般若心経

写経
四国八十八ヶ所

般若心経

2018-07-30 | Weblog
1925

 納札入れ

 本家の義姉に納札入れを作ってもらいました。
今まで納札は経本に挟んでいました。経本に挟んでいれば、すぐに取り出すことができ、便利はよいのですが、20枚くらい挟むと分厚くなり、経本の折り目が破けだしました。
 首に掛けるタイプや箱形、袋状のものなど市販されている札入れにはいろいろなものがあります。古くは木製のものもあったようです。
 邪魔にならず、取り出しやすく、納札が皴にならない札入れ、あれこれ考えて堅紙で底と枠を作り、布で折りたたむ仕上げにしました。
布地は少し厚めですので、頭陀袋の中での摩擦にも十分耐えられ、相当長期間使用できそうです。
「今度は、また30年後に新しいものを作って」と言って二人で大笑い。







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2018-07-28 | Weblog
1924

 伊能忠敬
歩いて日本地図を作った男 (別冊太陽 平凡社 2018/05)





 足掛け17年、十次にわたる日本全国測量について、その足跡 日誌 手紙 測量器具、測量方法、完成地図 などを見ることができます。

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2018-07-26 | Weblog
1923

 さかむけ

 先日ボランティアとして真備町へ行き、その後も引き続き行くつもりでしたが、実は左手を負傷して行くことができませんでした。
 最初に現地に行ったとき、左手親指に小さなさかむけがありました。ボランティア二日目、少し赤くなっていましたが、いつもこの程度の傷ならばすぐ治っていましたので、その時は別に気にもせずに作業しました。三日目に渡された注意事項に傷、腫れ、痛み、破傷風などの文字が並び、改めて指をよく見ると爪の根元がぶくっと小さな玉を入れたように膨れています。押すとびりびりと痛みがあります。帰ってから近所のお医者さんに行くと、化膿しているそうです。爪と皮膚の間にメスを入れ、薬を塗り、化膿止めを処方してくれました。その後数日しても腫れが引かず再度メスで切って薬を塗りました。現在まだ少しですが腫れています。
いつものことだからと軽く見すぎでした。
 親指に太くぐるぐると巻かれた包帯を見てみんなから「どうしたの?」と聞かれますが、”さかむけ”とは言えず「ちょっとケガをして」と言葉を濁すしかありません。
 ボランティアセンターにはビニルの手袋を用意してくれていましたし、自分でも最初からゴム手袋を持参していましたが、少々の傷は大丈夫という思いと、暑さもあって使用しませんでした。また作業を終えてセンターに帰ったとき「傷のある人はいませんか」と聞かれました。あのときちょっと消毒してもらっておけば、大事にならなかったのではないかと思います。
 この間、左手を水につけることができず、風呂、洗面、炊事、畑作業など不自由しました。
反省することしきり。





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2018-07-24 | Weblog
1922

 お守り

 先日、善通寺で父親に連れられた小学生くらいの男の子がポスターをじっと見ていました。



「ねぇこのお守りを持っていれば合格するの?」
「そうだよ」とお父さん。
「全員がお守りを持っていたらどうなるの」と男の子が続けます。
「そのときはやっぱりよく勉強した子が合格するんだ」とお父さん。
すると男の子「そしたら、持っていても落ちる子は落ちるんや。なんにもならないね」
ちょうど理屈を楽しむ年ごろの男の子、そういわれればそうだなと思ってそばで聞いていました。
 ここからのお父さんの話がすばらしかった。
「お守りというのは持っていれば合格するのとは違う。
お守りは仏様、いつも持っていれば仏様が身を守ってくれる。
何から身を守るかというと今日は疲れたから勉強は止めだとか、自分の中にいる怠ける心から身を守ってくれる。
いつも誰かに見られていると思えば怠けることはないだろう。
いつも仏さまが見てくれているんだよ。それでお守りというんだよ」
と、このようなことを話しました。
お父さんに拍手


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2018-07-22 | Weblog
1921

 きゅうり加持
 
JRみの~五岳山(筆の山、香色山パス)~善通寺~JR善通寺
 20日は土用丑の日、出釈迦寺奥の院では「きゅうり加持祈祷」が行われ、大勢の人が参拝に来ました。
土用の丑の日、盛夏の代名詞となっているだけあって全国各地で猛暑となったようです。
火上山、中山は木陰の中を進むとはいうものの奥の院へ到着時には汗がびっしょり、持っている手ぬぐいは絞れば汗がしたたり落ちます。
 出釈迦寺本坊でイギリスから来たという若い男女。四国一周を歩いて周っているそうですが、今日はホテルに荷物を置いて、自転車で巡拝しているそうです。私が財布に伸び縮みするストラップをつけてスボンの後ポケットに入れているのを見てその女性が「すばらしい!」を連発し、ずいぶん気に入り、誉めてくれました。「イギリスではそのような人はいない」というので「日本でもあまりいない」と言ったら大笑いしました。
 我拝師山を下った大坂峠でコース変更、筆の山、香色山の麓を廻り善通寺に向かう。善通寺でもきゅうり加持がおこなわれていました。若いお坊さんから祈祷を勧められましたが、別に2箇所で祈祷してもらうこともないと思い辞退。
 その後、善通寺から丸亀まで歩くつもりでしたが、2時をすぎ暑さはますます増してきました。コンクリートやアスファルトからの照り返しが顔の回りを覆っているように感じます。テレビや新聞の熱中症の記事が頭を横切ります。再度、コースを変更して善通寺からJRに乗ることにし、帰宅しました。


奥の院では昨年の台風で被害を受けた屋根の修理工事のための足場工事が始まっています。


筆の山


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2018-07-20 | Weblog
1920

 カブトムシ

 昨年暮れに34匹採って来たカブトムシが成虫になりました。




 大きなものは11g小型は8gほどです。3g違えば見た感じかなりの差があります。
一昨年は幼虫を一匹ずつ個別のボックスに入れていたのでオスはすべて11gを超えていました。昨年は34匹を大きな衣装ケースに入れていたので、ストレスがあったのかもしれません、ちょっと成長がよくなかったようです。因みに以前ホームセンターで買ってきたカブトムシは8gでした。

 30匹を超えるカブトムシ、近所に住んでいる孫、町内の子ども、通りがかった小学生たちに分けました。メスは人気がないようで6匹が嫁ぐことができず庭に放しました。、

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2018-07-18 | Weblog
1919

 豪雨災害

 昨日の17日、真備町へ行ってきました。
 今回、私たちの2グループ計10人が派遣されたのは、箭田地区の民家でした。2階の床上まで浸水したそうです。一昨日までの作業で家財はすべて搬出されていました。今回の作業は流れてきた泥と崩れ落ちた壁土の搬出でした。
通路の泥は粘土質で踏み固められて乾いてコンクリートのようになっています。側溝を完全に埋めてしまっている泥は半乾きで羊羹のようです。部屋の中の壁土は水を十分に含んだままで、土のう袋に詰めると水が滴り落ちてきます。
積み重なっていた泥や壁土を取り除くと、床はきれいになりましたが、壁は中に組まれた竹がむき出しになり、天井からは板がぶらさがり、窓は泥で汚れ、元の様子を想像だにできません。
ここで普通に生活していた日常が瞬間にして断ち切られたのだと思うと、家のまわりのごみをひとりで少しずつ片付けているおばあさんに話しかける言葉が見つかりませんでした。
 世の中は常ならず、無常とか云われますが、無常という言葉ひとつで表現するにはあまりにも悲惨です。
 作業を終え、センターへ帰るバスの中から、土ぼこりにかすむ町、傾いた家屋、道路の横に山積みになった家財を見て、災害を受けなかった私たちが毎日を日常として暮らせることのありがたさを改めて感じました。


 一昨日熱中症で十数人のボランティアが手当てを受けたり、救急搬送されたそうです。昨日も暑く、ボランティアセンターは熱中症を大変心配して「20分作業をすれば10分休む」を確実に守るよう何度も注意していました。


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2018-07-16 | Weblog
1918

 豪雨災害

 15日、真備町へ行ってきました。
14日から全国から大勢のボランティアの方々が来られています。

 今回、私たちのグループ5人が派遣されたのは、川辺地区の築100年以上という大きな農家でした。洪水のとき、ご主人は入院して家には70才過ぎの奥さんが一人だけいたそうで、2階まで浸水しそうになったため、屋根から泳いで松の木にたどり着き助けてもらったそうです。
翌日救援のため嫁いだ娘さんが駆けつけて来られたのですが、体調をくずし救急車で病院へ搬送されて現在入院中だそうです。
家の中は浸水当時のままでほとんど手がつけられていません。家財が散乱し、納戸は足の踏み場もなく、台所では大きな冷蔵庫が倒れています。土壁ですので、崩れて床は泥だらけになっています。
一切のものを廃棄するので、外に出して欲しいとのことでしたが、100年の生活が積み重ねられてきた場所です、機械的にすべてのものを考えることなく搬出してよいものかどうか心が痛みました。
 座敷の中にピアノがあり、座板が抜けて傾いていました。5人全員でかかってもびくともしません。近所では分解して運び出したと世話をしている町内の人が来て話していましたので、分解することにしました。ハンマーとバールで意外に簡単に分解することができました。ハンマーで叩く都度バァーンと弦が響きます。ピアノは娘さんが使っていたものでしょう、奥さんは作業を見守りやさしく笑っておられましたが、おそらく心の内では泣いておられたのではないかと思います。
 熱中症予防のため、7時30分受付のグループは作業が12時30分まででした。私たちのグループはもう少しできる余力はありましたが、勝手な行動をとるわけにはいかず、作業は次のグループに引き継ぐことにして引き上げました。

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2018-07-14 | Weblog
1917

 豪雨災害

 昨日13日、災害ボランティアとして真備町に行ってきました。
 ボランティアセンターは真備町の南、峠ひとつ隔てた職業訓練大学校の体育館に設置されています。センターで受付をして被災場所へ派遣されます。私が派遣された場所は最も被害が大きかった箭田という地区の美容院でした。木造の建物は2階まで完全に水没し、洪水から1週間がたち水は引いているのにまだ2階には水が残っています。1階は家具などかなりのものが運び出されていましたが部屋の中は泥沼状態です。1階の残った家財を外に出し、泥を搬出し、2階から大量の衣類、寝具、電気器具、書類、書籍などを運び出し、水をかいだしました。
 1階の壁に掛けられている時計は4時37分で止まっています。深夜から警報が発令されていたとはいえ、照明の切れた真夜中かなりの恐怖をおぼえられたことだと思います。そして一日にして一切の家財をなくされた無念さは察するに余りあります。
 我々は予定の15時までに作業を完了して引き上げましたが、地元の方々にはまだまだ終わりはありません。

般若心経

2018-07-12 | Weblog
1916

 豪雨災害

 一昨日、何かお手伝いすることがあればと市役所に問い合わせましたところ、まだ安全が確保できていなく、体制の準備中であるとのことでした。とりあえず、ボランティアへの参加は保険加入が必要とのことで申し込みをしました。
昨日11日からボランティアの募集がありましたが13日までは団体によるボランティアのみの募集でした。実際には昨日は道路事情が悪くボランティアは午前中のみの活動だったそうです。