くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

田舎のもてなし

2007-09-22 22:56:17 | ノンジャンル

田舎のもてなし」ってタイトルの戎橋政造センセの漫画、好きでした。
えぇ、地方に出張の多い僕としてはね、ありそうもなくて有ったら良いなあって感じで、絶対にあり得なぁ~い(涙)おもてなし、田舎のホテルや鄙びた温泉宿、山小屋なんかでふと頭を持ち上げる素敵なファンタジーというか妄想というか。

遅い時間に一人露天風呂なんかに浸かってるとね、ホント、いい男居ないかしらねぇ......状態に。
で、たまに人の気配が、と思ってみると、出汁ジャコみたいな爺さんが居るくらい。

お願いっ!お風呂のお湯に出汁を出さないでっ!状態。


現実的には、山男とかマタギとかで戎橋センセ風とか児雷也センセ風とか藤本郷センセ風のなんて、居たためしがないと言っても過言ではないのよね。
まぁ、一言で言ってしまえばお茶の世界なんかで良く言うところの「お目だるい」状態。
北アルプスくんだりに至っては、それこそ中高年登山のメッカになっちゃってるしねぇ。

いや、だからこそ、ファンタジーが膨らんでしまうのだよ。



クリクリすると大きくなるさぁ~


まぁ、そんなこんなで、旅の疲れが溜まりましてねぇ。
ひとつ骨休めというわけでもないんですが、山奥の温泉のハシゴをしてきたんですよ。
え?懲りてないって?

地図の一番左、五日市の駅からバスに乗って一番右端の赤い点、終点の数馬(かずま)で降りる。
帰りは一気に左端の赤い点、十里木(じゅりぎ この「ぎ」は鼻から抜けるいわゆる鼻濁音だ。強いて言うならgiではなくてngiって感じの発音ね。昔ながらの発音が未だに残されているのだね。)まで戻る。
途中の小さな印は後でのお楽しみ。


予報では、終日曇りとのことだったが、そこはホレ、山里のこと。
ご多分に漏れず、バスが山間にさしかかると霧が山肌に低くたれ込めはじめ、やがて霧雨混じりになってきた。
慣れっこだ。
こんな時の方が、ピーカンの時とはまたひと味違った、移ろいゆく時に潤んだ写真が撮れるものなのだ。


傘もささずになおも登っていくと、マムシの尻尾のような模様の茎が畑からニョキニョキ葉っぱを伸ばしている。
コンニャクだ。

昔、大学の先生が、僕たち相手に言った馬鹿話を思い出した。
「君たち、これがコンニャクの木だ。これに花が咲いて実がなるとな、やがてはじけて、それがシラタキになるんだ。いいか?憶えとけ!」
彼はここで笑いをとるつもりだったのだが、みんなの無知の方が優勢だった。
一同「へぇ~っ!」とか言いながら、メモを取り始めたもんだから、あわてたのは先生の方だ。
「ばかもん!そんなわけがあるかっ!」
その後、先生が不機嫌だったことは言うまでもない。

こんな話しは、てっきり泥臭い大学だけの話しだと思っていたら、とんでもなかったね。
この手のネタは意外に世界的なんだと、ずいぶん後で知った。
そう、この後数十年たったある日、こんなニュースを目にしたのだ。
ニュ-スソースはBBCだった。
<イタリアのとある地方の晩春の農村風景。
農夫たちが畑で収穫しているのは、パスタの実だ。
これを一つ一つ丁寧に乾燥させたのが、あの乾燥パスタになると言う。>
もちろん、これは、エイプリルフール用に制作された物だと後で解説が入ったけれど、あちらでこのフィルムが流された時は問い合わせの電話が殺到したのだとか。

エイプリルフール、ねぇ。
洋の東西を越えて、似たようなことを考える人はいるもんだと、つくづくそう思いましたねぇ。

さてと、話しを戻して。
終点の数馬でバスを降り、渓谷沿いの道をしばらくのぼると、こんな滝や萱葺きの屋根なんかも見えてきて山里の風情が一気に盛り上がります。

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/87/d2b1b8c30da19bc8c875a78c89916858.jpg" border="0">
今日の最初の目的地、山頭山荘で、さっそく露天風呂につかる。
山霧が幽玄な雰囲気を否が応でも高めてくれるのよねぇ~。


それにしても、この野良焼けのひどいこと。
すっかりブラの、じゃないワンピのじゃないって、ランニングのあとがついちゃってさ。
せめて一度ぐらい海に行って綺麗に焼きたかったなぁ。
え?えぇ、気分はすっかり由実かおる
突然の無意味な入浴シーン挿入、後免なすって!

下半身も生っ白いしさぁ。
かといって、六尺焼けが良いかというとそれはまた別なのだよ、人のを見るのは良いんだけどさ。
自分が六尺あとクッキリなんてのを想像すると、何かへこむのよね。
せめて、ボクサー型の水泳パンツの跡ぐらいつけて焼きたかったかな。

なんて、しょうもないオジジの裸で嫌がらせ。
ふひひひひ


さて、湯上がりはビール!
秋川渓谷ビールとか言う地ビールを頼む。
軽めの青島ビールみたいな味。
結構好きよん。


で、今日のメインはこれ!
山菜小皿料理
何と22品目もの自家栽培山菜が食えるのだ。
今回はこれとお風呂がセットになってる、超お得コースを選んだのだった。

え?山菜だけで飽きないかって?
いや、それがなかなかでねぇ。
サワガニ、山芋、コンニャクの刺身、コンニャクの煮付け、タラの芽、サンショウの葉の佃煮、ノビル味噌、ユリ根、紫蘇の実、伽羅蕗、イタドリ、ワサビ漬け、ダイコンの葉、コゴミ、ゼンマイ、ワラビ、マタタビの実、アンズ、ズイキ、ミョウガ、サワアザミ、ノカンゾウ、ユズ。
甘酢、味噌、醤油味などを巧みに組み合わせて変幻自在な味と香りのバリエーションを引きだしている。
もちろんこの他に、イワナの焼いたのだとかヨモギ蕎麦だとかも追加しましたけどね。

さて、ひとしきりくつろいだら、またまたバスで移動です。


で、ここでいきなり問題。
このバス停、いったい何と読むでしょう?
位置は、地図の途中の小さな赤点です。

このあたり、絶対に読めないような地名がゴロゴロしてるんですよね。
例えば、笛吹は「うずひき」、神戸は「かのと」、事貫は「ことずら」、日向平は「ひなたびら」なんて調子。
え?ギブアップ?
答えは人里と書いて「へんぼり」。
もちろん僕も読めませんでした。
A(^。^;


十里木を降りて吊り橋を渡り、鄙びた森の中の小道を歩いていくと、今日のもう一つの目的地の露天風呂に到着します。


今年できたばかりの秋川渓谷瀬音の湯
ゆったりした造りで、お湯の質も良くなかなかくつろげます。

が、ここでお仲間遭遇。
なんて~の、もうね、日焼けしてないところがどこにもないってな感じの、むっちりとした体の60近いおじさま。
それなりに端正なお顔立ち。
がっ、釣りで使うユムシみたいなチンコを人の目の前で半立ちにさせるのはやめてもらいたい。
思わず知らず一青窈の歌が口を突いて出てきてしまった。

 ♪ええいああ 君から「もらい立ち」
  ほろり・ほろり ふたりぼっち
  ええいああ 僕にも「もらい立ち」
   やさしい・の・は 誰です ...♪

もらい立ちしたら、困るでしょ。>それはもらい泣き

避難をかねて脱衣所で涼んでいると、くだんのおじさま、着替え始めたの。
今時、由実かおるもはかないようなストーンウォッシュのホットパンツ!
しかもパッツンパッツン!
さらに、ノースリーブの白いシャツ。
その上に、イミテーションパールのブレスレット!
あ~んど、もうもうゴメンナサイ。
でも、ある意味良い物見せていただきましたわ。


温泉をあとにしてこの日最後の目的地に向かう。
急な坂道を降りて、またまた吊り橋を渡り、畑の脇の細道を行く。


目指すはやまざき酒舗
これまた自家製の無農薬食材を堪能させてくれる。


ありがち?
まぁ、そう言いなさんな。
気取ってなくて不用意なところがない。
そう言う所って、意外にないものなのよね。


テーブルに案内されると、可愛い箸置きに野の花が。
突き出しに、氷を入れたグラスに葉つきのショウガを挿して出してくれる。
料理が来るまでのあいだ味噌をつけて、気に入った日本酒をちびちびと。
グラスで出してくれるので、気ままにあれこれ試し飲みができて楽しい。


魚介のスープは、意表を突いて薄い塩味。
でも、ハマグリのほのかな苦みがパイ生地にすごくあっておいしい。
海老やホタテも入ってこれまたイイ感じ。


里芋の葉の上に盛られた野菜たち。
ダイコン、ジャガイモ、カボチャ、ナス、きんぴら、白あえ。
それぞれ違った味付けで、またまた酒がすすむ。


ホタテの煮たの。
んまい!
カキの葉に盛られた栗とシイタケ。
結構なお味でございます。
が、今回のダークホースは、間にチョコンと盛られた塊だった。
これが仰天の旨さ。
ニンニクと梅肉を合わせた物。
うむぅ~、コペ転な美味しさだ。
もうね、酒がすすんでどうしようもないの。


何を飲んだっけ?
喜正の特別本醸造とかしろやま櫻。
嘉泉のまぼろしの酒。
澤乃井の大辛口。
もっと色々呑んだような.....。
端麗、芳醇、妖艶、端正、幽玄、静謐、夢幻、夢魔、むまもめむ....酔った。

なので、途中をはしょって....


デザート。
巨峰、カボチャのプディング、麦焦がしのアイス。
麦焦がしは、僕の実家の方では香煎(こうせん)って呼んでる。
はったい粉って呼ぶところもあるみたいだね。
この麦焦がしのアイスがまた、ほのぼのと良い味わいなんだ。


コースのしめは、これ。
コーヒーじゃござんせん。
なんと、枇杷の葉茶。
やられました。


と、まぁ、久々の、温泉と食い道楽の小旅行でした。
ふぅ。
またくんべ。


那由他の時

2007-09-15 13:09:54 | ノンジャンル
9月のはじめ、北アルプスの亜高山帯を一言で言ってしまえば、「花も紅葉もなかりけり」だ。
今年の異常な高温と乾燥で、カンバやナナカマドの葉もすっかり縮れ、殺伐とした山肌になっていた。これではとうてい紅葉など望めそうにない。
そう思えば、なおさらに彩なす秋の山肌が思い起こされる。

早くも台風の予兆が感じられる中、栂池自然園の登り口から笹の生い茂った蒸し暑い樹林帯の小道を登っていくと、やがて乾燥化が進み始めた小さな湿原にたどり着く。
天狗原だ。


今でこそ木道が完備されているけれど、かつては随分と踏み荒らされたのだろう、かなり広い面積に渡って植物が失われ泥炭層が露出しているエリアや、その泥炭層さえも失われてむき出しの砂礫層が痛々しいエリアもある。


それでも、吹き渡る風は清々しく、実を結び始めたイワショウブの赤い萼やチングルマの冠毛を揺らしていく。




天狗原からいくらか登ったところで、そろそろ森林限界が近づいてきて背丈の低くなったシラビソ林の木の間隠れに小さな雪渓が見えてくる。
と、不意にまた風景が開けて、お花畑が出現する。
雪渓のシッポが夏の暑さで縮んでいき、その後に高山植物が芽吹き、順次花を咲かせる。
雪田植生だ。
雪の融けたとき、そこに始めて春が来るのだ。
だからここでは、あらゆる季節が同居している


雪渓はさすがに涼しい。
そこでお昼にする。


雪渓の下部には山肌から滑り落ちてきたばかりの、あるいはひょっとすると氷河期の終わり頃からそこに鎮座ましましているといった風情の岩塊が、押し黙ったまま背中を向けてうずくまる人の群れのように遙か反対側の緩やかな斜面まで岩原を形成している。

そう、これから話そうかと思うのは、花や鳥についてではなく那由他(なゆた)の時を黙々と越えてきた岩たちの物語だ。



猫の額ほどにも縮まった雪渓を越えなおも登ると、やがて果てしなく広がるハイマツの丘に出る。
白馬乗鞍の広大な溶岩台地だ。
データーによると、このあたりでの一番新しい噴火は20万年ほど前になるらしい。


ところで、この奇妙なモニュメント風の岩は、一体どうやってできたのだろうか?
上の面がテーブル状に平らになっている岩の上に、どこから運ばれてきたのか、これまた底面が平らな岩がちょこなんと乗っかっていて、なかなか愛嬌がある。
どこかから転がってきたんだろうって?


見渡す限りの平坦な安山岩質の灰色がかった岩盤でできた高原の、一体どこから転がって来ようがあるというのか?


白馬乗鞍山頂のばかでかいケルンでさえも、なかなか見えてこないと言うくらい、呆れる平坦さと広大さの山頂なのだ。冬場に一面の雪景色でホワイトアウトしたら、どこを歩いているかなんて全く手懸かりがなくなってしまう。
僕なんか、絶対に遭難だろうねぇ。


もちろん、この奇妙なモニュメントは、一つや二つではない。
A(^_^;


近くまで行ってみると、やっぱり上面がわりと平らな面の上に、底面の平らな岩が乗っている。眼窩のような穴が開いているのは、どうやら安山岩の中に封じ込められていた火山礫のまわりが風化して抜け落ちたあとのようだ。
何だかエイリアンみたいじゃないですか。


反対側から見たら、まるで自然にできたストーンヘンジと言った風情。
アンディー・ゴールズワージーも喜びそうな出来じゃないかしらん?


もちろん、上に乗っかっている岩がどこかから移動してきたなんて考えるよりは、昔からその場所にあってそれが長い年月の間に風化し、亀裂が走り、亀裂に挟まってたところがさらに砕けていったと言う見方だってある。
この岩なんかはまさにそうだと思う。

じゃぁ、この亀裂が入ったのはいつ頃のことなんだろうか?

-20度くらいじゃぁ、しみ込んだ水が凍結しても、こんな風に岩を割ることはできないんだそうな。やっぱり、それだけのパワーがあった時代というと、蓮華地獄の氷河期と言うことになるんだとか。
ってことは、ひょっとすると一番寒かった2万年ぐらい前に入った亀裂が、こうやって今僕の目の前にあるわけ?


って考えてみると、この岩たち、今から2万5千年前から1万7000年前にかけての最終氷河期の間に砕かれ運ばれてきたのかも知れない。


白馬大池に面した斜面にもあった。
これは間に小さい岩が挟まっている。


そしてこんな岩の上は、ほぼ例外なくホシガラスの餌台で、食い散らかしていったハイマツの松笠が散乱しているのだ。と、さっそく、イワヒバリがやってきた。見晴らしが良いので、飛び立つ前の安全確認にはもってこいの場所なのだ。


反対側にまわってみる。
斜面の上から転がってきたと考えるには、どう見ても間に挟まっている小さな岩が都合が悪い。
岩が風化して徐々に細かくなっていったにしても、この挟まり具合は不自然すぎる。

確かアメリカの砂漠地帯だったかにも、上に氷河で運ばれてきた岩が乗っかってるのがあったよねぇ。

氷河の上に乗った岩が斜面を緩やかに移動する。
そして運ばれる途中で氷河が溶けて、こんな風に取り残されてしまったんじゃないだろうか?
そう考えた方が、ムリがなさそうじゃない?


他にも、こんなモンスターがいた。
目玉模様みたいになっているのは、安山岩ができるときに溶岩流の中に飛び込んだ火山弾がそのまま取り込まれて固まったんじゃないかと思う。
で、火山弾とベースになっている安山岩のつなぎ目のところに水がしみ込んでは凍結しほんの少しずつ風化を進め、それでこんな風に目玉模様みたいになったんじゃないか、そんな風に思える。
氷河期の頃のように岩を真一文字に割るようなパワーはなくても、膨張率の違う岩の間を徐々にむしばむぐらいの氷の力は今でも続いているのだろう。


こちらの岩塊では目玉が飛び出しかけている。
まるで恐竜の頭のようだ。
ギョロ目のチラノザウルス?

  石に刻まれた音
  石に刻まれた眼は永遠に開く

ふと、西脇順三郎の詩の一節を口ずさんでみた。

まわりに誰が居るでもない気楽さ。

それにしても、この果てしない時間の経過のなかで連綿と生命は紡ぎ続けられ、なぜだかたまたま僕が生まれて、そしてまた何の巡り合わせか気まぐれか、こうして巨大な山塊の上で巡り会い対峙している。

どうして?
何のために?

至って凡庸な疑問譜が頭をよぎる。
が、そんなことより、果てしない時間の堆積の後に、僕が今ここにいることの不思議に圧倒される。

周囲を霧に閉ざされると、時間の感覚さえも曖昧になってくる。
ただ、山頂の風だけが心地よい。
と、こんな一節を思い出した。


  生まれたばかりのわたしに
  はじめての息を
  あたえてくれた風は
  死んでゆくわたしの
  最後の吐息を うけいれる風。

 「父は空 母は大地」から

これが「シアトル首長が大統領に宛てた手紙」だと言うのは、どうやら眉唾らしいけれど、心に深くしみ込んでしまった言葉だ。
そしてこんな時、いつも思い出す誰かの詩の一節。

  風は息の化石だ

ひょっとすると、恐竜の吐息に含まれていた分子が混じっているかも知れない風を、僕は胸深く吸い込んだ。