般若心経

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2022-04-08 | Weblog

 天地無用



 先日通販で花の苗を購入した際、箱に貼られていた。
現役の頃、新入社員がこの「天地無用」のシールを見て、「天地は関係ないのだから、ひっくり返してもよいということか」と言っていたことを思い出した。誰しもちょっとひっかかるなと一度は感じたことがあるのではないだろうか。「無用」は「必要ない」ということである。とすれば「天地無用」は 天地即ち上下は考える必要がない、ひっくり返してもよいととられても不思議はない。しかし、「天地無用」はひっくり返さないようにという注意である。
「天地無用」の意味を知っていても「上下無用」とか「表裏無用」と言われると首を傾げるだろう。
 「無用」を国語辞典で引いてみると
① 役に立たないこと
② 必要でないこと
③ 用事のないこと
古語辞典ではさらに
④ してはいけないこと
とある。
「無用」が付く語は
問答無用、意見無用、立入無用、転送無用、返信無用、他言無用、心配無用から小便無用まで、いずれも行動とか動作が伴う語に「無用」がついている。ところが天地無用の「天地」は動作ではなく名詞である。「天地」が無用であるというのだから訳が分からなくなる。
これはもともと「天地」と「無用」の間に動作を示す語があったのではないだろうか。例えば「天地転倒無用」とか「天地反転無用」などの「転倒」、「反転」が省略され馴染みやすい四字熟語となり「天地無用」が慣用句となったのではなかろうか。
 とすればもっと省略して「天」とか「上」だけでもよいのではないか。
ちょっとシールを考えてみた。

手前味噌だがシンプルで分かりやすいと思うのだが。
 話をもとに戻して、
まあ「天地無用」のシールを見て「この荷物の上下は関係ないのだろう、だったらひっくり返してみるか」と考える物好きで暇な輩はまずいないだろう。
わざわざ「天地無用」を辞書で引いてみる人間のほうがもっと暇である。
暇なついでに宅配業者のシールを調べてみた。
前掲の写真は佐川急便のもの。
クロネコのものは

「この面を上に」 だけでもよく分かるのだが、なぜか小さく「天地無用」と印刷している。
運送業界では「天地無用」は世間の疑惑をよそにすでに確固たる地位を得ているようである。


 4月8日  今日は 花まつりです。