くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

知らぬ間に?

2006-06-30 22:35:17 | ノンジャンル


知らぬ間に、男の肛門に入ってしまった電球のレントゲン写真だそうです。
こんな画像、まぁめったに見られるもんじゃないですねぇ。

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「目が覚めると、下腹部に痛みを感じました。病院で検査を行い事実を伝えられたのです。誰がやったのかは分かりません。看守か囚人です」
パキスタンの刑務所に服役しているファテ・ムハマンドが目を覚ますと、肛門の中に電球が入っていた。不快感の原因を知らされてショックを受けたという。誓って、電球が入っているとは知らなかったと言っている。
写真ともに世界ビックリニュースから
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眠っている間に、気付くことなくケツに電球を突っ込まれるなんて、普段から腕を突っ込まれているやつでもあり得ないような話しだと思うんですけど。
どうなのかしら?
しかもノンケ???

いい話だ。

写真=Fuck

2006-06-20 06:36:21 | ノンジャンル


ついにS●NYとは決別です。
微妙にトンチキなデザインですが、まぁ、当分はこのカメラで行こうかと思います。


ところで、アラーキーって66歳なんだねぇ。

「写真を見たやつに嫉妬させるぐらいじゃなきゃ。」
「その時の愛とか情だからな。」
偶然、荒木経惟(あらきのぶよし)の番組を見た。

「カメラは性器だから」
「すごい!俺、自分の作品に酔っちゃうな。俺、欲求不満なのかな?」
「人生とか幸福って言うのは2人以上じゃなきゃダメなんだよ。」



写真は、カメラマンと被写体との関係性だという。彼がよく喋るのは、短時間にその関係性を構築し、被写体からすべてを引き出すための手段だからなのかも知れない。
しかし、家族や近親者との関係の方が、一時的に構築されたカメラマンとの関係性とは比べ物にならないほどの濃密な関係性であることは、疑う余地もない。だから、彼はカメラマンとモデルの一対一の関係ではなく、モデルを取り巻く人間関係までもを巻き込んで撮影することに興味を持ったという。人生とか幸福って言うのは2人以上じゃなきゃ写らないんだと。
というか、そうしなければ写すことのできないカンケイが、そこにあるのだと。


2004/2/27 17:44

彼もまた、被写体から学び続けている。
言葉、言葉、言葉。
よく喋る。
やっぱり、撮影はセッションだねぇ。

「写ってなきゃ、記憶から消えてくんだよ。」
「いやがるところは写さない。」
「いやなことは写さない。」
「僕が写真でやることは、ものすごく個人的なことで、関係性だ。だから、写真は僕の人生だ。」


2005/11/6 11:48

彼は、撮影の時いくつかのカメラを同時並行的に使って撮影している。
それぞれのカメラの特性の違いは、ちょうど絵筆を取り替えるようなものだという話し。
「いろんな人といろんなおちんちんでやりたいでしょう?」と、彼は言う。
なるほどね。
僕は、おちんちんは1つあればいいや。


2003/12/21 20:08

さてと、違うことを考えてみよう。
僕という人間の、日常の何気ない一瞬を、だれかが写真という手段で切り取る。
短い人生のすでに忘れ去ってしまった在る瞬間を、写真はとらえて放さない。
50年前には、僕はいた。50年後には、僕はいない。
それでも、ありふれた日常の一瞬の切り口の集積は、永遠を象徴していないだろうか?
そう、飛ぶ矢は常に止まっているのだ。


2002/4/5 14:45

これやこの ゆくもかへるも わかれつつ
しるもしらぬも あふさかのせき
                蝉丸


2002/8/9 11:55


草木染め六尺

2006-06-19 12:24:48 | ノンジャンル

染色に手を染め、手を焼いています。

もともとクラフト系は好きなもんで、ついつい凝ってしまってねぇ。
仕事の合間を見ては色々と新しい染色法なんかも試してるんですよ。これがまた愉しい。
上の写真は、柿渋を使った物。
左は捻り染め、右はそれに酢酸鉄を反応させた物。
柿渋だけの方は落ち着いた煉瓦色の濃淡で、鉄で処理した方はさらに小豆色がのります。
柿渋は日に当たるほど発色が良くなるのが良いところかな。

さて、今日も良い天気になったし、何で染めようかな。
ぐふふ

というわけで、今年こそは小坪で土方焼けを解消しようと思ってるのだ。
もちろんこの草木染めの六尺を締めてね。


さて、そこで問題です

2006-06-18 10:56:46 | ノンジャンル


もう一月も前の話しになってしまう。
5月20日に代々木公園で見つけたんだけど。
なかなかカワイイでしょう、なんだと思います?
もちろん、公園に落ちていたんですよ。

ヒントはねぇ、
1 白いところはフワフワになる
2 風に騒ぐ
3 のっぽさん
って、これだけじゃわかんないかもねぇ。




こんな風に花の穂にくっついていて、綿毛を飛ばすんですよ。
中国では、この仲間の樹が飛ばす綿毛を鬱陶しいと思う人もいるようです。何年か前にWebのニュースで、北京だったかのこの綿毛を飛ばす樹を全部切ってしまったなんて話しを読んだこともありました。

「柳絮(りゅうじょ)」という言葉で検索してみてください。
世界のあちこちにいる日本語を使う人たちが、この綿毛に寄せる様々な思いを知ることができます。
柳絮舞う時
柳絮
6月の情景
ケショウヤナギの柳絮が始まりました!
柳絮

違う国、違う言葉、違う習慣の中で暮らす人たちの間を、フワフワと夢見るように飛んでいく白い綿毛。
そう言えば、何年か前にダンス・ウィズ・ウルヴズって映画が流行りましたよねぇ。あの中のとびっきりロマンティックなシーンにこの白い綿毛が漂ってたのに気がついた人は一体何人くらいいるのかなぁ?
好きな映画の一つです。

白人も、たまには良い物を造るけれど、油断はできない。
去年の台風被害で大変なことになったあの国の出来事で、まさにそのエリアについて全く報道されていないことがあるなんて事をNative Heartで知ってしまってからと言うもの、そんな風に思ってしまうようになった今日この頃。
離れてみれば夢見るような綿毛も、まっただ中に立てば鼻腔に突き刺さる不快な綿毛でしかないということもあるのかも知れない。




正解は、ポプラの種でした。
ポプラの樹って、ヤナギの仲間だったんですよ、知ってましたか?
日本の山にもポプラそっくりの樹があります。
ヤマナラシ(山鳴らし)。山の斜面にすっくとそびえて、まるで独り言でもつぶやいているかのようにこの樹だけがサラサラと音を立ててそよいでいる。どんなささやかな風も逃さずにとらえて知らせてくれる樹だ。

「山鳴らし」やポプラの仲間の葉っぱには、ちょっとした秘密がある。今度公園に行ってポプラの樹を見つけたら確かめてみると良い。葉っぱを一枚とって葉柄をよく見てみよう。葉の付け根のところが平べったくなっているのがわかるはず。
この構造のおかげで、どんなそよ風にも揺れる葉っぱになっているのだね。

まっすぐ迷うところもなく育ったポプラの樹は、誰も気づかない風の変化を今日もいち早く教えてくれる。

犬派? ネコ派?

2006-06-17 17:07:53 | ノンジャンル


 クロとぼく
      まど みちお

 学校から帰ってきた ぼくの
 足音めがけて
 クロが とっしんしてくる

 めちゃめちゃなきの
 めちゃめちゃかみの
 めちゃめちゃなめだ

 ぼくを待ちくたびれながら
 そこらに書きちらしたらしい
 でたらめの「すき」という字を
 なん百 なん千
 はねちらかし けちらかし

 ぼくはクロをだいて
 山のように どっかと坐って
 世界中を にらみまわしてやる

 もしも ライオンとトラとヒョウと
 オオカミとワニが
 一どに
 クロにとびかかってきたいのなら
 いつでもこい! というように



犬派かネコ派かと言われたら、僕は長いこと犬派だった。

小さいとき、僕は一度行方不明になったことがあって、家中が大騒ぎして探したって話を聞いたことがある。
その頃、両親は共働きだったんで、僕は母方の実家に預かってもらっていた。
保育園が終わった午後は、だから、おばあさんのところに帰って、そこで両親が迎えにくるのを待っていたのを憶えている。

行方不明になったのは、確かそんな頃の話しだったはずだ。
まだ明るい時間帯に、母が迎えにやってきたのだが、僕がどこにも見つからない。
おばあさんも真っ青になって探し回ったらしい。
父も帰ってきてさんざん近所を探した後、もう警察に捜索を頼まなくっちゃだめかと腹をくくった頃、裏庭の犬小屋の中で大好きな犬といっしょに眠っている僕を発見したんだそうな。

犬の名前がどうしても思い出せない。
ただ、茶色のむく犬だったことは憶えている。
そいつの背中にまたがったり、犬も大変だったろうなあって、今になって思うのだ。
僕が小学校5年生になるまで、学校が終わってから両親が迎えに来て我が家に帰るまでの間、妹たちといっしょに母の実家に預けられていた。
その間に、犬たちも何世代か入れ替わった。
予防接種はしていたんだけれど、ジステンパーやらなんやらで代替わりしたんだよね。
ポインターセッターとかも居たっけなぁ。
あいつはどうも好きになれなかった。
黒いのが居たと思うんだけど、そいつとは結構仲よくやっていたような気がする。

5年生になった頃、母が仕事を辞めて新築した家に移り住み、僕がひろってきたオスの柴犬の子を飼ったのが、本当の意味で僕たちが飼った最初の犬だった。
名前は、クロじゃなくてコロ。
国語の教科書に出てきた犬の名前なんだけどね、子犬ってやっぱりお腹がころっとしてて、だからコロって言う名前はホントにぴったりだと思ったんだよね。

......最後に飼った犬はスピッツだったなぁ。
その子もコロ。
何匹か子供を産んでね。
一番生長の後れていた子犬をみんなで面倒見て、やっと近所の人にもらわれていったときは、ほっとしたっけなぁ。

そんなこともあって、この前巣立った最後のカラスの子は、何だか気に掛かってたんだよね。



特に付き合いがあったというわけではないんだけれど、台湾の現場に1週間いっしょに居た犬。
いつの間にか居着いてしまった、野良犬です。
背中に木星の大赤点のような楕円形の茶色い斑点がある犬でね、だから僕は、声に出して呼びかけたりはしなかったけれど、名前をつけるならジュピターだなって勝手に思っていた犬。

今度会うときは、こいつは野良犬に逆戻りして居るんだろうなぁ。