ーーーランタンが魔法の如く灯る路地 雨に古びる「カフェ浪漫主義」ーーー
晩秋は巷の灯が恋しくなるが、昔から良く通ったカフェがいつの間にか閉店していた。
隠者は家中の事情で食事も自炊で日々引き篭るしか無いものの、その代わり閉居では思うがままに卓上を飾り離俗夢幻の茶飯事を楽しんでいる。
これから冬にかけて灯の下に過ごす時間が増えるので、卓上には思索に耽るのに適した灯火器を選ぼうと思う。
(瀬戸織部灯火器 一升枡 明治〜大正頃)
散歩道で拾った枳殻の実と松毬を朽ちかけの枡に取り合せてみた。
以前は古織部の灯貰いを紹介したが、こちらの燭台は裏側の穴で柱に掛けるようにもなっている。
織部徳利の一面を切った形なので、勿論どこにでも置けて重宝する。
落葉は先週の写真の蔦が散ったのを集めて来た。
今夜の卓上はヨーロッパなら19世紀ファンタジーかラファエロ前派の雰囲気だろうか。
若き日の芥川龍之介が西條八十達とイエイツやアイルランド研究に凝っていたのを思い出す。
ーーーその街は枯葉でさへも美しく 文士の時代鎌倉の街ーーー
本稿にたびたび登場している吉井勇の歌集が今月また1冊増えてしまった。
例によって高価な美麗本ではなく、一応初版だが時代なりに傷んだ物だ。
(祇園双紙 初版 吉井勇 瀬戸珈琲碗 銅製ポット ランタン 大正時代)
大正浪漫の歌集には当然大正時代のランタンが合う。
古びた灯火器の光は夢幻界に移転するのに良き導標ともなってくれる。
吉井勇は以前に「祇園歌集」を紹介したが、今回はそれと同じ竹久夢二の装丁で「祇園双紙」だ。
祇園界隈の歌の他に勇がたびたび試みていた歌物語が載っていて面白いのだが、残念ながら成功しているとは言い難い。
その失敗作も含めて大正文化の華やかさと活気を感じさせる良い本だと思う。
珈琲碗もこの形としては古い大正〜昭和初期の物で、小振りだが結構重厚感がある。
ーーー秋の夜の紅き灯に持つ大正の 珈琲碗の重さ拙さーーー
私は禅僧の墨蹟にはあまり興味が無いのだが、地元円覚寺の釈宗演の書は良いと思う。
特に五字大書は蝋燭の揺らぐ光で観ると荘重さが増してくる。
(四智円明月 釈宗演 李朝燭台 鳳凰形手燭 江戸時代)
臨済禅の巨人釈宗演は明治〜大正の円覚寺管長で鈴木大拙らの師匠だ。
鎌倉の禅師には珍しく詩書画に堪能で鎌倉文士達とも大変親しくしており、知的でバランスの取れた大らかな書風は地元民にも愛されていた。
臨済宗の禅語に「四智円明」があり、彼はそれに「月」を足す事で誰の眼にも見える具象にした所が偉い。
来週は立冬を迎え例年は樹々の紅葉が始まる時期だが今年の気候はまるで予想が付ず、せいぜい日常身辺の茶飯事を深く味わいつつ過ごすばかりだ。
ーーー後手に持ちて昨日の菊捨てに 庭の最も秋深き隅ーーー
今しがた鎌倉宮の七五三で品の良い和装の親子を見かけて思い出した、先月詠んでいた句をこの秋の名残に。
ーーー美しく秋風まとへ袖袂ーーー
©️甲士三郎