くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

地続きが好きかも

2004-08-10 01:24:14 | ノンジャンル
先日、北海道から帰ったあと、沖縄出身の友達と話していて、僕がなぜ北海道に、いや、アイヌに惹かれ、何を落胆したのか、やっと理解した様な気がした。
で、その友達に「沖縄はアメリカに占領されてよかったよねぇ、おかげで文化的な自立心をはぐくむことが出来たし」なんて話したりして、あの島って言う単位もほどよい大きさだったんだろうなぁ。アイヌの人たちは生活の単位が丸ごとが失われちゃったんだよね、例えば、聖地だったあの谷までが一部の日本人の私利私欲のために水没してしまった。そんなにまでして金が欲しい日本人も情けないし....。

6代前までさかのぼってののしるときの言葉なんて言うのが取り寄せた辞書に載っててね、こういう言葉って風俗そのものが失われてしまうと、使う局面もなくなっちゃうから、そのうち訳すことも不可能になっちゃうんだろうねぇきっと、なんて、そんな訳のわからない話をしたり。



北海道や沖縄の僕にとっての魅力は、精神世界と現実の世界が地続きで存在してるって所だったんだと思ったのだ。
現実に神話や霊的世界との接点になっている場所が現存する暮らし。精神世界でのリアルを、現実的でないと言って切り捨てる浅はかさ。曰く、科学的でない、野蛮だ、原始的だ。何を言ってるんだか、そう言って他人が大切にしているものを力づくでむしり取る行為の方が、よっぽど野蛮なんでないんかい?
この日本に、100年も前に造られたアイヌの人たちを差別する法律が、未だに有効な形で残されてるのを知ってホントに驚いた。立ち向かおうとする力が束になりにくい、国家という単位を持ったことのない、大地に所属する人たちの弱さのようなものを感じた。そしてそれよりも、今なお続く現地での差別。日本人の意識の低さに改めて驚いたり情けなく思ったり。

生物無生物への畏敬の念があれば、そもそも無茶な破壊は出来ない。土地を所有するのではなく、自分がその土地の一部なんだという感覚。ぼくたちが失ってしまった生態学的なと言っても良い様な感覚。そして必要なものを必要なときに必要なだけいただく。感謝しながら。そんな謙虚さが、自ずと共存する世界へとつながる様な気がする。奪い尽くすことで発展してきた西欧文明が、方向転換の参考にするのなら、彼ら先住民族の知恵を参考にするしかないんじゃないかなんて思うのだ。

北海道から戻ってきてから、20年ぶりに再会した友達のおうちのホームパーティーに。そしたらそこで思わぬ知り合いに。と言うか、それまで話はほとんどしたことがない子だったんで顔見知りって感じか。毛深い子なの。で、こんな所で会うなんてねぇ~っていろいろ話してたら、なんとアイヌの末裔なんだそうな。
灯台もと暗し。
え~っ、なんで黙ってたの?って聞くと「いや、みんなアイヌだって聞くと引いちゃうんですよ。沖縄の子みたいに受けが良くないんで」という。
なんでよ。
アイヌのことはほとんどなんにも知らないという。おばあちゃんが口を閉ざしていたんだと。彼もあえて聞くのは遠慮していたんだと。自らを封じ込めることで、子や孫を救うことを選んだ。

古モンゴロイドという点では変わりないのに。僕だって、ルーツをたどればバリ島に親戚がいるって感じなのにね。事実、バリ島のとある村には僕が一杯いたっけ。大きく分けて5系統からなるとかいう混血国家日本。そんな中でマイノリティーがマイノリティーを差別する。
ゲイの子たちは差別される悲しみを、いや、隠し通さなければならない悲しみを知っているはずじゃないのかな?そいつらの思いやりのなさに、なんだか暗澹とした気分になる。

まあ、そんなことを漠然と考えながら、古い友達が出したお店に挨拶がてら立ち寄ったのよ。小料理屋というか定食屋というか。
開店してから1月の間教えてくれなかったのだ。
友達がいないというか、まあ、仕方ないんだろうけどね。「ゲイゲイしい店にしたくなかったんでしょう。」とはボ●ソのた●おさんのご意見。わかるけど、僕たちT.P.Oぐらいはわきまえてるつもりだったのに。甘かったのかしらん?
ゲイがゲイから身を守る。仕方ないのか。

古伊万里の器がカウンターに何気なく積み重ねられてて、それでいろいろ出してくれる。ネットオークションで買ったんだそうな。骨董屋で買うより驚くほどやすく手に入れてるんだね。風合いとか、わからないんじゃないの?なんて話をしながら、ゆっくり食事をする。やっぱり、たまには外すそうだ。
一つ一つの器が、なんだか知らないけど心地よくて、やたらのんびりした気分になってくる。もちろん、おいしい。
この店、好きかも。
考えてみたら、こんな愛情込めて作られた器、それも日常の雑器。今じゃ新作なんて、結構とんでもない値段だしねぇ。それに、なんてぇの、微妙にこびてる匂いがいやだったりして、最近のは。ありふれた美しさが、取り立てて言うほどのものでなかった時代の遺品。こんなカーブの器、こんな絵付けの器なんて、今時作ってる人なんているんだろうか?コピーでなく、大げさでなく、ささやかな日常生活のためのオリジナリティーを持った器。初めて生まれ出てきた喜びを、まだかすかににおわせてくれる器。

なんだ、日本だって、魂のよりどころをなくして久しかったんじゃん。なんて、今頃気付くなよ。
とまぁ、そんな今日この頃だったったんだよね。やれやれですがな。