小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

重層的ハラスメントの所在はいかに(3)

2018年04月24日 | エッセイ・コラム

 

 

ハラスメントのもつ重層性についての考察はこの辺にしておこう。確認の意味で、世間では一般的にどんな対策が講じられているのだろうか。

厚生労働省が、セクハラに関して事業主が講じるべき措置を定めた「指針」があった。

(1)事業主の方針の明確化及びその周知・啓発 (2)相談(苦情含む)に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備(3)事後の迅速かつ適切な対応 (4)(1)から(3)までの措置と併せて講ずべき措置

 それぞれの項目に内容が簡潔にしめされている。当たり前のことを、当たり前のように書かれていた。厳正で的確な対処、事実関係の適切な把握と処置。事後の対策、相談窓口の設置。再発防止とプライバシーの保護。関係者への周知と啓発。

以上を実施することが最善策なのであろう。しかし、実際の実施プラン、ケーススタディ、提案例、Q&Aなど、具体的できめ細かい実施策はない。企業秘密に属する事柄だから、監督官庁のHPには表面にでてこない案件ともいえる。

 

それにしても、世間ではセクハラ被害の実例やら相談が無数に紹介されている。こうしたデータなり情報をしかるべき研究機関が分析して、国策レベルでセクシャル・ハラスメントの対策を根幹から作っていくべきではないか。

社会の構造、公共のプラットフォームを見据えて、人間関係におけるハラスメントを講ずるとなれば、子どもの教育から考える必要があろう。それも歴史上におけるルネッサンス期のリベラルアーツのような、総合的な人文学と科学的な探究心が求められると思う。

教育の現場において、「いじめ」というものが人間の精神のなにから生じて、どのような影響を人に及ぼすのか。あるいは男と女という性差の成立ち、その生物科学とモラルの必要性。歴史学や芸術を通して学べる事柄、それがハラスメントの深い理解と対策へと導かれるもの。

「いじめ」という子ども特有のハラスメントを考えさせる真の教育現場。そして、人間としての成長を通して、大人の世界におけるパワハラ・セクハラ・モラハラなどを類推させながら、ハラスメントの反社会性、非人間性を体得(本質的理解)させることの大切さへ・・。

ここまでのビッグピクチャーを構想すると、性・地域・人種・職業などあらゆるファクターで、差別なしに教育できるかという根源的なところに突き当たる。これはもう、次世代の方々が考える課題であろうし、ポスト・ジェンダー&シンギュラリティ、AIとの共存まで視野に入れて、将来のハラスメントを考察して然るべきだ。(なぜなら、ハラスメントは変質し、深層へと侵入する。心の内奥や、すきまへ)

ちょっと大所・高所の見地に上りつめた感がある。本稿はほとんどが個人的見解に基づくものである、念のため。


セクハラに類する発言において、そのすべてが社会生活の反倫理・反道徳的な結果をおよぼすとは、筆者は思わないことを言及しておく。いわゆる男女同席の場において、それが組織・グループ内において、TPOの条件が整えられたならば、いわゆる卑猥な言葉、下ネタなどのような発言があったときには「座が和む」ことを知っている。コミュニケーションの円滑化に寄与するのである。

「悪例」「カン違い」「KY」もある種の気づきとなり、学習すべき対象となるからだ。ピリピリした雰囲気では畏縮するばかり。自由闊達な発言こそ、本来のコミュニケーションに求められるものだ。

たとえば会議のような場において、上位の立場の者が下ネタ発言したとき、いかに洒脱で秀逸な言葉を選んだとしても、それは愛想笑いの反応しかないだろう。中間的な立場の者、あるいは太鼓持ち、ピエロ的な役割をもつものが、下劣で品のない素材を面白い話題へと転化できる。従って、上位者になれば下ネタは卒業し、TPOの最適解をしめす発言者としての存在になるべきだ。(この下り、どうでもいいことか)

以上、ハラスメントについて縷々書いてきたが、的はずれの独善的な見解が多かったと思う。この人間世界から犯罪が無くならないように、ハラスメントもまた日常的に再生産される。根絶することはないと半ば絶望しているが、少しでも減少し被害者がでないように願うのみである。モグラたたきゲームは際限なく続くのであろう。
 


追記:実は、この3回にわたる記事で、大切な裏側に触れていない。性産業、性犯罪、男性だけでなく女性の性欲動、少子化、性のマイナー弱者などなど。セクシャル・ハラスメントを考えるとき、これらのファクターやコンテンツは切り捨てるわけにはいかない。
若い男全員が聖人君子になれば、それで済むことか。女性全員がシンデレラを気取って、イケメンの王子を待っていてもしょうがない。筆者の手に余るテーマであり、むしろ女性側からの真摯な取り組み、議論が待たれるところだ。

さらに、最後に。文学におけるエロスと背徳、宗教における救済、これらの捨象できないテーマが、いまやITの無料エンタメ・コンテンツに取り込まれていく。青少年の欲動が広告収入という経済活動に変換されて、無際限・無法なものとなりつつある。あまりにも人間的なエロスの発露は、アニメ、ゲーム、そして将来にはVR、3Dプリンターによって代替・解消されてゆく。なにか終末観も漂うのである。




 
 
 
 
 
 

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