吉祥寺にキキオンのライブにいく。
いつものメンバーにベースとパーカニッションが加わった厚みのある編成のライブだった。リズムセクションが入ってもキキオンの音の基底は変わらない。
もちろんノリは良くなるし、音に厚みがある。前回聞いたときよりも、歌詞の言葉が鮮明に流れるように入ってきた。
一つひとつフレーズが次々と脳髄に浸透してくる。
「ああ、いい日本語だな」と思った瞬間、思考を働かせるから脳がストップをかける。
しかし音は流れているからそれを許さない。やはり十時さんの言語感覚は詩人なのだろう。
これほどのエクリチュールであるのに、何故ケルトや中近東風の音楽嗜好性を選択し、磨いてきたかについては興味が湧く。
日本の音楽シーンとは別次元で活動する彼らの生活を心配しているわけではない。
キキオンはもっと多くの人に聴いてもらいたいと思う。
どの曲か忘れたが「ふわり ふわり」と「木っ端微塵」というフレーズが頭に離れない。
彼らの音楽とは異質な言葉づかいなのに不思議なほど気持ち良かった。いや異質なのではない。私の耳が保守的なのだ。
「断食月」という曲のなかに、いつもいいメロディだなと思うのに、言葉の異質を嗅ぎ取るところがある。
これは個人的な問題だと思うが、この際自己分析しなくてはならない。
肉屋は切り分け、羊は草かむ メイメイ 赤ん坊はしゃぶれ
大人は耕せ 萎んだ乳房の女神など
神様はもう 振り向かないので 寝床でも
おお。詩を書き写してすべて了解してしまった。エロスと宗教について私が禁忌と密かにしたくなるようなフレーズのオンパレードではないか。私は変態ではないが、その嗜好性を持っているのかもしれない。
「肉」「かむ」「しゃぶれ」「乳房」「萎んだ」「神様」「寝床」これらの単語を思い浮かべて、サド・レチフ・バタイユ・クロソウスキー・ミラーらの文学空間が想起されるのは私だけだろうか。これ以上の自己分析はプライバシー保護のため遠慮したい。
キキオンのライブの話だった。前回聞いたときは中近東や東ヨーロッパあたりの民族音楽を髣髴とさせ、音そのものは純度の高い鉱石のような洗練された輝きを感じた。それが「リズム・クノムバス」が加わり、舞台が平原から都市に移ったような濃密な音空間に誘うのだ。小熊さんのギターもかき鳴らすというところもあり、意外な面を見ることができ大満足だった。
いつものメンバーにベースとパーカニッションが加わった厚みのある編成のライブだった。リズムセクションが入ってもキキオンの音の基底は変わらない。
もちろんノリは良くなるし、音に厚みがある。前回聞いたときよりも、歌詞の言葉が鮮明に流れるように入ってきた。
一つひとつフレーズが次々と脳髄に浸透してくる。
「ああ、いい日本語だな」と思った瞬間、思考を働かせるから脳がストップをかける。
しかし音は流れているからそれを許さない。やはり十時さんの言語感覚は詩人なのだろう。
これほどのエクリチュールであるのに、何故ケルトや中近東風の音楽嗜好性を選択し、磨いてきたかについては興味が湧く。
日本の音楽シーンとは別次元で活動する彼らの生活を心配しているわけではない。
キキオンはもっと多くの人に聴いてもらいたいと思う。
どの曲か忘れたが「ふわり ふわり」と「木っ端微塵」というフレーズが頭に離れない。
彼らの音楽とは異質な言葉づかいなのに不思議なほど気持ち良かった。いや異質なのではない。私の耳が保守的なのだ。
「断食月」という曲のなかに、いつもいいメロディだなと思うのに、言葉の異質を嗅ぎ取るところがある。
これは個人的な問題だと思うが、この際自己分析しなくてはならない。
肉屋は切り分け、羊は草かむ メイメイ 赤ん坊はしゃぶれ
大人は耕せ 萎んだ乳房の女神など
神様はもう 振り向かないので 寝床でも
おお。詩を書き写してすべて了解してしまった。エロスと宗教について私が禁忌と密かにしたくなるようなフレーズのオンパレードではないか。私は変態ではないが、その嗜好性を持っているのかもしれない。
「肉」「かむ」「しゃぶれ」「乳房」「萎んだ」「神様」「寝床」これらの単語を思い浮かべて、サド・レチフ・バタイユ・クロソウスキー・ミラーらの文学空間が想起されるのは私だけだろうか。これ以上の自己分析はプライバシー保護のため遠慮したい。
キキオンのライブの話だった。前回聞いたときは中近東や東ヨーロッパあたりの民族音楽を髣髴とさせ、音そのものは純度の高い鉱石のような洗練された輝きを感じた。それが「リズム・クノムバス」が加わり、舞台が平原から都市に移ったような濃密な音空間に誘うのだ。小熊さんのギターもかき鳴らすというところもあり、意外な面を見ることができ大満足だった。