般若心経

写経
四国八十八ヶ所

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2016-05-29 | Weblog

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2016-05-26 | Weblog
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2016-05-22 | Weblog
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5月21日
JRみの~五岳山~善通寺~JR丸亀

出釈迦寺護摩祈祷日



参道の牡丹? 大きな一輪


四国八十八ヶ所逆打ちのこと
奥の院から本坊に下り、納経所に寄ったところ、ご朱印を待つ列は納経所の外にまで続いていた。今年は丙申の閏年で、お遍路が多いとは聞いていたが これほどまでとは思わなかった。一度並んだが、後ろに並ぶ人数が次第に増えてくる。確認の判だけもらうために、次の行程を急ぐ人の前にいるのもと思い、列をはなれて休憩所で待つことにした。
そこに高松から来たという先達さんがおられた。以前静岡にいたのだが、病気回復のため、四国へんろをまわり、四国に魅せられて高松に移り住むようになったとか。いろいろな話を聞かせてもらった。「へんろ逆打ちの功徳、衛門三郎は死をもって功徳を得た。私にはそれだけの信仰と覚悟はない。だから逆打ちは絶対にしない」と話された。そういえば、一昨年、岩本寺で夕食を一緒にしたNHKのロケで松山からこられた先達さんも「逆打ちは罪人のすること。私は逆打ちはしない」と言っておられた。
いろいろな考え方があるものだ。ただ単に3倍の功徳を求めて、またお大師さまにお会いできる機会を願い、あまり深く考えずに周るのもいいのではないかとも思うのだが。
休憩所で30分ほど待ったが、列が途切れる様子はない。判は次回にもらうこととして、再度奥の院へ向かった。





善通寺本堂前の香炉


「線香はねかせて下さい」と張り紙
線香が丸い香炉の周辺から中心に向かってきれいにねかされている。
以前に浄土真宗のお宅で線香をねかせているのを見たことがあるが、八十八ヶ所のお寺で見たのは、はじめてのことである。
お寺の人に聞いてみると線香を立てるときに袖を焦がす人がいるので、、先日からこのようにしたとの話だった。
確かに「線香は真ん中から立てる」のがマナーといっても真ん中から立てていくと次第に周囲に広がってくる、あとから真ん中に挿そうとすると挿しにくいし、袖を焦がす人がでてくる。この情景は何度もみたことがある。また団体の参拝者が中央に密集して立てた線香が風に煽られて燃え上がったこともあった。ねかせれば、このようなことはなくなるだろうし、線香の根元の燃え残りもなくなる。
従来の慣習に捉われない新しい工夫、発想である。 お寺もQC活動やっているのかな。

善通寺 セルフうどんこだわり八輻(はちや)
ぶっかけうどん小 @270 えびかきあげ @100 生たまご @50


般若心経

2016-05-20 | Weblog
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般若心経

2016-05-18 | Weblog
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へんろころがし 1/6



へんろころがし 3/6


へんろころがし 4/6


へんろころがし 6/6


遍路ころがしのうわさ
 第十一番藤井寺から第十二番焼山寺への遍路道は嶮しい山道が続き、その中でも特に急な坂道は遍路ころがしと呼ばれている。この区間に遍路ころがしは6箇所あり、その各々に『へんろころがし○/6』と書かれた立札が立てられている。
この立札は坂道の嶮しさ、きびしさによりその大きさが異なるという”うわさ”がある。
 ちょうど一か月前巡拝した折、確認してみようと思い、「1/6」と「6/6」の立札2つを見つけた。手幅でみたところ、大きさは明らかに違う。もっとゆっくり歩き、あちこち眺めながら歩けばあとの4つを見つけられたかもしれないが、なにしろ急な坂道の連続であり余裕がなかった。
 そこで今回、もう一度確認してみよう、確認するには正確に順位を付けてみようと思い、メジャーを持ってチャレンジした。 もう少し若いころであれば、大勢の人が歩いている中で隊列を抜けて、立札の大きさを測るようなマネはとてもできなかったと思うが、特に気にすることなく測ることができた。人の目を気にしなくなったというか、やや恥じらいの感覚が鈍くなったのかもしれない。
 その結果、新たに「3/6」と「4/6」の立札を見つけ計4つの立札の大きさを測ることできた。注意して歩いたのだが、「2/6」と「5/6」のふたつの立札は見つけられなかった。 確認した結果は「1/6」,「3/6」,「4/6」の立札は、幅は同じ75mm、高さは「1/6」が270mm,「3/6」が280mm,「4/6」が275mmと微妙な違いがある。
しかし最後の「6/6」は幅が100mm、高さは425mmと一回り大きい立札であった。
 驚いたことがあった。 立札を探しながらコースの中ほど柳水庵の手前に来たとき、ライトグリーンの帽子をかぶった若いスタッフが私の後ろにいたので、歩きながら立札のことを訊ねた。すると少し後を歩いていた中年の男性スタッフに「立札のことを聞かれている」と声をかけた。驚いたことにその中年男性がこの立札を立てたその当人だった。 大勢いるスタッフ、それも500人からいる参加者の中にばらばらにいるスタッフ、まったくの偶然、本当に驚いた。そして場所も3/6の立札のすぐ傍だった。
すぐ近くに弘法大師が杖で突いて水が出てきたという湧水がある。
不思議なことだった。お大師様によるめぐり合わせかとも思う。 測れなかった「2/6」と「5/6」の立札についても、一度に判るよりか またの楽しみとしてとっておいてくれたのかもしれない。

最後まで残った空海の道ウォーク

2016-05-15 | Weblog
5月15日
「最後まで残った空海の道ウォーク」
第11番藤井寺~第12番焼山寺~鍋岩
500人を超える参加者 ボランティア、スタッフを含めると700人


開会式
本堂前にはもちろん入りきれない






かわいいお接待
「ありがとう」と言うと小さい手を合わせてお辞儀をしてくれた


ゴール


ちょうど1ヶ月前に巡拝したときの所要時間を比較
それほど意識しなかったが、大勢で歩いた方がかなり速い


楽しい一日をありがとうございました

徳島 眉山

2016-05-14 | Weblog
5月14日
徳島 眉山

眉山山頂から


眉山は2年ぶりになる。
ロープウェイもあるが、車でも登頂可能であり、ウォーキングコースも各方面からAからHコースまである。
山腹には西国三十三箇所 四国八十八ヶ所のルートもある。
麓の天神社横の登山道から登った。途中、小学生や女子高生のグループがにぎやかに降りてきた。
街中の山だけに大勢の人が登っていることは、岩や木の根を見ればわかる。
山頂では以前に入ったことのあるモラエス館がなくなっていた。
モラエスは徳島ゆかりの元ポルトガルの外交官である。モラエス館にはその資料や旧宅の一部が展示されていた。老朽化のため廃館になったのだろうか。
下りは山腹を斜めに八十八ヵ所を巡る道を降りた。
麓の阿波踊り会館を見て、まだホテルに入るには時間があり、そごうに隣接する市立図書館で一時過ごし、一階に下りるとなんとモラエスの資料展が開かれていた。17時でちょうど終了したところであったが、そとからいろいろな資料を見ることができた。

高松めりけんや ぶっかけうどん \330


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2016-05-14 | Weblog
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2016-05-10 | Weblog

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5月7日

金森山新善光寺参拝








 

四国八十八ヶ所第37番岩本寺から第38番金剛福寺の間、高知県土佐清水市の遍路道の中ほどに「四里四拾丁」の丁石がある。他の丁石より一回り大きなこの丁石に大きく「新善光寺」と彫られている。
「四里四拾丁」の由来を調査したこともあり、どのようなお寺だろうか、一度訪ねてみたいと思っていた。
丁石には「作 勝中村」とある。現在の津山市中村である。鳥取へ向かう国道を少し入った小高い丘陵地にお寺はあった。
きれいに整備された白い砂利と緑が映える芝生の境内は広く、ミニ八十八ヶ所を巡拝できる。
ご住職は葬儀の準備でお忙しいところであったが、快く応じてくださり、お話しを伺うことができた。
「四里四拾丁」の丁石の拓本も見せてくださった。表装し掛け軸にしている。現地でみるより一段と大きく立派に感じ、感動した。
また遍路道に関する資料も拝見させていただくことができた。
ありがとうございました。

高貴山菩提寺参拝











平安時代に浄土宗開祖の法然上人が9歳から13歳まで修行されたお寺
国道から外れた山中、麓から300メートルほどの高さを登る。
境内の各所にかわいい石仏が置かれている。周りの静けさ、風景にとけ込んでいる。
石仏のひとつに


お寺は生きている間に来るところです
死んでからでは遅い
お経は生きている間に聞く教えです
死んでからでは遅い
お釈迦さまは死んでしまった人のためには
一言も教えを説いていない
生きている間に旦那寺へ行きなさい
円光大師(法然上人)