小寄道が亡くなり一番に思ったのは、事故や災害で大切な方を失った親族はどんなに辛い思いをしたのだろう、だった。
小寄道は病気が分かってから14ヶ月の猶予があった。旅行や美術館や植物園にも行ったし、友人達や親族にも会い、それなりに気持ちの整理が出来たのではではないかと思う。
私にとってもその間は、思い出話をしながら一緒に泣いたり、33年の同居生活を振り返り、感謝の気持ちを吐き出す事が出来たと思っている。
「どうせ死ぬならがんがいい」という本が出版されたり、「幸運な病気」と言う医師もいる。渦中に居る人にとっては辛くとも経過・先行きが見通せる病気で逝けたのは不幸中の幸いと言っても良いのではないか。もちろんいま現在、新しい治療法や新薬が開発され、治癒や寛解の状態になる方は日々増えているのは事実だし、今回治癒出来ていたならこうは思わないかもしれない。
阪神淡路大震災の時にまだ若かった私はボランティア参加をしたく、行く為の荷物をまとめていた。でも、私が行って何が出来るかを考えはじめ、止めた。
その年の春にヘルパーの資格を取り、もう30年。災害時のボランティア活動は結局叶わなかったけれど、ほそぼそと在宅のヘルパーをしている。
上の写真は小寄道が机の前にずっと掲げていた物。3.11の時の写真です。