小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

重層的ハラスメントの所在はいかに(1)

2018年04月22日 | エッセイ・コラム

 

テレビ・ワイドショーの元ネタになることに、ふだんなら触れないし書かない。だが、偶然テレビをみていて嫌だなという印象の場面があった。これは看過できない、そうとうに根が深い「事案」だと思い、これらの事象を自分なりに分析し、言語化するのも一興であると判断した。

実際のところは以下の通りである。

例の財務省事務次官によるセクハラ問題、その当事者である福田何某が自宅をでたところの様子が放映されていた。朝早くから自宅前で待機したであろうマスコミの記者から、意表を突かれたように福田何某はインタビューをうける。

「胸さわっていい?とか、縛っていい?って、本当に言ったんですか」と訊ねられた彼は、言下に「失礼なことを言うな!」と語気を荒げた。この場面を見たとき、官僚のトップだったこの男は、自己の深層心理をコントロールできていないのはもちろん、辞任後の社会的ポジションを相対化できなかったに等しいのではないか、と筆者は判断した次第である。

不躾な質問に狼狽することもなく、毅然としたその振舞いは、茶の間からみれば気味悪い違和感をかもしだす。福田前事務次官は、現在における自己像を想像することができなかったのだ。もっと書けば、彼は自分の実像と虚像の差異を認識することができなかった。あるいは何らかの理由で、たとえば面倒くさい・家族の手前を考慮したという単純な動機か・・。それはどうも幼稚すぎる。議会への喚問やら訴訟など、今後くるべき困難な状況を考慮して、耐え忍ぶ当事者としての弱気な姿を見せたくなかったのかもしれない。

(この段階で、次なる断定は早いかもしれないが、一応断り書きとして残しておく。⇒自分に都合の悪いことはなかったことにする。或いは記憶から排除する。このことは、文字通り文書やアーカイブの隠ぺい、改ざん、消去・排除につながる由々しき深層心理へと堆積される)。


さて、テレビカメラの前でこのような言動(「失礼なことを言うな!」)を見せるのは、超エリートには珍しいタイプに属する。ただし「自分の声は自分の体を通して感じるもので、録音された音声は自分の声とは思えないが、多くの人が福田の声だといっている」と取材陣に語ったのだが、これは典型的な東大話法。この場合には、「自分の都合のいいように解釈」して自分を相対化し、なおかつ嘘を述べたわけではないと、後に虚偽答弁を指摘されても申し開きができる。さすが東大卒ならではの、会話能力の高さを物語っている。

セクハラに無自覚かつ非見識な男が官僚のトップになったのは、今日の官僚体制において倫理的な規範なるものの底が抜けたことを露呈・象徴している。一方で、それを罷り通させた取材する側のジャーナリズムにも、ハラスメント構造が内在していることの証左である。ハラスメント問題の複雑性や日本的な変容と発展(?)を遂げたセクハラ・・、そこに横たわる得体のしれないものとは何か。

解決にいたる道筋は、ほとんど誰もが手をつけていないのではないか。少なくとも欧米では、女性が主体であり支援する団体とかジャーナリズムがしっかりしている。

日本では悲惨な状況にあるとしかいえない。マスコミから問題が発生し、ごく一部でしか盛り上がらない。取材した女性によせて考えれば、もちろん被害者であり気の毒な当事者としか言いようがない。但し今のところ、単純なセクハラ被害者だと即断できない、神妙な裏事情があることは如実だ。

というのは、政治部記者として実績があるならば、パワハラやセクハラに対してある程度容認し、職能的に受け流すという暗黙の了解がある(としよう)。そうした手段あるいはノウハウを生かせば、単独取材を独占できるということも事実であるからだ。(その職能的スキルは自分自身で身につけたのか、上司からの特殊な指導なのか、その両方か・・)。


いずれにしても、わが国では欧米発の「Me too」をそのまま移入しても、日本における根の深いセクハラの終息には至らないのは、ジャーナリズム本体になじまないという事情がありそうだ。

なぜなら、男女の性差や上司・部下の序列差だけのハラスメントだけではない、例えばわが国独特の慣習・制度的という構造的なハラスメントを、ジャーナリズム自体が許容しうまく使い分けているからだ。

これらのハラスメントは、マスコミ業界のみならず民間企業、組織やコミュニティに重層的に伏流しているので、ごく当たり前の民主化、正当性、共感性を訴えるだけの問題解決では埒はあかない。少なくとも「詩織さん」や「はあちゅうさん」、そして今回の「財務省事務次官のテレ朝記者セクハラ事件」。率先して解決するべき主体であるジャーナリズム業界において、セクハラ等の深刻な問題が生まれている構造を徹底的にあばき、再構築しなければならないだろう。

男性中心の悪しき制度・慣習、仲間主義と影にのさばる「俺さま」主義、東大を頂点とする学歴偏重や独特の言語感覚などなど、ハラスメントを生みだす要素は、日本社会のいたるところに重層的に堆積している。元凶の個人を特定して、問題をクローズアップすることは先決だが、抜本的な解決とハラスメントのない世界の構築ははるか遠いと筆者は考える。

この稿つづく。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。