小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

イケムラレイコを観る

2019年03月14日 | 芸術(映画・写真等含)

 

どちらでもありどちらでもないという
両極に触れながら揺れるという
生存というすがたに秘める洞窟
彫刻というのは本当はあてはまらない
ある塊を削っていくのではない
内に空を秘めながら彫塑するのはやわらかさから発展する
ぐにゃぐにゃした土はからだをみずからつくろうとする
土を使って造られるものには霊を吹きこむことができるようだ

レイコ・イケムラ(「自己問答」より、部分)

▲リーフレットより引用(「頭から生えた木」)

去年、この人の存在を知った。年齢不詳ながら、ほぼ同世代の芸術家。1970年に大阪外語大入学(スペイン語)1973年スペイン・セビリア大学美術科に留学後、スイスへ。80年代からは、ドイツを拠点に活動している。西欧では高い評価を得るも、日本での知名度は低かったかと思う。今回の美術展は、これまでの40年にもわたる多様な作品(213点)を出展していて壮観であった。

国立新美術館のゆったりしたスペースを充分に生かした展示であるが、作品のタイトルがなくそのつど目録で確認しなければならない(そういう意図なのか、手抜きなのか・・)。

彼女の作品はいわゆるコンテンポラリー・アートに位置づけられるだろうが、始原的なる野蛮さと残酷なイメージを感じさせて、洗練された美意識と対極をなすものといっていい。最初、何を観たのか忘れたが、たぶんドローイングだったはずで、そのアール・ブリュットを彷彿とさせる粗削りかつ強度あるイメージ造形は、美しいものを超える根源的なスピリットを肌で感じた。彫刻、絵画、インスタレーションなどあらゆる作品のビジョンに強靭な思念、想念が内在していて、それは初期の作品から持続して感じとれるものだ。

 ▲ドローイング (リーフレットより引用:⦅受胎告知⦆の習作)

個人的には、「GIRL」というタイトルで括られる一連の絵画作品、そして「アマゾン」というシリーズの、大判の布に染色した(?)インディオらしき二人が並ぶ作品(何処からか空気が流れ、揺れ動いている)のシリーズになんとも身動きできない戦慄を覚えた。

特に、アマゾンのそれは、プリミティブ(原初)な野生に普遍性を見出すと同時に、やりきれない悲哀と底知れない諦めの美学を感じたのは、私だけであろうか。(追記1)

イケムラレイコという人は、四六時中休むことなくドローイングしているか、土塊をこねくり何かのビジョンを造っている、眠っていても夢の中で何かを描いている人だ、たぶん。

そのほか、太平洋戦争を想起させる絵画のシリーズも、同世代として「戦争」のおぞましい恐怖感が、親世代から移植されたイメージを表現したものだと直感できた。これからの非凡な活動を注視していきたい作家だ。

 
▲アールブリュット的彫塑 人体と動物、あるいは樹木(自然)とのハイブリット
 

▲うさぎ観音▼(中に入ると、煌めく星が見える)


▲カミカゼ 「戦争」がモチーフの一連の絵画は色づかいが独特だが、これは普通。ただし、構図が大胆。

▲ベルリン地平線 実際に観てほしい。

 

▲撮影可能な三幅対(トリプティック)の大作が3作品あれど、個人的には「アマゾン」のコーナーを撮影したかった。

▲ブログに登場は2回目。

▲知人が出品した美術展もあわせて鑑賞した、春の一日。


(追記1):「アマゾン」という名のもとの連作シリーズは、「ギリシャ神話に登場する、武勇を誇る女性部族をモティーフにした近年の版画の連作です。戦う女のイメージは、ヨーロッパで活動してきたイケムラ自身の生き方にも重なります」と、美術館で配布されたリーフレットの解説にあった。愚生は、アマゾンの深い森林に棲む原住民の女戦士をイメージしてしまった。愚生は、単細胞ゆえに「アマゾン」をそのまま鵜呑みにしたが、観て感じた印象は自分の感性を信じたいので、訂正せずにそのままにしておく。それにしても、大きな布に描かれた連作が版画作品であったとは驚きだ。シルク・スクリーンのような技法なのか? でも、なぜ「アマゾン」なのだろう?  (2019:3・15 記)


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