小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

色彩を持つわたしは、盲しいたるもの。

2013年05月20日 | 本と雑誌

連休明けにブックオフの半額セールに行った。村上春樹の新作が900円で売っていた。半額だから450円かと思ったらセール対象外だという。
ビニールで包装されてい、本の状態もよい。迷ったが「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を買った。
私も約100万分の1になったわけだ。

私は以前にこのブログに村上春樹を読まないと書いたことがある。(ノルウェイの森まで読んだ)
それは戒律でもなく、なにかきっかけがあれば読んでもいいと思っていた。
「1Q84」のときには、家内が読んだのでその後チャレンジしたが4,5ページ読んでやめた。
その理由は書かない。
この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は、プロットの瑕疵をみとめつつも、文章そのものは読みやすい。
完読したのは、20年ぶりぐらいか。

最初の一行。
「大学の二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きてきた」
殺人事件ではじまるミステリー・サスペンスのようだ。
読み始めの駆動エンジンとしては申し分ない。
と言いたいがそのパワーはすぐに減衰する。
死を考える「つくる」の心理とバックボーンが描けていない。
4人からの一方的な絶交通告そのものを理不尽とおもいつつも、何することもなく受けとめる主人公つくる。
そして放心状態のまま、半年のあいだ絶望し「死の淵」をさまよう・・。
ふつうなら死に瀕したとき、人はなんらかのアクションをおこす。
つくるはなすがままであり、その自己決定にも無自覚だ。
この辺が村上春樹の面目躍如といえようか。
44pから48pにかけての、半年間のあいだ死と実存のはざまで、もがき苦悩する「つくる」の内面描写は肝だ。
根源的な「嫉妬」の夢を見、経験したことのない身体感覚を感じて、「死の淵」からつくるは生還する。

だいぶ遠回りをしてしまった。

やはり最初からストーリーを時系列的に粗っぽくなぞる。
「多崎つくる」と、高校生時代の男友達「青」と「赤」、女友達の「白」と「黒」。名古屋で暮らし5人とも有能で裕福。とりわけつくるはセレブだ。親密な交友関係が語られる。
(でも、この「赤、青」コンビが、つくるにとってどんな影響力があったのか具体的に書かれていないので、どうも腑に落ちない)
さて、彼らの姓名には色がついている。多崎は違う。だから「色彩をもたない多崎つくる」というわけだ。
つくるだけが駅の建設がしたくて東京の大学にはいる。
2年生のとき4人から一方的に絶縁される。
それが「死の淵」にさまよう直接の原因だ。半年後、上記のように「死の淵」から生還。
その後、下級生の「灰」と知り合う。「灰」から「緑」の話しをきく。
白と黒との2Pセックス、つくるの射精を「灰」が受けとめる。この重層的な性夢の、村上春樹の描写力はすごい。
「緑」のエピソードは、いわゆる身体が発するオーラの色彩うんぬんで、オカルト的でどうでもいい話。
15,6年後。上司のホームパーティで2歳年上の「沙羅」と会う。恋人関係になる。
沙羅はつくるの過去のわだかまりを清算するよう、かつての友人たちと再会して真相を究明することを提案する。(沙羅との出会いは前半部に挿入される)
つくるは名古屋に戻り、「青」と「赤」から絶交の理由をきき事実関係や、相互の誤解などを解明する。また「白」は密室で殺されていたこと、「黒」は国際結婚しヘルシンキで生活してることがわかる。
つくるはフィンランドに行き「黒」にあう。つくるはある種の真相をしらされ、お互いの安寧を確認し分かれる。
日本にもどったつくるは、恋人「沙羅」が自分を選んでくれること改めて期待する。
但し、沙羅には心から自分を解放し、彼女のすべてを受け入れているだろう「彼氏」がいることを、つくるは知っている。
つくるは沙羅が自分を選んでくれなかったら死ぬことも考えつつ、沙羅と結ばれることを希求する。

読後の全体的印象。飾り気のないシンプルな文体で、自省的で静かな文章が多い。
人があまり注視しないところに気づく丁寧な叙述といっていい。他人の気づかない僅かな変化にも目を向けて、それを優しく指摘するようなレトリックが特長的で、それを読んでいるだけで癒し効果がある。そういった意味の読後感である。
感覚的なものを誰にもわかりやすく論理的にかたる、と言い換えてもいいか。

しかし、やっぱり私は、このフィクションの展開についていくことができなかった。
主人公のみならず、登場人物の誰にも感情移入ができない。
ほとんどの登場人物は裕福だが世間知らずなところがありそう。とりわけ、一番裕福なつくるのブランド好きがおもしろいが軽薄におもえる。35歳になったつくるは親からもらったマンションに暮し、大手私鉄企業に務めるエリート。女性からみたら結婚相手としては申し分ない。

むかしからこういう上流階層の、「鼻持ちならない」と私が思う人達を好んで村上は書いてきた。たとえば金銭面で苦労しているような人は登場しないし、いわゆるこの世の現実界を描くことは村上ワールドから排斥されている。
一般の人々が体験する日常的な出来事、苦労、人間関係、つまりリアルな雑事、些事などは物語にふさわしくないのだろう。
そうしたものは穢れであり、作品の質を落とす要素かもしれない。(但し、ブランドは別)

純粋な人間関係をかくこと。タコツボの中で生活している人々を描いていると批判されても構わない。
たぶん村上にはそんな決意で文学にのぞんでいるのだろうか。

それにしても生活感を排除した主人公の造形は村上のこれまでの小説とあまり変わらないのではないか。セレブの典型のようなライフスタイルを誇ることはしない。が、噛みしめるかのように満喫している雰囲気がつたわってくる。
彼の父は名古屋でも有数の会社経営者。車は新車のメルセデスしか乗らず、東京の自由が丘のマンションも購入している。
当然、つくるの二人の姉のためにも、地元名古屋にマンションを買っているに違いない。投資目的で不動産以外にもいろいろな資産をもっているだろうと思わせる。
また、名古屋在住で東京の物件を購入するぐらいだから、つくるの父は目鼻がきく一流の経営者だとおもわれる。
つくるの母はブルックス・ブラザース、ラルフローレンが大好き。
村上春樹はほんとうにブランドが好きだが、その選好理由をかくことは滅多にない。
恋人からイブ・サンローランのネクタイをプレゼントされた、それだけの理由で深い感慨と、彼女への信頼と愛をよせるつくる君はまるで10代の少年のようだ。

何故だろう。ブランドものをただ選好するというのは、ファッションに関して他人まかせというか、自信がないことの表れだが・・。
村上春樹の文体はマスメディア向けのコピーライター的表現にちかい。無駄がなく端正な言表だが、結局は情緒にうったえている。

裕福なものへのルサンチマンぽくなり長くなってしまった。もう終わりにしよう。
村上は読者を、思いがけない方向に梯子を架けたりする。が、途中でそのその梯子を外して読者を宙ぶらりんのままにする。
まず「白」の殺人事件。内側からチェーンがかけられ、外部からの侵入の気配がなかったとされる密室殺人である。
こんなマスコミでも飛びつくようなセンセーショナルな事件を、つくるは知らなかったというエビデンスを読者が見過ごしても、この作品中の事件を未解決のままにしておくのは作家としていかがなものか。(白が殺されなければならないという設定根拠があいまいということ)
「白」の他殺はいわば作家としてのアジェンダであろう。フィクションとしても解決できないのなら、密室にする理由はなかったはずだ。

そして、「灰」のこと。失踪(?)してから、最後までその消息はわからない。
つくるにとって「灰」はどんな存在だったのか回想することなく終わる。これは痛い。
釈然としないままエンディングをむかえるエピソードが多い。そう思うのは私だけだろうか。

文春の編集者はどのようなスタンスで作家と関わるのだろうか。

長いブランクがあって、しばらくぶりに村上春樹を読んだ感想。
村上がいまでも、女の子とのセックスが好きなことや、モラトリアムの男を書き続けている。
「やれやれ」だな。

最後にわたしの色彩について。
子供のとき両親が離婚した。
父の姓は「青山」だった。いま母方の姓を名乗っているが、和風の花の名前でありそれは色の名称としても独立している。
だから村上流にいうと「私は色彩を持っている」ことになる。

その私がなぜ盲しいたるものなのか。
村上春樹を上回るベストセラー、百田尚樹の「永遠のゼロ」をだいぶ前に読んだ。
故児玉清が男泣きをしたと告白して興味をもって読んだが、多くの太平洋戦争史や特攻隊のノンフィクションをなぞったもので、
主人公とその姉が、特攻隊だった祖父の生き残っている関係者の話を聞きにゆくというだけのはなし。文章が平板で面白みがない。ストーリーそのものも工夫された起伏、驚くような仕掛けはない。これだけで白けてしまい、最後に感極まるどころではなかった。

このように私は人さまが感動するものに追体験するものの、その素晴らしさが分からなくなってしまったようだ。
すれっからしの本読みになり、真実さえ見えなくなってしまった盲しいなのかもしれない。
「やれやれ」ではすまないことになった。

余談 

沙羅の視点から見たエンディングの、わたし風の曲解。

つくるは結婚相手としては最高の存在。ただ、過去のことにいつまでもこだわりぐずぐずしている。そんな男と幸せな生活をおくることができるだろうか。肯定的に考えようと思う。

あなたを排除した友達と会って、根本が何かを問うべき。そんな私の提案をとりいれて、あなたの過去の問題解決に着手しはじめた。フィンランドにまで行った純粋なつくるは愛おしい。

うーん。でも、私には心から愛しているひとがいる。

その人との結婚をいまは考えることはできない。けれど、いつまでも寄り添っていきたいし、ふつうに話しあえる。それだけでも、欠けがえのない存在。

さっき深夜のとんでもない時間につくるから電話があった。相変わらず、うだうだ言っている。こんど逢ったとき彼から結婚の申し込みがあるはず。わたしは正直に、誠実に伝えようとおもう。愛している人がいる、と。


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