小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

プティジャン監督の『ヒロシマ、そしてフクシマ』を観た

2018年07月16日 | 芸術(映画・写真等含)

 

 

地元の「月一原発映画祭」については、何本かこのブログに書いている。今回はマルク・プティジャン( Marc Petitjean)監督の『ヒロシマ、そしてフクシマ』というドキュメンタリー映画である。

監督は2006年に『核の傷ー肥田舜太郎医師と内部被爆』を撮っている。

肥田舜太郎といえば昨年100歳で逝去されたが、1945年8月6日以来広島で被爆者の治療にあたり、生涯一医師として、内部被爆の脅威を世界にむけて発信し続けたことで名高い。

2009年医師を引退したが、執筆、翻訳、講演活動を続け、3.11以降にはさらにその活動に拍車をかけ、老躯をものともせずに全国で400回を超える講演をおこなった。

プティジャン監督は、肥田の著書『広島の消える日』(2002年に仏訳)をパリの古書店で見かけ、本を読んで深く感動し、著者の姿を映画に撮ろうと決意した。肥田自身は当初、監督の熱心なアプローチに戸惑ったものの、しだいにプティジャン監督の熱意を受け入れ、全幅の信頼を寄せることになった。

▲故肥田舜太郎とマルク・プティジャン監督

こうして完成したのが『核の傷』で、その後現実に起こった3.11福島原発事故をうけての続編、いや完結版が『ヒロシマ、そしてフクシマ』といってもいいだろう。
2016年に完成し東京のユーロスペースにて公開され、その後日本各地で自主上映されていた。

『ヒロシマ、そしてフクシマ』はプティジャン監督独力の撮影によるものだが、ひとりの日本人が惜しみない助力(制作費を含む)を申し出たことで完成にこぎつけたという背景がある。

その人が、上映の後で私たちに映画の制作、裏話をしてくれた山本顕一氏である。

1935年満洲生まれ、敗戦後、母と兄弟共に運よく生還。だが、御父君は満鉄調査部に勤めていた故にシベリアに抑留、帰還することなくハバロフスクの強制収容所で1954年に逝去した。(亡父の遺書が辺見じゅんの著書『収容所から来た遺書』に収録される)
その1954年に、山本氏は東大仏文に入学。大江健三郎、故高畑勲(今年4月82歳で逝去)らと同期であった。それから立教大学でフランス語・文学の教授として37年間勤め2001年に退職した。
2012年肥田舜太郎の講演を聞き、山本氏は大きな感銘を受けた。そして、渋谷の映画館アップリンクで『核の傷ー肥田舜太郎医師と内部被爆』を見るのだが、そのときに運命の邂逅がある。偶然にもプティジャン監督が来場していて、トークショーの後フランス語で声をかけた。山本氏は以下のように記述している。

 

監督が「今度は3・11以降の肥田先生の活動を撮影するつもりだ、ついては日本における反原発の運動の現状を知りたい」と言うので、私はその3日後に行われた「福島の女たちの原発再稼働阻止官邸前ダイイン(犠牲者を模して死んだふりをする抗議行動)」の現場に彼を案内しました。当時は反原発の気運が激しく燃え上がっている最中でした。
 その日、おおぜいの参加者と共にダイインの行事が始まるのを首相官邸前の舗道の上で待っているうち、ふとプティジャン監督の姿が見えなくなりました。どこに迷ったのかな、と心配していると、カメラを担いで上気した顔の監督が再び姿を現しました。私たちがぼんやりつっ立っている間に、彼は福島の女性達の後を追って内閣府の内部に入り込み、中の様子をちゃっかりカメラにおさめたのであった。日本の報道陣は誰一人そこに入ることができませんでした。

 

じつは『ヒロシマ、そしてフクシマ』を観て、私のなまくらなハートに鉄槌を打ったのは、肥田舜太郎の言動はもちろんだが、それよりも強い印象を残したのは、上記の内閣府内における福島から来た女性たちの必死の叫びであった。

20名ほどの女性たちが、当時の野田首相の代理として官僚らしき二人を相手どって、福島の逼迫した現状、子どもたちの異状をかわるがわる訴えた。その言葉は一つひとつが真摯で重く、誰もが胸を打つものであった。

なかでも、ひとりの女性の「今回ばかりは男性たちの不甲斐なさを感じる。まったくイマジネーションが欠けているとしか思えない。男性はただ決められた道を歩んでいるだけだ。権力に逆らうこともできず、私利私欲を守りがたいために、権威にすがっているだけのていたらくじゃないですか!」などと、男にとって耳の痛い話を臆することなく訴え続けた。

彼女らの言葉は、まさに言葉をこえる全身全霊の身体的表現であり、観る者の心をずしんと打つものだった。

ともかく、日本の報道陣が入ることができないその場所に、「ちゃっかりカメラにおさめた」マルク・プティジャンは、まさに神がかり的に居合わせ、日頃は静かな福島の女性たちの、普段なら口にしない怒り、魂の正論を切々と訴える女性たちの姿を映像に残した。

後に、山本氏から聞いた話では、この箇所こそが映画の印象(男性の観客にとって)、その好悪が別れる場面だったのだと打ち明けられた。それほどにインパクトのある映像であり、もっと広くこの映画が見られるよう、なんらかの行動を起こそうという参加者の声も多かった。

『ヒロシマ、そしてフクシマ』には、その他これまでに見たこともない映像が多数ふくまれていて、私たちの知ることのできない隠された秘蔵資料は、まだどこかにあるのだと窺い知れる。ヒロシマでの被爆死体の多くを、研究材料として米国に持ち帰ったが、用済みになると遺骨用として返却した。その大量のホルマリン漬けの映像には、心拍をともなって胸が痛んだ。

 

さて、監督マルク・プティジャンは、最近世界文化遺産に指定されるとのことで注目された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のひとつ長崎大浦天主堂にも深い関わりがあったことを、ここに追記として書きのこしておく。

というより、山本顕一氏のブログより引用する。 ⇒http://www.br4.fiberbit.net/ken-yama/www.br4.fiberbit.net_ken-yama/Welcome.html

「1865年に長崎の大浦天主堂を設計・建設したフランス人のベルナール・プティジャン神父は、このマルク・プティジャン監督の祖先の一人です。大浦天主堂はフランス人居留民のための教会として建てられたのですが、プティジャン神父は教会をあえて日本人にも開放しました。するとある日、一人の老婆がおずおずと神父に近づいて、「私も同じ信仰です。サンタ・マリアの御像はどこ?」と囁きました。これが隠れキリシタンの信徒発見のきっかけとなったのです。神父はその後積極的に多くの隠れキリシタンの探索につとめ、その経過を詳しくヨーロッパに報告しました。江戸幕府のキリスト教禁令は明治政府になっても引き継がれましたが、プティジャン神父達の世界に向けてのアッピールが功を奏し、明治政府は欧米諸国からの圧力に屈して1873年に禁令を解除しました。」

▲映画の後のトークショー。山本氏の朴訥かつ説得力のある話に聴き入る。当日は、作家の森まゆみさんの姿も見られた。


▲すべて終わった後、山本氏を囲んで有志らと歓談する。




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4 コメント

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すごい記録ですね。 (Sekko)
2018-07-17 01:52:33
プチジャンさんのサイトから、この福島の女性たちの訴えのシーンを見ることができました。http://www.marcpetitjean.fr/films/de-hiroshima-a-fukushima/

考えさせられます。
お役所の対応とは、民主党でも自民党でも基本的にその場限りなのだとよく分かります。これを撮影されているのをよく止めなかったものですね。「白人」だったからかしら。

ありがとうございました。
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Sekko様 (小寄道)
2018-07-17 07:32:23
ありがとうございます。まさに当の場面がプチジャン監督のサイトで紹介されていたんですね。彼自身も、『ヒロシマ、そしてフクシマ』のハイライトであると、そしてよくぞ撮影できたぞと、誇りに思ったのでしょう。
コメント欄ですが、読者の方にその映像を供覧できるのですから、感謝にたえません。
それにしても、わたしが映像を文字化したわけですが、15名を20名とか、発言記事の不正確さがあったので、この場をかりてお詫びいたします。
ですが、全体の趣旨は尊重しており、映像の事実性はこれにより証明されました。
ほんとにプチジャン監督の撮影が敢行されたのは不思議ですが、「白人」ということもあったのでしょうか、やはり、彼自身の存在が有無を言わさない迫力ではなくて、ちょっと神がかりてきな「透明感」があったんじゃないかと、私としてはそう思いたい。なんといっても、プチジャン神父の末裔なのですから(笑)。
竹下さま お忙しいなか拙ブログをお読みいただきありがとうございました。
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Unknown (山猫軒)
2018-07-17 18:03:29
今日は暑い中ご苦労様でした。お会いできて幸いでした。私も3.11以降福島第一原発事故のあと、「原発国民投票の会」に参加して(この会は現在もほそぼそ活動していますが)毎週国会前に通っていました。
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山猫軒さま (小寄道)
2018-07-18 00:20:40
さっそくのコメントいただきありがとうございます。「明晴学園」の見学についても書きましたので、そちらもお読みくださり、今後とも忌憚ないご意見をいただきたく、よろしくお願いします。
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