くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

嵐の夜に

2008-02-27 21:50:36 | ノンジャンル

連絡があったのは24日の夜だった。
長野県方面も強風に見舞われ、どうやらそのあおりを食らって建物に激突した様子。
発見したときは、まだ温かったそうだ。
ちょっと見たところ、外傷は見つけられなかった。
強く頭を打ったのが死因なのかも知れない。



カワラヒワを手に取ってみるのは初めてだった。
出張先の施設のまわりで選択的除草を行い草花を植えてからと言うもの、いつも数十羽の群れで食事に来ているのは見かけては居たけれど、20mぐらいの距離から見るだけだったから、実際の大きさを実感したのはこれが初めてなのだ。
スズメよりは、ちょっとだけ大きめかな。

クチバシも穀類を好む鳥らしく、短くて鋭い。
これで、草の実の殻を割って食べて居るんだろうね。




と、羽の付け根に小さな実がくっついているのを見つけた。
イノコヅチの実だ。
花壇の斜面と道ばたの間にある草地や林の縁に、少しばかりの茂みが残っていたはず。
きっとそこで食事をした後だったんだろうね。
そのことを発見者に告げると、なんのことはない見つけたときには尾羽の付け根あたりにも沢山のイノコヅチを着けていたんだそうな。
鳥の写真を撮ろうと思って、いちいち取り除いたという。
んも~、それじゃただの図鑑的な、ただ単にお綺麗な写真にしかならないじゃん。
野生の暮らしの痕跡が、少しでも残されている写真の方が遙かに情報量が多いのに。
体のどのあたりにどれぐらい、どんな感じでくっついていたのか、見たかったなぁ。
勿体ないことをしたもんだ。


そのまま骸を埋めてしまえば何も残らない。
それでは何だか勿体なかったので、せめて羽毛をクラフト用に残すことにした。
ついでに、そのうの中身を取り出して調べてみる。

見た限りでは3種類の種子があるように見える。
細長いのがイノコヅチの種なのかな?


後で蒔いてみようと思って、シャーレに入れたまま1日経ったのを見てビックリ!
もう根が伸び始めている。
1mmちょっとかな。
黒い小さな種の方も1mmの根が出ているのもある。
早いねぇ、ってか早すぎねぇ?


さっそく用意してもらったポットに植えることにする。


2~3粒まとめて、浅く土に埋める。
この分だと来週初めぐらいには、双葉を観察することが出来そうだ。
楽しみ。

死骸は、去年の暮れにキツネが狩りをした後があったあたり、花壇の端に積もっている雪の上に置いてきた。
野生の暮らしでは特に食べ物の少ないこの季節、だれかのお腹を満たすことが出来れば、この鳥の死も無駄にはならないだろう。



沖縄極太

2008-02-25 00:14:06 | ノンジャンル
その親爺が言うには、沖縄極太!
けれど、太くてやわらかいんだそうです。
そう言いながらも、その親爺、不貞不貞しい笑みを浮かべ、自信ありげなんです。

「たっぷりサービスするから」

あまりにステキな誘いの言葉にふらふらと吸い寄せられ、
でっかいフクロの方をお願いしてしまいました。
太くて堅いのももちろんステキですが、
太くてやわらかいのだってすっごく具合が良かったりするんですよ。
これは、経験がないと言っても解ってもらえないとは思うけど。>余計情報


と、その親爺がいきなりぶっといのをつかんで、僕の口元に差し出すではありませんか。
ひっ、想像してたのより、それ、ずっと太かったんです。
道行くおばちゃんとか、こっちが見えるだろうに。
いやん、恥ずかしい!
でも、まわりを見回すと、誰も気付いてないみたい。
案外死角になってるのかなぁ?

で一瞬躊躇してる僕の表情を読み取って、その親爺、黒くてぶっといのをしまおうとしたんです。
あっ、だめっ!
そんなステキな物、逃してなるもんですかっっっっ!!!

アタシだって、昨日今日のオカマじゃないのよっ!
キィッ!!
人前なのに、反射的に思わずくわえてしまいました。
ヤダ、はしたないアタシ。

.........................

う~ん、悦楽。
太くてやわらかいだなんて、謙遜しすぎだわ。
テラテラと黒光りするそれは、すっごく堅くて、僕の唾液にまみれて口の中で暴れている。
ジュワッと溢れる僕の唾液。
僕の唇に、舌先に、口腔内粘膜に、ヌラッとして堅いそれがゴリゴリとあたる感触は、軽い被虐の喜びさえ覚えさせられる。
あぁ、これが堕ちてゆく快楽なんだわ、きっと。

僕が一瞬嬉しそうな顔をしたのを、その親爺見逃さなかったの。

「どうだ?うめ~だろう?」

僕は不意を突かれて、口にくわえたまま微かにうなずくのがやっとだった。

だって、こんなこんなの、ホントに久しぶりだったんだもん!
ゴクリとしたたかに飲み乾した直後、僕の意識に周囲の雑踏がなだれ込んできた。
そそくさと口元をぬぐって辺りを見回す。
が、誰も気にも止めていない様子。
ふぅ。

続きは僕の家でゆっくりとね。
さらなる甘い誘惑の予感に、僕はちょっとゾクゾクした。






その親爺に出くわしたのは、いつもの商店街でだった。
良く有るじゃないですか、貸しスペースみたいな一角で、
だいたい週替わりで入れ替わり立ち替わりいろんな物を売りに来てる、アレなんです。


えぇ、カリントウ。
僕はあんまり甘い物って食べないんですけど、カリントウだけはたまにものすごく食べたくなるときがあるんですよ。
なんなんだろうねぇ?
排卵日とか?>ボカスカッ!!


親爺が試食にって出してくれたのが、しっとり堅くて、でもほどよい歯ごたえで、黒砂糖も落ち着いた甘みが心地良く、思わず大きいフクロの方を買ってしまいました。

でもね、帰ってから食べてみたんだけど、一度に2本も食べたらもう大満足なんですよ。
じっくり楽しめました。



庭と神話

2008-02-21 21:18:49 | ノンジャンル

重森三玲が、どうしてここまで徹底的に枯山水から植物を排除せざるを得なかったのか、その訳なんてのを確認したくて京都までのこのこ出掛けていったのは、去年の秋も終わり頃だった。

その時は、こんな事を書いたっけ。
石庭の石は、じっと見ていると、大きな山のようでもあり島のようでもあり、何となくスケール感が曖昧になるってところがミソで、そのことを利用して自然の縮図を再構成して表現するためには、ハッキリした枝ぶりの木立や草花など、具体的なサイズと形態を持った植物が邪魔になる。
だから、石と砂と苔、あるいは刈り込みといったスケール感を曖昧にする素材だけを意図的に残して、大自然を象徴した。


今風に言えば、石、岩、山と言った自己相似関係、つまりフラクタル性を効果的に見せるためには、サイズに依存する形が邪魔になるのだと言うこと。


重森三玲や江戸時代の石庭、枯山水を見て回って、石と砂の描き出す抽象美への到達が、必然的に植物を排除していったことを改めて確認できた。
ってなことだったと思う。


で、今日はもう少し違った角度から、石庭を眺めてみようと思うのだ。
たとえばなぜ、重森三玲が草木を排除し石と砂を採ったのか?を。





重森三玲の息子重森三明が、彼のサイトでこんな事を書いている。

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枯山水の石庭を連想すると、石組みと「禅寺」を簡単に結びつけるが、日本庭園の始まりはもっと古く、古代にまでさかのぼる。元来、日本古来の山岳信仰と大陸思想の影響、更に古墳文化や浄土思想などが混ざりあいながらその時々の「庭」を形成していった。
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彼はこんな風にも書いている。
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「元来、日本庭園の石組みの起源は磐座や磐境と呼ばれる古代の巨石(群)であり、よく神社の御神体になっている。庭園史において、石組みは古代中国の神仙蓬莱思想という、仙人が住み不老不死の薬が存在するという島を表したり、三尊石で仏の姿を表現した。」
 *******


つまり、庭に石を据えると言う行為の起源は、遠く神話の世界に根ざしていると言えそうだ。
そう言えば、民間の庭に白州を初めて持ち込んだのも重森三玲なんだそうな。
白州も、本来神社で見られる神の憑代・依代(よりしろ)、ハレの場のものであってケである日常生活が繰り広げられる民家の庭に造られるような性質のものではなかったのだとか。
永遠を見つめるにはこれ以上ピッタリした装置はないのかも知れない。

で、やっと神話である。
まず登場してもらうのは、天邇岐志国邇岐志天津日高日番能邇邇藝命(アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)。
寿限無ばりに長いので、慣例に従って「ホノニニギノミコト」と呼ぼう。
「ニギニギの命」ではない、念のため。

それから二人の女性、石長比売(イワナガヒメ)と木花佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)。


『古事記』神代上巻から、あの有名な下りを読んでみましょう。

 *******
ホノニニギノミコトは、海辺で美しい乙女にお遭いになった。
「お前は誰の娘か。」とお尋ねあそばれると「私は大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘、名は神阿多都比売(カムアタツヒメ)、またの名を木花佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)と申します」とお答えした。「お前には姉妹がおるか。」とさらにお尋ねあそばされると、「姉に石長比売(イワナガヒメ)がおります。」とお答え申した。そこで、ホノニニギノミコトは「お前を娶りたいと思うが、どうか。」とお尋ね遊ばれると「私はお答えいたしまねます。父のオオヤマツミノカミが申しましょう。」とお答えした。
そこで父のオオヤマツミノカミに、乙女を乞い受けに使いを遣わすと、父神は大喜びで姉のイワナガヒメを副え、多くの結納の品々と共に、ホノニニギノミコトに奉じた。


ところがホノニニギノミコトは姉のイワナガヒメがたいそう醜かったので、これを送り返し、妹のコノハナサクヤビメだけを留めて一夜を過ごされた。
オオヤマツミノカミはホノニニギノミコトがイワナガヒメを返された事をいたく恥じて「二人の娘を並べて奉じたのは、イワナガヒメをお側に使えば、天つ神の御命が、たとえ雪や風の中にあっても石のごとく常に堅く動かずにおいで遊ばれるように、またコノハナサクヤビメをお側にお使いなら、木の花が栄えるごとくお栄え遊ばれるようにと、誓いを立ててのことであった。ところがイワナガヒメをお返し遊ばれ、コノハナサクヤビメをお留めしたということは、天つ神の御命は、木の花のようにもろくはかないものとなってしまうでしょう」と申した。

このようなわけで、代々の天皇家の御命や人間の寿命は長くないという。
 *******



さて、ここで、中沢新一の「カイエ・ソバージュ1 人類最古の哲学」から、ちょっと引用してみましょう。

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妹のサクヤヒメは世にも美しい美女であったのに、姉のイワナガヒメのほうは大変醜い容貌をしていたので天孫(ホノニニギノミコト)は妹だけをめとり、姉を退けてしまいます。侮辱された父親はニニギに呪いのことばを浴びせます。「あなたはなんという愚かなことをしたものだ。妹は美しい花を咲かせる植物のように、生まれて咲き誇り、そしてはらはらと散っていく有限の運命を与えてくれるだろう。しかしそれだけではものたりないと思ったからこそ、私は岩石のように朽ち果てることのない永遠の生命をあなたに贈ろうと考えて、姉のイワナガヒメをも与えようとしたのに、あなたはそちらを拒否した。よろしい。以後あなたの子孫には死というものがもたらされて、長い生命を楽しむことができなくなるだろう」。


 ここでは、植物(コノハナサクヤヒメ)と岩石(イワナガヒメ)の対立によって、死の起源が語られています。一見して美しいものにひかれるのは人の常です。人間はエロスにひかれるのです。ところがエロスははかないもので、美しく咲いたかと思うと、あっという間にタナトス(死)の手に渡されて、それに飲み込まれていってしまいます。それならば最初からタナトスと手を結んでいればよいと思われますが、タナトスは恐るべきカオスの領域からやってきますから、なかなかそれと結婚して一体になるなどということが、人間にはできないのです。私たち誰もが、ニニギノミコトのようにイワナガヒメを遠ざけていたいと願うもの。でもそのために、人間には短い生命しか与えられないのだと、この神話は語っています。
 *******

ホノニニギノミコトは稲作の神様。だから彼が稲作のはじめの時期を知らせる桜の化身だと言われるコノハナサクヤヒメを選んだというのも当然の運び。
けれど、もうおわかりだとは思いますが、今回のお話しで重要なのはイワナガヒメの方なのだ。


重森三玲は「永遠のモダン」と言う言葉をよく使っていたようですが、永遠を手に入れるために移ろいやすい植物を相手にしているよりも石を中心に据えた方が効果的と考えたのは、余りにも当然なことのように思えます。
だから、永遠の生命を手に入れるために、彼は彼の庭から植物(コノハナサクヤヒメ)を脇へ押しやってしまい、中心に岩石(イワナガヒメ)を招き入れたのだと考えてみるのも、面白いのではないかなんて思うのですよ。


三玲は永遠を手に入れるために岩石(イワナガヒメ)と手を結ぶが、岩石は本来無生物で、はじめから生命を持っていない、つまり本質的には死の領域のもので、タナトス(死)が所属する恐るべきカオスの領域からやって来た死そのものではないのかしらん?
あらかじめ儚いエロスである植物(コノハナサクヤヒメ)の生を追放することが、永遠に存在し続けるための条件だとすると、何とも妙な話ではある。


ところで、今風に考えるとカオス(混沌)と呼ばれる物理的様相は、宇宙の有り様は言うまでもなく生態系の中にも色濃くその影を落としている。いや、むしろカオスなしに生態系(複雑系)の動的な安定は考えられません。
混沌に目鼻を描き入れると死んでしまうという中国の故事通り、野生生物や生態系の揺らぎを人為で制限してしまうと本来の性質を失うだけでなく絶滅へと向かってしまうことさえ有る。
古典的な科学は、故意にカオスを無視し続けてきた様にも見える。
と言うか、扱いきれなかったのでカオス的振る舞いを誤差項に押し込めて処理してきていたんだよね。


僕は、生態系というカオス的揺らぎを定常的に庭に取り込もうとして石と植物を使うけれど、この場合の石はカオスが野放図になり過ぎないように、やんわりとコントロールする要石の役割を果たしている。
低い石組みや生垣で境界を際だたせると言ったようなイングリッシュガーデンの一手法などの利用で、庭にまとまりと造形美を保ち続けさせるだけでなく、生態的なギャップの多様性を維持したりもちろん同時にエコスタックとしての機能も持たせているのだ。


ホノニニギノミコトの失敗から、コノハナサクヤヒメだけでなくイワナガヒメにもとどまってもらうのが、人と自然が手に手を取り合って生きていくためにはぜひ必要なことだと学んだと思うからね。



pas de deux

2008-02-17 23:38:59 | ノンジャンル

何となくアップしそびれていたら、もう2月もなかば。
1月30日の写真じゃぁ、今さらニュースとは言えなくなっちゃったけど、
せっかく写真も用意してあることだしと、話しを蒸し返すことにしました。


梅の花も、樹によってはすでに満開の株もあったりで、
こういう季節のはじめには個性の違いが特に際だちます。

 梅いちりん
  いちりんほどの
    あたたかさ

芭蕉の高弟・服部嵐雪の句なんだそうですが、
昔の人は季節の移ろいを細やかに捉えていたんだなぁって、
つくづく感じさせられる句ですよね。
でも、今風に考えると、
「1輪分の暖かさで計量してデジタル表示しているなんて、なんて感覚の鋭い人なんだろう!」
そんな風に捕らえる御仁も居たりするのかもとか何とか、
んなわきゃない!
けど、もう愚考が止まりません。






 木の花は、濃きも薄きも紅梅。
 桜は、花びら大きに、
 葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。


ご存じ、清少納言の『枕草子』です。
考えてみると、昔の人の割には、彼女って寒さに対しては余裕発言をカマしてるんですよねぇ。
枕草子にこんな下りがあったなんて、すっかり忘れてました。
確か高校で習ったはずなんですが。


 冬はつとめて
 雪の振りたるはいふべきにもあらず。
 霜のいと白きも またさらでも 
 いと寒きに 火など急ぎ熾して 炭持て渡るも
 いとつきづきし。
 昼になりて ゆるくゆるびもていけば
 火桶の火も 白き灰がちにてわろし。

「冬は早朝が良い。雪の降っている日は言うまでもなく、霜がすごく白かったり、そこまでいかなくてもすごい寒い日に、火などを急いでおこして炭火を配るのもとっても冬らしい。昼になって寒さがゆるんでくると、火桶の火も白い灰が多くなって良くない。」

そう言えば、吉田兼好も『徒然草第55段』で、あの有名な一くさりを残してます。

 家の作りやうは、夏をむねとすべし。
 冬は、いかなる所にも住まる。
 暑きころわろき住居は、堪へ難き事なり。

暑がりの僕としては全く同感!としか言いようがないのですが、それにしても平安中期の清少納言も鎌倉末期の兼好法師も、いやに寒さに対しては寛容じゃありませんか?

つい先日、とある里山での講習会の時に、こんな事を小耳にはさんだのを思い出しました。
「昔このあたりの人たちは、軒下に積んである薪が多いところを選んでは娘を嫁に出したもんだ。」

なるほど、冬支度も万全な、ある程度裕福な家ならば、寒さに凍えることもない訳なんですね。
冬はシンと冷え切った早朝が良いだの、冬はいかなる所にも住まるだの、お二人ともそう言えばいいご身分だったんですよね。
なぁ~んだ。
A(^_^;


梅数輪分の暖かさしかない御苑ですっかり体が冷えてしまった僕は、またまた茶室でささやかに暖を取ろうと思ったら、いやものすごい熱気。
でも、足下は寒いの。
いきなり大汗かいたのは僕だけだったんで、世間的にはこれが普通なのかしらん?
そう言えば電車とかデパートとか、僕にとっては夏よりも暑いんじゃないかって思うような温度設定で、ぐったりなんて事もよくある。

いわゆる「世間との温度差について行けない」のだ。
言葉の使い方、合ってますよねぇ?>ボカッ!

いや、冗談事ではなかったりして。
冬28度設定とか、そんなとある公共施設や個人宅もあったりで、夏より暑いじゃんっ!ってビックリするんですけど。
「冬はいかなる所にも住まる」なんて、僕はそんな暑いところでは過ごせない。
言葉の使い方、合ってますよねぇ?>ボカスカッ!

 いと寒きに 火など急ぎ熾して 炭持て渡るも
 いとつきづきし。

昔の裕福な人たちは余裕だったなんて書きましたが、高々炭火とか十二単だったんですよねぇ、畳だって敷きつめてたわけじゃないんだし。
もちろん24時間冷暖房をかけつづける暮らしなんて、あり得なかったわけです。

鴨長明の方丈記の「方丈」とは、彼が住んだ一丈(十尺=約三m)四方の庵からきているんだそうで、冬の暖房と言っても慎ましい物だったんでしょうねぇ。
じゃあ、寒かったのかって言うと、そうでもなさそうと言うのが僕の感想。
お茶の先生のお宅にお手伝いがてら良くお呼ばれしていた頃、冬の客間や茶室のほんのりした暖かさが心地よかったのを憶えて居るんですよ。
炉の中の炭のはぜる音と沈香のほんのり包み込むような香りは、障子一枚で冬景色と隔てられているだけなんだと言うことを忘れさせてくれる。
この平安になんの不足があろうか?なんてね。

してみると、今風の洋風建築の方が寒々しいのはどうしたことなんでしょうね?
一体いつの頃から、ささやかな幸せに満足できなくなってしまったんでしょうか?

ちょっと検索してみたら、こんな事を書いているところを見つけました。
ちょっと抜粋してみましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~
いまの日本では(夏向きを指向した)解放型から密閉型に移行していった段階で、開放型に適した間取りを踏襲したまま無批判に密閉化していったため、結露の増大や、ダニやハウスダストによる喘息やアトピー症状の増加から、また玄関から子供部屋へ親や家族の顔を見ないまま直行直帰できるスタイルが定着し、家庭内孤立化からくるいろんな弊害までもがもたらされることになった。ここには戦後核家族化の進行と、偏ったプライヴァシー重視の思想に歩調を合わせた、洋風と和風の悪しきハイブリッドがある。
~~~~~~~~~~~~~~~

なるほど。
面白いのでもうちょっと抜粋。

~~~~~~~~~~~~~~~
 欧米では住環境によるプライヴァシーの獲得と並行して、コミュニケーションをはかる「パーテイ文化」を持っている。 またボランテイアによる連帯感も所有している。ふれあいを忘れ、形だけ欧米の「個人主義的住環境」を採用したとしても、そのいずれのよいところを失うこととなる。 昨今のうるおいを忘れた利己主義的な生活にその悪しき傾向を見て取ることは容易である。

中略

 一か所に長年留まるということは意識と行動の停滞につながり、発展・向上・変化を疎外した平凡な人間像を形成する。それが「事なかれ主義」のサラリーマン・ホワイトカラーを生み出したと云っても言い過ぎではないだろう。
~~~~~~~~~~~~~~~
なるほどねぇ、安っぽい個人主義がはびこっては、過剰な冷暖房への反省だってあり得ないわけだ。
「地球にやさしい」なんてかけ声ばかりが空回りするのも、うなずけるというもの。
季節の移ろいを肌で感じ噛みしめることを忘れ去り、室内飼いの家畜よろしく完璧な冷暖房で外界から遮断される暮らし。
その上で考える、環境への配慮って、いったい?>汗

閑話休題。



さて、過剰な暖房で上気した頭を冷やそうと外に出ると、人気の途絶えた散策路の向こうに素敵なパントマイムを披露しているダイサギの夫婦がおりました。


黄昏のような色合いの空の下での沈黙劇。
警戒心の強い2羽を驚かさないように、枝の影に回り込みながら撮影させてもらったんです。
すごく良い撮影ポジション。
ラッキー!


ただ無心に魚をねらっているようですが、2羽の間で何とも玄妙なコミュニケーションもとられているようで、神秘的なダンスの様相さえおびてきました。


そう、一流のバレリーナたちによるパ・ド・ドゥの風格さえ漂わせて。
ふと見回すと、いつの間にか数人がやはり息を殺して見入っていましたねぇ。


じっと見ている内に、ふとアイヌの人たちが丹頂鶴の求愛の踊りにただならぬ神聖さを見いだして鶴の舞として儀式に取り入れたくなった気持ちが、ほんの少しだけわかったような気がしたものでした。




柳篭

2008-02-16 11:55:10 | ノンジャンル

こんなのを活けてみました。
雲龍柳を編んで、小菊とアルストロメリアを支えてもらっています。
好き嫌いは、人それぞれ。

5年ほど前までは、柳を使って色々遊んだものでした。
3mぐらいの灯りのオブジェとかね。
公園や庭木の剪定で出た枝をもらってきて、枝の表情を生かして乱れ編みにしたのをベースにあれこれ遊ぶのって、なんとなくecoっぽい遊びだと思いません?
 A(^_^;

枝の曲がり具合や枝分かれの形と相談しながら、どんな形に仕上げていくのが一番良さそうかなんて思いを巡らせながら、大きい物になると1週間からそれ以上の時間を掛けて、ネチネチと編んでいくの。
暗いかしらね。
ふひひ。

イイの。
どのみち捨てる物から、そうやって作品めいた物をひねり出すと、結構良い値で売れたからさ。
気に入った物だから金を出す、嫌いな物だから見るのもイヤ。
 ♪それで~イイのだ~!

ただね、一つ困る事というか面倒くさいって言うか鬱陶しいことがあったねぇ。
それは、いちいち作品の意味を聞かれること。
説明しなきゃ伝わらないんだったら、作品の存在自体に意味が無くなっちゃうと思いませんか?
まぁね、そう言うのが日本的と言えば日本的なのかも知れないけどさ。

よくあるじゃん、何とか鑑定団みたいな番組で。
依頼者がある骨董品を持ってきて鑑定を依頼すると、決まって言う言葉。
「箱はないんですか?箱は?」
「箱書きが有ればねぇ.....」
.....箱書きに何年誰それの作品と有れば、それは本物だとか何とか。
でもね、考えてみてもくださいな。
その箱書きがニセモノだったら?
つまり、「箱書きが有れば」鑑定できるって言ってる人って、鑑定能力がないんじゃないの?ホントは?
どうなのかしらん?

作品それ自体を見て、そのものの魅力を判断できないとしたら、一体その作品にはどんな存在価値があるんだか僕には理解できません。

判断力の欠如した価値観の曖昧な人たちが闊歩する、能書き社会のアホらしさ。
┐('~`;)┌

そう言う連中を見ると、僕は純粋な無意味をぶつけてみたくなったりする。
いや、言い換えた方が良いかな。
言葉に置き換えられない、存在それ自体の美しさを見つめて欲しい、そんな風に願ったりする。
それは何も作品に限ったことではない。
夕焼けが美しかった、ランチが美味しかった、電車の向かいに座った人の横顔が幸せそうだった。
すり減った陶器のカケラ、カンナ屑のカーブ、水たまり。
板塀の向こうの話し声、風の薫り、椿の堅い葉、ただ見つめ合う沈黙。

音楽は言葉ではないし、映画は評論ではない、それに詩は花ではない。
恋は絵画ではないし、空も水も風も岩も森も何物かの象徴ではない。
あえてそう言ってしまおう。

だって、世界はあまりにも意味にまみれすぎているから。








世の中、意味まみれ。
妙な物があると、人はそこに意味を探したり、名前を着けたり、とにかく言葉に置き換えて納得し、未知の物、不条理な存在から逃れようとしますよね。

何?何?何?

そして、答えのようなものを見つけ出すと、それで安心して忘れ去ってしまう。
たとえ、そのかりそめの答え自体には、なんの価値もないものでもかまわなかったりします。

忘却されるというのは、興味を失われるというのは、作品が存在し続けるか否かにかかわらず、作品そのものにとっては一つの死に他なりません。

問いに対する答えは、作品を忘れるための道具なのです。

べつの言い方をすると、作品は人それぞれに見えてこそ、その生命を保つことが出来るのです。

そんなことを言われると皆さん寝覚めが悪いでしょうから、少しだけ種明かしをすると、実のところこれはこの作品のほんの助走部分でしかないと言うことです。

旨くすれば、これから数年以上にわたって、時々僕のブログを賑わすことになると思います。

仮に一言で言ってしまえば、一つのインスタレーションの始まり、ですかね。
とは言え、これは、従来のインスタレーションに対する批判的な作品にするつもりで居ます。
特に今年は、この作品を何カ所かで、少しずつ変容していく様を展示しようと思っていますから。

「あぁ、なんだ、インスタレーションね。」
「あの思わせぶりな、インスタレーションかぁ、ヤダヤダ。」
「インスタレーション?そゆこと言ってるヤツって、胡散臭くて嫌いなんだよ。」
ごもっともさまです。
ま、そんな感じ。

じゃぁ、こう言うのは?
「エコとアートの融合の試み」
ま、好きに遊んでるだけですから、気にせずに。
うひ


かといって、言葉との響き合いまで否定するつもりもありませんが。
たとえば、こんなエピソードとか、結構好きですし。

その昔、吉原でのこと。
何とかいう有名な花魁の茶の席で、彼女の人気を嫉んだ女が香道で使うお香を隠したんだそうな。
香道の席で恥をかかせようってんですね。
と、その花魁、畳をむしって香炉にくべ、「吉原の香りでありんす」とか何とか。
いや、粋ですねぇ。