツブの先っちょに長く伸びたヒゲがあるのだけれど、この紋章の麦にはそれがない。
昨夜は、2列に並んだ籾に目を奪われて、その細い線のあるなしを見落としていた。
裸麦なら麦ごはんや味噌などに使われていて、他の大麦類と同様、日本での栽培には長い歴史がある。

ってなわけで、この紋章が明治以降に作られた可能性は、綺麗さっぱりと消えた。
はぁ~ん、すっきり。

でもね、実のところ、花園神社の歴史は全然すっきりではなく、今の名前に落ち着いたのはなんと昭和40年(1975)。

昭和40年っていうと、作家・戸川幸夫が沖縄・西表島で頭骨と毛皮を発見したヤマネコが新種と鑑定された。「イリオモテヤマネコ」と命名された年。
いや、もっとわかりの良い例を挙げよう。
ドリカムの吉田美和と漫画家のさくらももこが生まれた年。
網走番外地シリーズ第1作、メリー・ポピンズが公開された年。
ブルーフィルム、フィーリング、モーテルなんて言葉の流行った年。
そして、アメリカが北ベトナム爆撃を開始し、黒人運動指導者マルコムXが暗殺された年。
僕は11歳。
NHKに僕の田舎は「文明不毛の地」と名指しにされ、子供心にも「本当にそうだ!」と思った年。
「こんなくだらない街、いつかきっと出ていってやる!」と。


徳川家康の江戸開府(1603)以前、徳川氏が武蔵野国に入った1590年より前に、大和吉野山から勧請され、新宿の総鎮守として重要な位置を占めていたと言われる花園神社の歴史から見れば、ごく最近のことなのだ。
それに、神社の場所も移されている。
これは昨日もチョコッと書いたんだけど、もう一度地図を見てもらおうかな。


花園神社は寛永年代(1624~1644)までは現在の場所より約250メートル南、今の伊勢丹デパートの付近にあったんだそうな。
しかし、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、社地は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまった。そこで幕府に訴えたところ、現在の場所を拝領することになったと言う話し。

ここからは長いので、箇条書きに。

初めて史料に花園神社の名が登場したのは、享和3年(1803)。
ただし、「花園」という名称が正式なものになるのはずっと後代のこと。

江戸時代には地名にちなんで四谷追分稲荷とも呼ばれていた。

三光院稲荷と呼ばれたのは、明治維新以前には神仏習合により神社と仏教寺院が同時に祀られることが多く、花園神社も真義真言宗豊山派愛染院の別院である三光院が合祀され、住職が別当(管理職)を兼ねる慣わしだったためであるといわれている。

明治元年 (1868)3月に維新政府が祭政一致の方針に基づき神仏分離令を発布し、廃仏毀釈が進む中で三光院は花園神社と分離され、本尊は愛染院に納めて廃絶となった。

この「廃仏毀釈」というのは、日本の文化に実に悪影響を与えたもののようですねぇ。

明治に入ると、「村社稲荷神社」が正式名称とされました。これは神名帳を提出した際に、誤って花園の文字を書き漏らし、「稲荷神社」で届出をしてしまったからだそうです。
なんとまぁ、トホホな話しじゃございません事?
まだ続く。

大正5年1月25日、東京府知事に対し社号の改名願を提出。同年2月26日に許可され、「花園稲荷神社」となった。

さらに昭和40年に、それまで末社だった大鳥神社を御社殿建替えと共に本社に合祀したことから、ようやく「花園神社」が正式名称となりました。

ふぅ。


いずれにしても、花園神社のメインはお酉様の大鳥神社ではなくて、さらに古い歴史を持つおいなりさんの方なのだね。
それは、靖国通り側、つまり、伊勢丹側からの鳥居をくぐったすぐ中の様子からもわかると思うのだ。
どう見ても、おいなりさんだよね。
つまり、花園神社は縄文チンコパワーがメインのエネルギー源になってる場所なのだ。

ところで、現在の場所は適当に決められたのかというと、僕はそうじゃないと思っている。
地形的に見て、現在の位置に縄文遺跡はいかにもありそうな場所なのよね。
でも、参考のために載せたアースダイバーの地図には遺跡のマークが付いていない。

実の話し、この本を買って僕が真っ先に確認したのは、この地図の精度だった。
今年の夏頃まで遺跡の調査をしていた場所が、青梅街道を中野坂上の方へと下っていった所、淀橋の手前にある。
今はもう埋め戻されてしまって、その弥生遺跡は見ることが出来ないけれど、その地点がアースダイバーの地図に記載されていないことを、僕は真っ先に確認したのだった。それで、この地図全体の精度のおおよその察しがつくというのもなのだ。
少なくとも、2年前よりも最近の成果は載っていない。

それに、その本の著者自身も書いている。
「東京の裏庭を掘れば、縄文遺跡がごろごろですよ」
未だに発見されない未調査の遺跡なんてのがひしめいているのが、この東京なのだ。
そして彼はこうも書いている。

「縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊性を感じていた。そのためにそこには墓地をつくったり、石棒などを立てて神様を祀る聖地を設けた。
 そういう記憶が失われた後の時代になっても、全く同じ場所に、神社や寺がつくられたから、埋め立てが進んで、海が深く入り込んでいた入り江がそこにあったことが見えなくなってしまっていても、ほぼ縄文地図に記載されている聖地の場所にそって、「無の場所」が並んでいくことになる。つまり、現代の東京は地形の変化の中に霊的な力の働きを敏感に関知していた縄文人の思考から、いまだに直接的な影響を受け続けているのである。」と。


僕は、こんな散策を通して、僕の中の縄文人的感覚を呼び覚まそうとしているのかも知れない。
何が見つかるのかって?
浅草寺と新吉原の例をあげるまでもなく、聖域と色町はセットになっているものだ。
二丁目と花園神社もそう。
死と性はいつも仲良く手を繋いでいる。
死を強く意識すれば、生きることの儚さを肌に感じ、愛も深みを増すというものだ。
そして、当然の結果として、感覚はとぎすまされ、より深い快楽を手に入れる。
僕は、今回の台湾旅行でそれを実感した。

死を忘れた人間というものは、どこまでも強欲になる。
そして、愛の喜びから遠く離れた所で暮らすことになる。
同時に、本当の陶酔からも。
つまり、強欲な人間というものは、ただ生きていくだけで、その不毛な感覚によって日々罰せられているようなものなのだ。
そんな話しは、まぁいい。

ちょっと一休みしよう。

やっぱり、裸はのんびりするねぇ。
無らいの土方の日に撮ってもらったのだ。
お目汚し、ご無礼。


パズルのピース

2005-11-25 21:54:57 | ノンジャンル

先日、2丁目で呑んでいて小耳に挟んだ話し。
「花園神社には、チンコが祀ってあるんだって?探しに行ったんだけど見つけられなかったよ。」

謎を解く糸口というのは面白いもので、ある程度まで調べすすんでいくと、こんどは自然に集まってくるようになる。
折しも、花園神社のおいなりさんについてまとめようかなぁなんて思っていた矢先の話しだったんで、あまりのタイムリーさにちょっと驚かされたのだった。

例の「アースダイバー」という本によれば、神社に祀られているおいなりさんというのは、縄文遺跡との関係が深いんだそうな。主に東京界隈の話しですすんでいる本なんで、あるいは地方に散在するおいなりさんの場合には、例外も多いのかも知れないのだけれどね。


そもそも、神社仏閣というのは、それが建てられる遙か昔からの聖地だった場所が選ばれるというのだ。
で、おいなりさんというのは、そもそも、古代からの聖地、つまり縄文遺跡の横穴式墓地だったところに住み着いたキツネを祀ったものなんだと。

縄文の頃からの神聖な物というと、やっぱり男根になる。
バーでの会話ですぐに思い立ったのが、このおいなりさんだった。
きっとここにあるに違いないと、そう思ったのだ。

いつもの靖国通り側からでなく、明治通り側から入ってみる。
その方がおいなりさんには近いのだ。



鳥居をくぐるとすぐ右手に、芸能浅間神社なんてのがあった。
この後ろは一段低い土地になっていて、いかにもかつてはここが丘陵の端だったことがわかる。
縄文時代、この後ろには入り江が入り込んできていたのだ。
縄文や弥生の遺跡は、きまってこんなところに残されているのだそうだ。

ここの鳥居の右側には「圭子の夢は夜ひらく」なんて歌碑があったり、奉納者のトップに唐十郎が居たりで、なかなか華やか。ってか、すえた大人の匂いを発散している一角になっている。>こらこら


なおも境内を分け入っていくと、おとり様の賑わいの最中には、屋台やら何やらで隠れていた祠が、あっさり見つかった。
何のことはない、まっ赤に塗られて御利益も3倍早くなっている今風のおいなりさん(意味不明)のすぐ後ろに隠されていたのだ。
むむむ、こっちの方が由緒正しそう。
と、祠の右後ろに、何かぶっとい石の棒が。


あな、おいたわしや。
その逸物は亀頭がかけ、陰茎の中ほどでぼっきりと折られた痕が。
なんと激しい使い方をしたのであらふか。>ぼかっ!


横から見ると、不釣り合いなくらい大きな亀頭だ。
いやぁ~ん、タイプじゃなぁ~い>?そう言う問題じゃないような
僕が今までに見てきた縄文時代の男根神とは、なんだか様子が違うのだ。
で、よく見ると、陰茎の根元に「稲荷」と彫ってある。
どうもこれは新しい物のようだね。
きっとご本尊は祠の中にしまわれているのだろう。
ありがたやありがたや.....。


それでもまぁ、堅そうなチンコだったんで、なかなかの成果だと満足して本殿にお参りに行く。
と、今まで頓着してみていなかった物が目に入った。
お賽銭箱に並んだ三種類の紋章だ。


一番左の三つ巴が雷電神社、真ん中が花園神社、そして右が大鳥神社。


雷電神社は、この際ちょっとおいといて、今回問題なのは花園神社のこれ。
二条大麦の紋ってのが僕にはビックリその1なのだ。
大麦なら弥生時代にすでに日本に入ってきてるからわかるんだけど、二条大麦の紋ってのが、解せない。二条大麦はビール麦とも言われるもので、デンプン質がよく蛋白含有量が少ないことから、もちろん焼酎にも使われる。ただ、この大麦は明治になってから日本に入った物なのだ。
つまり、神社の紋の割にはやけに新しいデザインと言うことになる。何かありそうだ。


もう一つの手懸かりはこれ。
大鳥神社というのだから、前にも書いたようにこれはツルではなくて白鳥なんだろうねぇ。

ただ、これでは、この前からなかなか辿り着けないでいる神話的思考のキーの「鷲」と「北斗七星」にはまだまだほど遠い。
やっぱり、浅草まで行かなくっちゃダメかしらんと思ったんだけど、「花園神社」と「麦」で調べてみたらこんなのが出てきた。

花園神社の酉の市
「本殿の方では、豊穣を意味する麦がついた熊手が1000円(800円かも)で売ってます。」

あっきゃぁ~!
その麦というのは、二条大麦なのだろうか?
そんな熊手があると知ってれば、絶対に買ってみたのにぃ~~~っっっ!!!
くやしい。

まぁ、いずれにしても、この辺は比較的新しい習俗と見た方が良さそうな気はしてるんだけど、ちょっと興味だったのは、麦を使うという神事を見つけたことだ。
世田谷喜多見にある須賀神社の「湯花神事」では、湯を沸かすのに枯れた麦藁を燃やしていたが、最近の農家では麦は作っていないので、この神事だけのために特別な麦畑があるらしいってな話しで、これが花園神社の麦と何か関係があるのかどうかは今のところよくわからない。

花園神社、湯の花神事 1月8日
[一般には「どんど焼き」などとして知られますが、花園神社では昔から「湯の花神事」や「湯花祭」と呼ばれています。この火で沸かしたお湯を神前に供え、同じ湯でつくった甘酒が参拝者にふるまわれます。]

ふむ、顔を出してみようかな。
何かわかるかも知れない。
いや、その前に、浅草に行ってみるとするか。

追記。
話はだいぶそれてしまったのだが、チンコ話に戻そうと思う。
色々調べてたら、実はもっとでっかいチンコを、僕は見過ごしていたことに気がついたのだよ。
オ~マイガッ!

で、悔しいので、先ほど出掛けて写真を撮ってきました。>よ~やるわ
まぁね、呑みに出るついでだし。
日が暮れてから、境内で見る巨根というのもなかなかおつなもんでしょう?
ふふふ


おいなりさんをお参りした時に気がつかなかったとはねぇ。
頭のすぐ上に、ぶっといのが鎮座しておりました。
それはもう、色と言い艶と言い、太さと言い、カリの見事さと良い....ごっくん。


ちなみに、昔の花園神社は、今の伊勢丹のところにあったんだそうです。
この辺の話しも、また今度と言うことに。

長引くなぁ。



秘宝館のススメ

2005-11-25 13:50:53 | ノンジャンル
[ニッポンの歩き方]ってサイトはご存じだろうか?

「日本の怪し気なスポットを、有名所として外国人に紹介するためにつくったこのページ。
外国人に間違った日本を広めるのが本来の趣旨だったのですが、秘宝館マニアなページになってます。」
ってな感じ。
花園神社のことを調べてて見つけたのよ。
まぁ、ごらんあれ。