いや、それ以前に、そもそもお守りが必要な状態なのか?というつっこみもあるが、それはまぁおいといて話を進めよう。
A(^_^;
実は、去年の今頃から、ずぅ~っと気になっていたことがあった。
花園神社の紋章のことだ。
去年これを僕は、麦じゃないのか?ってなこと書いたんだけど、その後で友達から稲だと思うけどと言う指摘を受けたのだった。
たしかに検索してみると抱き稲とある。
ちぇっ、やられた。
そりゃまぁ、神社は弥生文化と共に日本にやってきたんだろうから、そしてもともと日本にあった聖地の上に建てられた(縄文文化をつぶして、あるいは共存する形で)んだから、稲がシンボルというのは一番妥当なところだった。
でもね、例外の一つぐらいあったら面白いんじゃないかなって思ってたんだよね。
でも、気になることが何点か。
麦なんじゃないかっていう結論に達するキーになってた、例えば麦神事とか、花園神社の社務所だけで配られるという麦の穂の着いた熊手ってのはどうなんだろうかってね。
麦神事の方は、花園神社のホームページにも載ってたから間違いないとして、熊手が気になってたのだ。
で、チョイと足を伸ばして、一人で偵察に行ってきたのだよ。
麦の穂の着いた熊手がなくても、何はヒントぐらいつかめるかもってね。
例えば、昔はポピュラーだったカンザシ型の熊手ってやつも、今ではすっかりなりをひそめちゃってる。
これね。
今じゃ、博物館でしか見られなくなってるってな話しだったけど、去年、花園神社の酉の市で見かけてね、そこのおばぁちゃんに売ってくれって言ったら、非売品だって鼻にも引っかけられなくて悔しがってたんだけどさ、今年行ったらそのババァ、山ほど売ってやがる。
A(^_^;
そんな調子で、いったん消えた物でも、何かの拍子に息を吹き返さないとも限らないじゃないですか。
ってか、こいつの専門店と化していた。
確かに、年寄り一人でやってるんだから、軽い荷物の方が良いよね。
でも、売れ行きの方は今ひとつの様子。
だってねぇ、この手の粋さがわかる御仁ってのも少なくなったんじゃないの?
昔は、芸者遊びに行く時チョイと一つ二つ買っていって、贔屓の女の髪にさしてやったらしいけど。
三の酉でも出してたら、買ってあげようかしらん?
そんでもって、二丁目界隈に繰り出してさ。
あ、行くとこみんな短髪だわさ。(>_<)
屋台と鬱陶しい人混みの隙間をすり抜けながら、チラッと目に入ったのがこれ。
アメ細工って、進化してるのねぇ。
恐竜なんて、なかなかイイできじゃん。
ご本殿をお参りして、社務所の神社グッズコーナーへ。
う~ん、稲のしかないよねぇ。
で、念のため本殿の臨時販売コーナーも覗いてみるが、やっぱり置いてない。
ちぇっ!
帰りかけて、ライトアップされた御輿を見て、ふと思い出して、お稲荷さんにも立ち寄った。
後で社務所でもらった「花園神社縁起」によれば、吉野拾遺上に
『おなじみかど(後醍醐天皇)花山院(京都)をひそかに出御ならせ給ひて、大和の方に赴かせ給ひけるに、いと暗き夜なりければ、御伴に侍らひける人々も如何にせんと侘び合へるを聞かせ給ひて、「此処は何処の程にや」と尋ねさせ給ひければ、忠房の侍従、「稲荷の御前にこそ」と奏したまへば、
ぬば玉のくらき闇路にまようなり
われにかさなんみつのともしび(三の光)
と御歌ありて伏し拝ませ給ひければ、御社の上より、いと赤き雲一群立ち出で来て臨幸の道を照らし送りて大和の内山に入らせ給へば、雲は金の御嶽(金峯山)上にて消え失せにけり、まさしく御伴に侍らひて見しことにこそ』
とある。
新宿三丁目界隈を三光町と言ったのもこれに由来するとか何とか。
いずれにしてもそっち系というか古いというか由緒正しいのよね。
あぁ、ありがたやありがたや。
(^。^)
と、見ると、これまで気がつかなかった小さな張り紙が。
なになに?夫婦和合のお守り、本殿社務所にお問い合わせください?
さっき見た時、それらしいのなんか無かったと思うのだけれど。
取って返して聞いてみると、神主さんが隠しの引き出しからおもむろに取り出したのがこれ。
なるほど、言わなきゃ出してくれないのね。
で、だめもとと思って聞いてみた。
「物の本で、こちらではかつて麦の穂を着けた熊手を配っていたと読みましたが、今では扱っていないのでしょうか?」
すると神主さん、そのような物は扱っていませんが、詳しい者がおりますのでしばらくお待ちください、そう言って引っ込んでいった。
で、しばらくして戻ってきたんだけれど、あいにく席を外しているとのこと。
うむぅ~、こりゃぁ三の酉も来ないといけないね。
で、やっとここから本題なのだ。
夫婦和合のお守り、何が入ってるか見たくありませんか?
そんな罰当たりなと思う方は、この辺で退散してくださいね。
これを開ける時に、友達たちが『開けちゃうと御利益が無くなる」って言うけど、僕はそんなこと無いって経験済みなので開けちゃうのだ。
そう、たしかにね、中身を見ちゃうと、なぁ~んだって思って信じなくなっちゃう人の方が多いかもね。
でもね、お守りってね、そう言う単純に物質的形状的外観的なもので効力を発揮してるんじゃないんですよ。
たぶん。
じゃぁ、なんで開けるなって言うのかって?
その手の感受性のない人には、見ない方が多少なりとも神秘性という演出が残るでしょ。
2丁目のとある、イタコバー(こらこら)のマスターに言わせると、お守りを直接肌に着けたままにしてると、体が弱ったりするからダメよって言われました。
それはそうかもと思います。
だって、家の実の妹なんか、前にも書いたけど、宮島のお守りを直に触ったとたん、雷に打たれたみたいになって1時間ほど動けなくなってたくらいだし、僕も秋吉台秋芳洞の中でうじゃうじゃいる何かに取り憑かれた時、その小さなお守りの方を直に体にこすりつけて難を逃れたりしてますからねぇ。
ま、これには、恐~い後日談があるんだけど、それはまたそのうちにね。
さて、じゃぁ見てみましょうか。
予想に反して2つ入ってました。
ま、考えてみれば当然のことなんですけどね。
で、中身はと........
これをもう1セット買って、チンコ2本のお守りにしようかななんて思ってます。
罰当たり?
えぇ?明治頃まで衆道も盛んだったんだし、日本の八百万の神はこの手のことにも当然の事ながら寛容だと思いますよ。
ははは
A(^_^;
実は、去年の今頃から、ずぅ~っと気になっていたことがあった。
花園神社の紋章のことだ。
去年これを僕は、麦じゃないのか?ってなこと書いたんだけど、その後で友達から稲だと思うけどと言う指摘を受けたのだった。
たしかに検索してみると抱き稲とある。
ちぇっ、やられた。
そりゃまぁ、神社は弥生文化と共に日本にやってきたんだろうから、そしてもともと日本にあった聖地の上に建てられた(縄文文化をつぶして、あるいは共存する形で)んだから、稲がシンボルというのは一番妥当なところだった。
でもね、例外の一つぐらいあったら面白いんじゃないかなって思ってたんだよね。
でも、気になることが何点か。
麦なんじゃないかっていう結論に達するキーになってた、例えば麦神事とか、花園神社の社務所だけで配られるという麦の穂の着いた熊手ってのはどうなんだろうかってね。
麦神事の方は、花園神社のホームページにも載ってたから間違いないとして、熊手が気になってたのだ。
で、チョイと足を伸ばして、一人で偵察に行ってきたのだよ。
麦の穂の着いた熊手がなくても、何はヒントぐらいつかめるかもってね。
例えば、昔はポピュラーだったカンザシ型の熊手ってやつも、今ではすっかりなりをひそめちゃってる。
これね。
今じゃ、博物館でしか見られなくなってるってな話しだったけど、去年、花園神社の酉の市で見かけてね、そこのおばぁちゃんに売ってくれって言ったら、非売品だって鼻にも引っかけられなくて悔しがってたんだけどさ、今年行ったらそのババァ、山ほど売ってやがる。
A(^_^;
そんな調子で、いったん消えた物でも、何かの拍子に息を吹き返さないとも限らないじゃないですか。
ってか、こいつの専門店と化していた。
確かに、年寄り一人でやってるんだから、軽い荷物の方が良いよね。
でも、売れ行きの方は今ひとつの様子。
だってねぇ、この手の粋さがわかる御仁ってのも少なくなったんじゃないの?
昔は、芸者遊びに行く時チョイと一つ二つ買っていって、贔屓の女の髪にさしてやったらしいけど。
三の酉でも出してたら、買ってあげようかしらん?
そんでもって、二丁目界隈に繰り出してさ。
あ、行くとこみんな短髪だわさ。(>_<)
屋台と鬱陶しい人混みの隙間をすり抜けながら、チラッと目に入ったのがこれ。
アメ細工って、進化してるのねぇ。
恐竜なんて、なかなかイイできじゃん。
ご本殿をお参りして、社務所の神社グッズコーナーへ。
う~ん、稲のしかないよねぇ。
で、念のため本殿の臨時販売コーナーも覗いてみるが、やっぱり置いてない。
ちぇっ!
帰りかけて、ライトアップされた御輿を見て、ふと思い出して、お稲荷さんにも立ち寄った。
後で社務所でもらった「花園神社縁起」によれば、吉野拾遺上に
『おなじみかど(後醍醐天皇)花山院(京都)をひそかに出御ならせ給ひて、大和の方に赴かせ給ひけるに、いと暗き夜なりければ、御伴に侍らひける人々も如何にせんと侘び合へるを聞かせ給ひて、「此処は何処の程にや」と尋ねさせ給ひければ、忠房の侍従、「稲荷の御前にこそ」と奏したまへば、
ぬば玉のくらき闇路にまようなり
われにかさなんみつのともしび(三の光)
と御歌ありて伏し拝ませ給ひければ、御社の上より、いと赤き雲一群立ち出で来て臨幸の道を照らし送りて大和の内山に入らせ給へば、雲は金の御嶽(金峯山)上にて消え失せにけり、まさしく御伴に侍らひて見しことにこそ』
とある。
新宿三丁目界隈を三光町と言ったのもこれに由来するとか何とか。
いずれにしてもそっち系というか古いというか由緒正しいのよね。
あぁ、ありがたやありがたや。
(^。^)
と、見ると、これまで気がつかなかった小さな張り紙が。
なになに?夫婦和合のお守り、本殿社務所にお問い合わせください?
さっき見た時、それらしいのなんか無かったと思うのだけれど。
取って返して聞いてみると、神主さんが隠しの引き出しからおもむろに取り出したのがこれ。
なるほど、言わなきゃ出してくれないのね。
で、だめもとと思って聞いてみた。
「物の本で、こちらではかつて麦の穂を着けた熊手を配っていたと読みましたが、今では扱っていないのでしょうか?」
すると神主さん、そのような物は扱っていませんが、詳しい者がおりますのでしばらくお待ちください、そう言って引っ込んでいった。
で、しばらくして戻ってきたんだけれど、あいにく席を外しているとのこと。
うむぅ~、こりゃぁ三の酉も来ないといけないね。
で、やっとここから本題なのだ。
夫婦和合のお守り、何が入ってるか見たくありませんか?
そんな罰当たりなと思う方は、この辺で退散してくださいね。
これを開ける時に、友達たちが『開けちゃうと御利益が無くなる」って言うけど、僕はそんなこと無いって経験済みなので開けちゃうのだ。
そう、たしかにね、中身を見ちゃうと、なぁ~んだって思って信じなくなっちゃう人の方が多いかもね。
でもね、お守りってね、そう言う単純に物質的形状的外観的なもので効力を発揮してるんじゃないんですよ。
たぶん。
じゃぁ、なんで開けるなって言うのかって?
その手の感受性のない人には、見ない方が多少なりとも神秘性という演出が残るでしょ。
2丁目のとある、イタコバー(こらこら)のマスターに言わせると、お守りを直接肌に着けたままにしてると、体が弱ったりするからダメよって言われました。
それはそうかもと思います。
だって、家の実の妹なんか、前にも書いたけど、宮島のお守りを直に触ったとたん、雷に打たれたみたいになって1時間ほど動けなくなってたくらいだし、僕も秋吉台秋芳洞の中でうじゃうじゃいる何かに取り憑かれた時、その小さなお守りの方を直に体にこすりつけて難を逃れたりしてますからねぇ。
ま、これには、恐~い後日談があるんだけど、それはまたそのうちにね。
さて、じゃぁ見てみましょうか。
予想に反して2つ入ってました。
ま、考えてみれば当然のことなんですけどね。
で、中身はと........
これをもう1セット買って、チンコ2本のお守りにしようかななんて思ってます。
罰当たり?
えぇ?明治頃まで衆道も盛んだったんだし、日本の八百万の神はこの手のことにも当然の事ながら寛容だと思いますよ。
ははは