ーーー居待月臥待月も過ぎたるに 待つ心のみ残りて消えずーーー
鎌倉の9月の中秋はまだ夏の暑さなので我家の観月は10月寒露の頃と決めているのだが、満月当日の宵の内は生憎の曇り空で月の出は見えなかった。
夕食の片付けが済んだ夜9時頃には雲が薄れ、太白星を伴なった秋月が雲間に顔を出してくれた。
雲ひとつ無い快晴の月よりも薄雲に見え隠れする月の方が光彩の変化に富んでいて面白い。
酒茶を飲み詩歌を吟じつつ雲間の月の行く先を計り、しばらくしてまた谷戸に出たりするこんな夜は、我が1年の中でも最も美しく澄んだ夜ではないか。
こんな夜が我が残生にあと幾度あるかと思えば、天地はなおさら幽邃に見えて来る。
現実界の月が雲隠れの間も、夢幻界の月は書画の中に煌々と輝いている。
月夜の独宴に文人茶会の画幅を掛けた。
(観月茶宴図 田能村直入 高取大瓶 江戸時代 粉引徳利杯 李朝時代)
直入は田能村竹田の養子で幕末〜明治まで活躍した文人画末期の泰斗。
月見では酒宴の画は多いが茶宴はあまり見た事が無い。
それだけ直入も頼山陽や竹田達の煎茶会に憧れていたのだろう。
見えにくいが画中左上方に月が描かれていて、月明下で茶を沸かし詩画に興ずる実に高雅な文人達の宴だ。
画中は茶宴なので敢えて卓上には酒器を出し、即吟の句を携えて隠者も古人達の宴に推参しよう。
ーーー竹林を茶烟の昇る星月夜ーーー
古詩には月の良作が沢山あり、会津八一もまた心中に常に月輪を抱いていた一人だ。
(直筆色紙 会津八一 古織部蓋物 鬼萩茶器 幕末〜明治時代)
詩は「月在青天秋在瓶」。
当然瓶の中は秋の新酒な訳で、また壺中天の逸話も踏まえているのかも知れない。
ここでも画が酒器なら、ひねくれ隠者は茶器を並べて対抗する。
この頃やっと鬼萩煎茶器の良さがわかって来て、今秋から使い出した物だ。
近年の八一は歌人としてよりも書家としての人気が高いようで、直筆の書画は高値でもう私如きの手には入りそうも無い。
彼の短歌については結構資料も揃っているので、また別稿でじっくり論じよう。
ひと昔には詩的人生とか芸術的生活と言う語句があって、その対極で散文的日常と言うのもあった。
明月の夜は古典や名作の詩歌を読むだけでも散文的日常からは脱出できるので、この日くらいは普段繁忙なる世人とても離俗の夢幻夜に浸って欲しいものだ。
©️甲士三郎