オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

アル中・薬中・バクチ中毒な社会

2023-11-29 11:45:07 | 銀座の周旋屋

   

 

 銀座の古い木造建物で雨漏れ補修とシロアリ駆除をやっているが、築70年近い建物は傾いておって、次の大きな地震ではどうなるのか? 解らない。

 そこでは入居者・賃借人が店をやっていたり住んでいたりする訳で、事前に大規模修繕が必要だと言っておっても、高齢化した所有者は動く気配もない。

 うちの大工はひとつひとつ事が起きてから動く状況でも笑ってやってくれるが、商業地の大規模再開発事業の孫請けでもやってる方が楽に儲かる時代、後継者が少なく、臨機応変に対応してくれる腕の良い大工は減って来てる。

 下手な工事屋ならば、俺がやった方が早いということも多い。

 なんでも工事対応が出来るだけの道具は、俺の店にもたくさんある。

 長年に周旋屋をやっていると、こうなってる。

 下町では高齢化した所有者に後見人弁護士がついておって、そこも築50年を超えて雨漏れ補修をやったばかりだが、今度は1階の店舗部分にネズミが大量に発生して、駆除を仲の良い専門業者にやってもらっている。

 キリが無いことだが、やらないよりは増し。

 古い建物を壊し、新しいマンションやビルが建つと、人間以外の生き物は生態系を破壊され、生き残るために近隣に棲家を移して行く。

 この国の商業地の宿命でもある。

 このところ、咳が酷くてなかなか良くならない状態だったが、そんな空気の悪い場所ばかりに出掛けているから、俺の免疫は逆に強くなってるだろうと、笑ってる。

 冗談じゃ~ないが、キレイゴトばかりの仕事をやってる社会では、こういう仕事を引き受ける者もいなくなっている。

 ウイルス怖い、感染したら大変、コロナ騒動が始まった間抜けな時期にも、俺は陽性患者がいる顧客のところや、木賃宿のようなボロアパート群に出掛けて、誰もやらない汚れ仕事ばかりをやっていた。

 俺自身はワクチンなんざうたず、大笑いして出掛けておった。

 その程度のウイルスならば、俺の体内に入ればもっと強烈な免疫で喰ってやるがな! と何処でも大笑いしておった。

 なんどか風邪には罹ってるが、関係なしに生きて居る。

 熱が出れば熱い風呂に入り汗をかく、咳が出れば肺活と称して新鮮な高い山の空気を吸う、あちこち痛くなれば源泉に浸かり、放射能を取り入れて自己治癒能力を高める。

 簡単な日常の対応だな。

 

 酒をだらだらマンネリ化して飲む習慣を持つ大人は、まず自分自身の成長や脱皮から逃げて、そこで終わっていると俺は見ている。

 昭和のガキの頃からそれは思っていたし、この商売を永く続けていると、若い時分は何年もの間、アルコールが切れない生活を続けていたから、不動産バブル時には毎日昼夜を問わず浴びるほど飲んでいたが、40歳前後で、その無駄な生活から足を洗った。

 家を2軒分くらいは飛ばしていた色んな派手なギャンブルにも溺れていたが、それと同時にスパッと止め、生きることだけをギャンブルだと捉え、そっちにのめり込んで来た。

 30歳半ばに自営を始めたことで、戯れをせんとや生まれけん、を地で生きて来た。

 延々と中毒となっても酒やギャンブルを止められない連中の末路は身近にたくさんあるが、退屈でくだらない時間の浪費。

 生きることをいつも新鮮なギャンブルや陶酔だと考えられず、自由自在に日常を生きられない弱い奴らの負け犬の遠吠え。

 子供に見放され、亭主や旦那に見放され、社会や組織から見放され、その時だけの身勝手な陶酔と快楽に逃げ込んで、または愚痴って認めて欲しい症候群だ。

 幼児のやることだろうな。

 その老後まで、俺には丸見えになっている。

 アル中や薬物中毒にギャンブル中毒が、どう生きて逝くのかまで、この業界では多くの近親者で見せてもらって来たが、とても楽しい話にはならない。

 アル中はアルコールが切れると無愛想で無口になって殻に閉じ籠もるし、薬物中毒は薬物が切れると逆にまわりに乱暴至極になる。

 ギャンブルなんざ、勝ち負けに刹那を費やす連中の逃げ込むマゾの穴倉。

 みなコミュニケーション能力が劣って、自然な自分が解らずに自信喪失、酒や薬やギャンブルに嵩じて誤魔化している。

 醒めた後のお日様が黄色く見えるだけの、短絡的な思考に価値観で生きているから、あとは消費と身勝手なセックスだけ、会話が深くはなりようがない。

 世界の価値の大転換している今、こういう弱い連中をどうするのか? をキチンと考えてなければ、社会や組織ですら安易に破壊されて行くだろう。

 すぐに酒を飲み始める大人社会なんて、貴方任せの宝くじ、あ〜あだな。

 

 山や海で65年もの間、遊び惚けていると、地球とはナニか? よ~く解って来る。

 終わりの無い変化、そこには良いだとか悪いだとか、短いだとか長いだとか、勝ち負けだとか、人間の持つ卑しい我欲などナニも無くて、在ることで必要なモノが存在して在るだけのこと。

 感情や感傷など入り込む余地はなく、在るがまんまで、在る、だから人間が地球を汚したとか温暖化したとかほざいている話なんざ地球のクシャミ一つで吹っ飛んで、それでも無関係に在る訳だ。

 人間は、地球の気温が上昇したり下降したり、大気が減ったり、月が地球のまわりから飛び出してしまえば、一瞬にして終わる。

 ただし地球は在る。

 太陽系の太陽が冷え切ってしまう前に、地球は破壊されるだろうが、人間はその遥か前に滅び去ってしまってるだろう。

 地球や宇宙に対しては、ナンの力も持たない小さな虫ケラでしかない。

 人間社会で言う現実と、地球や宇宙の現実は、決して交わらない。

 その人間には叶わない現実が、俺には居心地の良い故郷のように思えて仕方がない。

 やっぱり、相当に変な爺ィに成り果てている。