般若心経

写経
四国八十八ヶ所

般若心経

2016-12-31 | Weblog
1641

従兄から禅宗の本をもらいました。




般若心経

2016-12-29 | Weblog
1640

黒ニンニク

黒ニンニクは生のニンニクを熟成させたもので、生のものより栄養価が高いそうです。
甘みがあり、ニンニク特有の臭いやピリッとする辛味はありません。
電気釜に生のニンニクを入れ10日から2週間保温状態にしておくだけでできあがります。



一日2片が適量だそうです。

般若心経

2016-12-27 | Weblog
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今年のキーワード

 師走、年の瀬。
今年の漢字には「金」(きん、かね)が決まり、流行語大賞トップテンには「ポケモンGO」「PPAP」などが選ばれました。
これとは別ですが、25日朝TBS系「がっちりマンデー」で紹介していた「2016キーワード」が次の3つです。

その1
フィンテック(Fintech)
FinaceとTechnologyを組み合わせたアメリカで数年前に作られた造語
金融とテクノロジーの融合のこと
【例】
・スマホ・スイカ・パスモで支払い
・駅の改札で自動チャージ(自動改札機にタッチして入場するだけで、Suicaへの入金(チャージ)ができるサービス)
・スマホで自動家計簿(レシートを読み取り自動的に家計簿を作る。銀行、カードとの連携も可能)
・資産運用プログラム

その2
チャットボット(Chatbot)
人間とロボットによるチャットのこと
【例】
・顧客からの問い合わせに対するチャットなどでの自動応答
・カスタマサービスへの導入

その3
グランピング(Grmping)
GlamorousとCampingを組み合わせた10年ほど前にヨーロッパで生まれた造語
魅力的なキャンピングのこと
手軽にリッチなキャンプを楽しむサービス
若い女性を中心に大人気



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2016-12-25 | Weblog
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カブトムシ

 この時期になるとお宮の参道が落ち葉でいっぱいになる。毎年この葉を集めて堆肥にしている。入れ替えのため昨年の堆肥を取り出したところ、底の方からカブトムシの幼虫が出てきた。最初一匹かニ匹かなと思ったのだが、掘れば掘るほど出て来る。
家で育ててみようと10匹だけ持ち帰った。
物置から持ち出してきた金魚の水槽にホームセンターで買って来たカブトムシ用のマットを入れて幼虫を放したところ、幼虫はすぐにマットの中にもぐりこんだ。
ホームセンターのマットとともに幼虫がいた堆肥も水槽の片側半分に入れてみたが、先日確認したところ幼虫はすべて堆肥の方に移動していた。やはり生まれ育った環境の方がいいのだろう。



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2016-12-23 | Weblog
1637

風船かずら


緑を保っていた庭の風船かずらが、今朝見るとやや黄色になっています。

春に種を撒いたものは秋の初めには、すでに茶色く枯れてしまっています。
突然変異による新種かと思ったのですが、米の二期作と同じように夏に落ちた種が成長した可能性が大です。種を取っておいて来年蒔いてみようと思っています。

山茶花

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2016-12-21 | Weblog
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冬至

マリンライナー
(日常生活には全く関係のない話です)

 本州と四国を結ぶ瀬戸大橋を走るJRに「マリンライナー」という列車があります。岡山と高松を結ぶ快速列車です。

 数ヶ月前のこと、坂出駅で待っていたとき、時刻表を見ていた男子小学生数人のグループの一人ががあることに気づきました。
下り岡山⇒高松方向の便数が39
上り高松⇒岡山方向の便数が36
下りの方が3便多いのです。
毎日、下りが3便多ければ、四国にマリンライナーが一杯になるのではないか、という話をしており、そのときは最終便の後、空の電車を本州側に返しているのだろうという結論になりました。
 マリンライナーは車両構成が通常5両のところ、早朝、深夜には2両とか3両になります。また通勤時間帯では7両になったりしています。この関係があるのではないかと教えようかと思ったのですが、見ず知らずのおじさんが不確かなことを言ってもいけないと思い控えました。
その後マリンライナーに乗る都度、このことを思い出しては一度確認してみようと思いながら、帰ると忘れてしまっていました。
 昨日、ふとこのことを思い出し、調べてみました。
マリンライナーは2両、3両、5両、7両の車両構成があります。
2両と3両構成の車両は前後に運転席がありそれがひとつのブロックになっています。
5両構成の場合は3両のブロックと2両のブロックをつなぎます。
7両構成の場合は3両、2両、2両のブロックをつないでいます。
下り、上りの列車№、その構成車両数、2両ブロックの数、3両ブロックの数について調べたところ結果は下記のとおりです。

下り、上りともに車両数にして177車両、2両ブロックの数36、3両ブロックの数35でした。(運行ダイヤ上の車両数です)
四国がマリンライナーで一杯になる心配はないようです。


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2016-12-19 | Weblog
1635

JRみの~五岳山~善通寺~JR丸亀

今月の出釈迦寺護摩供養は13日でしたが、当日は朝から雨のため参拝は中止。
代わりに昨日行ってきました。おかげさまで朝からとてもよい天気で汗ばむほどでした。

多くの人に会いました。
まず中山山頂で後方から若い二人の男性、ランニングスタイルで走って登ってきた。聞くと善通寺の自衛隊員。以前にもこの山で自衛隊員に一度会ったことがある。下り坂など走るというより、飛び降りるといった感じだった。今回も私が中山の下りにかかったところで、すでに我拝師山の頂上付近にその姿が見えた。
奥の院で中年の男性から「空海ウォークに来てましたね」と声をかけられた。私はその男性に見覚えはなかった。前にも同じようなことがあったが、何か申し訳ないような気がしたとともに、誰かが見て覚えてくれているのだと思うと何かうれしいような気もした。
我拝師山の上りで、はじめて縦走に来たという中年の男性からコースを聞かれた。見せられた地図は観光案内の挿絵にあるような手のひらサイズの小さなコピーだ。よくぞこの地図で登ってくることができたものだと思ったが、山登りはかなり経験されているようだ。
我拝師山の頂上では中学生の男女のグループが食事中。期末試験が終わったのだろう。
我拝師山の下りで若い女性の二人連れ。善通寺から登ってきたそうだ。どの山までにしようかと悩んでいるとの話。
筆の山の石鎚山行場では年配の男性3人が草刈。みんな80歳を超えているとのこと。いろいろ行場の話を伺った。
香色山の頂上では先日の空海ウォークで世話になったガイドさんのご夫婦に。来年もよろしく。

日曜日のためか奥の院にも大勢の人が登っていました。


鐘楼工事は瓦葺き工事中です。





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2016-12-17 | Weblog
1634

卵つけしょうゆうどん

『卵つけしょうゆうどん』というメニューがあるわけではありません。
高松駅前のうどんやさんで若い女性がやっていました。
カウンターで生卵を別に注文し、お椀でよく溶いた卵にしょうゆうどん(冷)をつけて食べます。

 同じようにやってみると、いままで味わったことのない食感です。
かま玉ともしょうゆうどんに生卵とも違う味わいです。
うすく醤油が染み込んだうどんに卵がからみ、喉元をつるッとすぎます。
卵は白身が分からなくなるくらいまでよくかき混ぜることがポイント。
私は家でやるときはホイッパーを使い、軽く湯煎して泡立てるくらいにしています。
薬味やしょうが、わさびは入れないほうが、卵の味をよく感じます。
これからの時期、温かいしょうゆうどんでもいいのではないかと思います。

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2016-12-15 | Weblog
1633

三島神社


四国八十八ヶ所で愛媛県を歩いているとあちらこちらでよく「三島(嶋)神社」を見ます。
先日歩いた内子から久万高原に至る農祖峠ルート、前回歩いた鴇田峠ルート各ルート沿いに三島神社があります。第50番繁多寺から第51番石手寺に向かう途中にもあります。いずれも立派なお社です。
Wikipediaによると全国には411の三島神社があり愛媛県内にはこの内約4分の1の111社が集中しているそうです。よく見かけることも納得できます。

愛媛県内の三島神社は愛媛県今治市大三島町の大山祇神社《おおやまづみじんじゃ》(大三島大明神)を総本社とし、神霊を勧請して造営されています。
大山祇神社(2010)

愛媛県内に三島神社が多いのは、同じ伊予の国に大山祇神社があるためでしょう。
また大山祇神社は古くから海の神、戦いの神として崇拝されていました。
愛媛県は村上水軍、伊予水軍(三島水軍)の活躍した場所です。なにか関係があるのかもしれません。

なお、良くご存知のことと思いますが、
今治市の第55番南光坊は別宮大山祇神社の別当寺(神仏習合のころ、神社境内に建てられ、神社の経営管理を行っていた寺)だったお寺です。

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2016-12-13 | Weblog
1632

四天王寺

12月12日 大阪四天王寺に参拝しました。



約1400年前の推古天皇の時代、聖徳太子により創建
仏教の守護神である四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)を安置
本尊は救世観音(如意輪観音)

六時堂


南鐘堂




ちょうど舎利出《しゃりだし》の法要をしていました。
「舎利」とはお釈迦様の遺骨のことで、日本書紀によると推古31年(623)に新羅から日本に贈られ、四天王寺に納められたそうです。
舎利出とは金堂において舎利を取り出し、参拝者の頭上に戴くものです。

司馬遼太郎の「空海の風景」だったと思いますが、聖徳太子がこのお寺を立てられた当時の日本にはまだ瓦を焼く技術がなく、中国から瓦職人を呼んで瓦葺の屋根を造ったそうです。
そして日本の力を示すため、当時外国との行き来に使用していた難波の津と云われていた港から良く見えるこの地が選ばれたそうです。
現在は周囲にビルがあるためそれほど感じませんが、標高は18メートルとやや高い場所に位置します。