くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

髪を短く切った日は~♪

2006-11-20 15:04:13 | ノンジャンル
先週だっけかな、久しぶりに下界に戻ってみると、ひさしちゃん、いつになくこざっぱりとしてまして。
聞いてみると、何かの宣伝に載せてもらうために、床屋に行ってきたんだと。

そこでまたアタシのお小言が、
「あ~た、ご自分の魅力を商品にご商売なさってるんざぁ~ますから、毎日それぐらいの気品でもってお店に立っていただきとうござ~ますわ!」(黒柳徹子風に読んでね。)
と、まぁ実際こんな口調では無かったのだが、気分的には十分こんな感じ。
まったくもって、余計なお世話発言をしてしまった。
A(^_^;

でだ、せっかくこざっぱりしてるのに、何だか浮かない顔をしている。
いつもの仏頂面以上にね。>以下自粛


(画像は、イメージ写真です)
元気をお出しっ!

何があったのか聞いてみると、そりゃ無理もない話。
宣伝用と言うので意気込んで店で待機していたのだが、撮影にきたカメラマン?が、それはもう事務的に写ってりゃいいんだろう的画像を1枚。
で、さっさとお帰りやがりになったのだと。
いや、その写真家的にはきっと、彼が撮りたかったひさしちゃん像が撮れてたのかも知れないけど、少なくともクライアントが満足してないという事実は>以下自粛

別件だけど、前にもそんなことがあったっけねぇ。
その時は他の店でも同じ事を聞いている。
見せてもらったけど、ギャグなの?状態。
もちろんそのバーのマスターは遙かに上手で、その写真をギャグとして採用し、ギャグのネタとしても利用してたから、十分元は取ってたわね。>脱帽!

でもね、その写真自体は、とても宣伝用の写真とは言えない代物だったね。
バイトに撮らせるなよ。
廃刊になった雑誌で、復刻して、すぐ廃刊になったやつ。
まったくもって読者を舐めきってるというか>以下自粛


えぇ、えぇ、ひさしちゃんの心中察して余りあるですわよ。
この頃一億層素人化時代とか申しましてね、機械も製作システムも簡便かつ高性能化したおかげで、たいした技術と経験を積まずに、誰でもプロと言い張れるようになった。
おかげで、従来言われてきたような意味でのプロ意識というものが、すっかりなりをひそめてしまった。

これは、日本社会全体に言えることなんだとか、「バカの壁」にもあったわねぇ。
会社組織が、田舎の寄り合い的になってきて、なぁなぁ状態で仕事してる。
会社の中でさえ問題が起こらなければ、対外的におかしな物を造っても、見て見ぬふりをする。
わからなきゃ良い?
発火の危険性のあるバッテリーを、どんな企業的良心の元に世界に向けて発売できるというのだろうか?>以下自粛

2丁目エリアマップだって、もう何年南北が逆のままなのよっっっっっ!!!!!
使う側の身になってよ。A(^_^;
地方から来た人たちに、「これ見ればわかるわよ、2丁目にはこ~んな便利な物があるのよ」って胸張って言えないじゃないのよっ!
何年恥をさらせば満足するのかしら?
今日という今日は言わせていただく>以下自粛


まぁね、これなはにも出版業界だけにとどまる話しではないのだけれどね。
たとえば、どこぞのオペラ歌いの会とか、平気で音程を外すのがゴロゴロしてたりして、で当の本人だけは自分が超一流のマエストロだと思ってたりする、端から見てると噴飯物、金払って見に行った日にゃぁ、詐欺まがいと怒りたくなるコンサートとか。>以下自粛

これが半端でなく外しまくってれば、往年の名品とうたわれる幻の名盤にもなろう物を(えぇ、ど音痴の金持ち婦人がカーネギー借り切って録音した夜の女王のアリアとか、かくれたファンが世界中にいたんですがね、あれ、復刻版でないかしらねぇ。)、何事も♪中途半端はだ~め~よぉ~♪なのよ。


JRの開き直りも「持続こそ力だ」の見本よね。
「シルバーシート付近では携帯の電源をお切りください。」
この話が出た当時、当然の事ながらペースメーカーの会社がやり玉に挙げられた。
「そんなに信頼性のない品を売っているのか?」と。
答えは、各社とも「否!」だった。
胸ポケットに入れていても安全なだけのシールドはしていると。
当然と言えば当然の話。
何年、間違ったアナウンスを流し続ければ気が済むのか?

「間違った事をしていても、当人が恐れ入らなければまわりが恐れ入るほか無くなる」というのは、良く言われる道理だ。
世間には、悪いお手本が一杯転がってるわよね。


....話しを戻そう。

映画だって、あの「妖婆死棺の呪い」を見てみなさいよ。
きょうびのSFXが稚拙に見えてくるわ。

....話しを戻そう。

要は、ファンタジーの分量とか質の問題なのだと、あたしは勝手に思ってるのよね。
写真というのは、特に人物写真(アタシも、しろ~とだから言えたもんじゃないけど、こんな素人でさえ思うことは、玄人が出来て当たり前ってかそれ以上のことが出来てこそ玄人じゃないのかって)ってのは、その人をプロデュースするって事だと思うのよ。

簡単に言えば、この子のどこが魅力的?ってのをちゃんと意識してシャッターを押して欲しいって感じかなぁ。

まぁ、いいや。

≪ 今日の名言 ≫
 銃は力だと思うかね?力は銃やバッジでは手に入らん。
 力とはウソだ、大ウソで世間を好きなように操る。
 世間の連中にウソと承知で同意させることだよ。
            映画 「シン・シティ」より


そろそろ藍染めも

2006-11-17 01:14:37 | ノンジャンル
藍染めって、藍壺に貯めておく染液がアンモニア臭くってねぇ。
だっから、夏のうちは自宅でやる気になれなかったのよね。
でもまぁ、空気もひんやりとしてきたことだし、そろそろ手を出してみようかなと。


先月染めた枇杷染めの六尺、なかなか綺麗で渋い赤が出て気をよくしていたのに、出張やら色々でアップしそびれてました。
鉄と銅のダブル媒染で渋派手な色調に。
よく見ると細かい濃淡の模様が地の色に入っています。



もう1種類はマリーゴールドで染めた物。
よく学校や公共エリアの花壇なんかにいつまでも咲いてる、黄色やオレンジの安っぽいあの花です。
昔のマリーゴールドは臭くてかなわなかったのに、いつの間にか品種改良されて良い香りなんですねぇ。
アルミ媒染したのは花の色そのまんまの黄色に、鉄媒染は濃いめのモスグリーンに(染めてる最中は黒っぽかったんだけどねぇ)、絞り模様の間に黄色が入ってます。
こう言うところが、草木染めをやっててドキドキするところかなぁ。
金属塩との反応が、絞られてるところでは遅くなったために違った色が出たりするんですよね。
この辺はどんな本にも書いて無くて、実際にやってみないとわからないことなんです。

あと、焦げ茶と写真にはありませんが金茶に染まってるのが、銅媒染による物。
これも絞りの所に綺麗な黄色が入ってます。
今回の染めで勉強になったことは、媒染液に入れるタイミング一つでも染め上がりが変わってくると言うこと。
今回は特の濃い色を出してみようと、媒染液の濃度を普段の3倍くらいにしてみたんです。
で、染液で煮立てた六尺を絞って1本ずつ媒染液に入れてかき混ぜるんですが、最初に入れたのは濃く染まって、2本目のはやや薄目の違った色合いが出るんです。
つまり、最初に入れた六尺に染みている染液と媒染液が反応してしまうので、2本目が入った時には既に有効な媒染液の濃度が下がっているからなんですねぇ。
いやぁ~~、微妙な物です。

これだと、浴衣地を染める時はかなり大きな容器に媒染液を用意して、一気に色揚げしなくっちゃダメって事になりますねぇ。


これは、夏に藍染めの講習を受けた時の物。
これが独特の臭いでねぇ、くっさいのよ。

天空の音楽

2006-11-16 17:16:41 | ノンジャンル

きょうもきょうとて、P席三昧。
今度は、エルガーのヴァイオリンコンチェルトとホルストの惑星。
エルガーの方は、その天上界的長さにおいて人びとを魅了するようですが、邪悪人間の僕にはちと荷が勝ちすぎました。
あ~た、50分もかかるヴァイオリンコンチェルトって、ど~よ!

会場の入りは、7割ぐらい。
ホルストの惑星なんて、なかなかやらない曲なのに、もう去年のブームは去ってしまったのかしらねぇ?
おかげで、会場には来なくても良いようなお客がひしめいていて閉口させられました。
どんなお客かって?

咳をしても口元を覆わない。
演奏中にですよ。
それも世にも美しいppp(ピアニッシモ)のさなかに
「ゴホッ!ゴホゴホゴッホ!」
あ~たねぇ、自宅でカウチポテトじゃないんだから、少しは周囲に気を遣うとかできんのかね?いい大人がっ!!!
で、その音がホール中に反響している。
まともな神経の持ち主なら、恐れ入ると思うのだが。
と、そんなのが、一人や二人ではないのだ。
かててくわえて、演奏中に荷物をガサガサするやつ。
見ると、カバンにしまったパンフレットをいちいち出したりしまったり。
落ち着き無いこと甚だしい。
で、そのカバンを空いている隣の座席に乗せてみたり、また下ろして足下に置いて倒したり向きを変えたりと延々とやっている。
と思えばすぐ脇の婆2人連れは、歌舞伎公演と勘違いしてるのか、しきりに喋くっている。
やれバイオリンがやれ指揮者が、あぁうるさいったりゃありゃしない。
反対側の御仁は退屈紛れにパンフレットを音を立ててめくり続け、しきりに時計を眺めている。
嫌ならさっさと帰ればいいのにっっ!!!

一体に於いて、日本の公共空間でのマナーというものは、すっかりなりをひそめてしまった。
傍若無人、我が物顔、跳梁跋扈である。
いちいち腹を立てているようでは、コンサート会場に坐ってなんか居られない。
くつろいで音楽を聞きたかったら、自宅でCD、これに限ります。
しくしく。

それでもなお、何をまた好きこのんでなけなしの金はたいて、身分不相応にもコンサートホールなんかに足を運ぶのかと言えば、それはやっぱり、そんな嫌な目にあっても遙かに素晴らしい感動を体験できることもあるからなのよねぇ。
でだ、この日がやっぱりそれだった。

ホルストの惑星をP席で聴く。
こんな素敵なことがあるだろうか?
すぐ後ろにはパイプオルガンがそびえ、透明な重低音で僕の内蔵を緩やかに共振させる。
すぐ目の前には8台のティンパニと金管楽器群が。
そんなところに坐って、火星(戦争をもたらす者)の地獄の咆哮に包まれてみたまえ!
今までのイライラなんか木っ端微塵だ。
...............
そして最後の海王星(神秘主義者)。
あの永遠の彼方から聞こえてくるコーラスは、今回はどこで歌われれるんだろう?
舞台裏でと言う指示があるんだけれど、一階のステージ脇の扉の裏で?
ひょっとすると、僕のすぐ後ろにあるドアの向こうで?
曲の終わりが近づくとはっきりと歌声が聞こえた。
僕のすぐ後ろのドア越しに。
そして音楽は果てしなく遠ざかっていった。

うぅ~ん、成仏しました。


死の音楽、生の音楽

2006-11-15 16:24:00 | ノンジャンル


つい先日、[ノルドグレンの左手のための協奏曲~小泉八雲の「怪談」による]って言う曲と、マーラーの5番を聞きに行ってきました。
ピアニストは、もちろん館野泉。
かつて彼は脳溢血で倒れ、2004年に「左手による演奏会」で再起。
文字通り黄泉帰ったピアニストですね。A(^_^:



それにしても、「左手のための協奏曲」は、異様な、しかし苦痛と悲しみに満ちた美しい作品でした。
美しい?
2つに分割された弦楽オーケストラは、それぞれ違った調性でチューニングされていて、同時に鳴るとおぞましい軋みを発します。後方には悪魔の音楽をかき鳴らすために調弦を狂わせたヴァイオリン奏者たちが一組ひかえて、その脇には身の毛もよだつ音を発する楽器が。
ドラムの底の皮を外して松ヤニを塗ったロープを垂らし、革手袋でしごきながら交互に引っ張るんです。
ゆっくりと執拗にね。

で、会場は、嵐の海に翻弄される木造船の中のような音響に満たされる。
美しい?
えぇ、どうしてだか、こんなにもおぞましいトーンクラスターの嵐の中でも、音楽は何か一つ突き抜けたような美を、一瞬たりとも見失わなかったんですねぇ。
苛烈な憎悪の芯に、捨てきれない深い愛の光が透けて見えている。



小泉八雲の「死体にまたがった男」から着想を得たという音楽。
女を離縁して旅立った男が旅から戻って女の復讐の念を知り、陰陽師の助言によって、怒りと悲しみのうちに死んだ女の屍にまたがり、その怨念を解いたと言う話しだそうな。
復讐の念があまりにも強かったために、屍は朽ちることなく男の家で帰りを待っていたという。
しかし、明け方の光の後、音楽は儚くも美しい和音へと解体していく。
はたして本当に、女は、その激しすぎる怨念から解放されたのだろうか?
それは、この曲を聴いたあなたの耳だけが、答えを出せるんでしょうね。

アンコールは、シュールホフのアリア。
ペンタトニックとクラスターの、東洋的に響く小品。



マーラーの5番は、死の音楽で始まり愛に満ちた確信で終わる。
葬送行進曲の合間からチラッと聞こえてくる悪魔の笑いは、あれはやっぱり小規模なクラスターで出来ているね。
続く楽章は、富士急の「どどんぱ」よりもスリルに満ちた曲。 (>_< ;
ラヴェルのラ・ヴァルスを思わせる不穏な踊りも聞ける。
で、有名なアダージョ。
終楽章は、牧場のピクニックで昨晩の情事を思い出しながら鼻歌を歌う。>ぼか!
今風に簡単にまとめると、もてない男のプチ鬱とヒステリーとやけっぱち、それに続く濡れ場、そしてやっぱり愛は素晴らしい、セックスってステキ!そんなハッピーエンドな曲かな。
マーラーさん、ごめんなさい。

まぁ、いずれにしても、自分の誕生日に死人の音楽とか聞くのは、なかなかおつなものだ。
20歳になった頃、生きていくのをホントにしんどいと感じていたっけ、で、25になった時はやっと折り返し地点まで来たから、このまま我慢してれば何とか50歳ぐらいまでは間が持つだろうなんて考えてたねぇ。
あのころは、今思えば生きてなかったなぁ。
自分をもてあましてたのよ。
29の秋にやっと観念して、2丁目に出てきた。
これは、ホントに自分にとって良いことだったと思うねぇ。
第一、後生大事にたった一人で抱えていた悩み事が、何だかどこにでも転がってる普通の話しみたいに扱われる2丁目、いやぁ~気が楽になったのなんの。

あれから20年ちょっと。
♪年をとるって素敵なことです
 そぉじゃないですかぁ~?♪
この歌のホントの意味とは無関係に、シニカルな側面ぬきで、字づら通りにそう思う今日この頃です。

身体的音楽

2006-11-13 11:10:34 | ノンジャンル

今年もタブトゥーラを聞きに行ってきた。
と言っても、今回は無料コンサートだけど。
ま、言わなくてもわかってると思うけど、コンサートはお値段じゃないからねぇ。

タブトゥーラって何?ってひとの方が多いだろうから一応コンサートの案内から抜粋すると、
古今東西の響きが溶け合う、変幻自在の古楽器バンド」だそうだ。
メンバーはいつもの
つのだたかし(ウード、ラウタ、ビウエラ)田崎瑞博(フィドル)江崎浩司(リコーダー、ショーム)近藤郁夫(パーカッション、ダルシマー)山崎まさし(ビウエラ)。

ちなみに、主催者のつのだたかしは、漫画家のつのだじろう(代表作「うしろの百太郎」「恐怖新聞」など)や歌手のつのだ☆ひろ(代表作「メリー・ジェーン」など)と兄弟なんだってね。

もう23年目の活動になるそうだ。
あ~、もうそんなに経つのねぇ。

当時、YMOの曲とルネッサンスの音楽を古楽器でやったアルバムとか、大好きだったなぁ。
いや、あのアルバムはダンスリーの方だったか。A(^_^;
年をとるわけだよねぇ、あれからもう23年も経つのね。

あ、考えてみたら、僕の2丁目歴と同じじゃん。
年をとるわけだよねぇ。

それはさておき、曲目はこんな感じ。

タルタリア
トロキルス
夜の蟹
風の岡
新しい自転車
夜来る人
ごわごわ
レセルカーダ

とまぁ、オリジナル曲が並んで、最後だけ16世紀スペインの曲。
変拍子の効果的な曲が多くて、聞いていると体がむずむずしてくる。
6拍子なんだけど、はじめの3拍が6/8で後半が3/4で、ここぞと言うところに4/4が割り込んでくるとか、ガムランのリズム体系を旨く取り入れたようなのとか、ワケワカなのが気持ちいい。
そう言えば、アンビエントハウスなんてのも好きだったなぁ。あれって、リズム的には、究極のワケワカじゃなぁい?
A(^_^;

僕の体を流れている一体どの民族の血だか知らないけれど、そう言う錯綜したリズムを聴くと、体が異様に反応してきて手足が裏拍で動き出す、ドキドキうきうきしてくる。
だいたいからして、僕の初めての海外旅行がケニアだったあたりも、そう言う血が錯雑としたリズムの王国へと駆り立てたからなのだった。
ケニアの国立公園内にあったナイトクラブで、クロスリズムぐじゃぐじゃの、おっそろしくノリの良い曲で踊り狂った記憶がよみがえってくる。
腰で4拍子をとりながら、膝では2拍3連譜を、両手は3連譜を、肘が8分音符をと言うけったいな動きで踊ってたら、バンドのメンバーに「おまえ、ミュージシャンだろう?」って、聞かれちゃったり。
あのころは、若かったわよねぇ。
今じゃ、ベビーダンスがやっとだわさ。
とほほ.........

笑ったのが「夜の蟹」。
タイトルを訳すとナイトクラブだそうな。
「海からはい出してきた蟹たちが、夜な夜なナイトクラブで酒をあおり、明け方へろへろになって海に帰っていく」ってな解説をしてくれましたがね、最後の方はもう宴会芸のオンパレード。
リコーダーで救急車のサイレントとかやってるし、フィドルは多調性になってるし。
妖しげな足取りで階段を下りてきて僕の鼻面あたりでキコキコとフィドルをかき鳴らす、リュートをかきむしる。
笑い転げちまいやした。

いつものことなんだけど、「ごわごわ」あたりからお客にいじりが入り始めて「参加型ですから」とか言って合いの手の手拍子をさせられる。
で、だんだんのせておいて「レセルカーダ」では、「これ、スペインのカチャーシーみたいなもんですから、わかりますよね?一層激しく参加型の曲ですから、最前列の人とか特にご協力願いますね。」なんて、結局踊らされてしまう。
仕方がないから踊らされてきましたよ、裏拍の手拍子とってね。w