鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

71 神々と酒精

2019-01-10 13:48:03 | 日記

(ピューターカップ ドイツ 1930年頃)
私が宿痾の血糖の呪いで断酒してから幾星霜、遂に糖類ゼロのアルコールが売り出され、正月に目出度くも酒精達と再会を果たせた。
その記念にヴィンテージピューターの酒杯を買ってきた。
装飾のレリーフはアダムとイブの楽園追放の場面なので、神をも恐れぬ隠者はそれに合わせて林檎風味の缶チューハイだ。
久闊を叙して酒精達は眼前を乱舞し金光が飛び交う。
酒宴ならディオニュシオスにお供のニュムペーも呼び出して、とことん混沌に堕ちて行こう。
酒と混沌の神ディオニュシオスは、スキュポスと呼ぶ古代の酒杯と葡萄園のレリーフを一緒にしておけば、御機嫌よろしく手酌で楽しんでくれる。
私の禁酒期間中は我家の神々も年に数度しか酒のお供えがなかったので、みな狂喜乱舞だろう。
BGMはキース ジャレットのケルンコンサートで行こう。
ソロピアノの即興のカオスから宗教的陶酔感にまで登り詰める三曲目が圧巻だ。
ついでに和室の衣通姫も御相伴。
どの国の神も酒好きなので仕方ない。

(中心ディオニュシオス 右下スキュポス ギリシャ時代 著者蔵)
隠者が神々に祈る時、何かのお願いをする事は無い。
「我、神と共にあり」
神々と共に夢幻界に遊ぶところに、祈りの要諦はある。
それだけで少なくとも孤絶感はなくなる。
鎌倉の鶴ヶ丘八幡宮は正月の御賽銭だけで何十億円と聞くが、数百万人の我欲を毎年聴かされてさぞかし八幡の耳は穢れているのではないか。
祈りと願いは別物で、神に私利私欲のお願いをしている内は魂の安息は訪れないだろう。

と言う訳で年末年始の隠者は酔って夢幻界に転移していたので、先週のブログ更新が遅れてしまった。

©︎甲士三郎