新型コロナで自粛して互いを監視し合い、優等生を競うような先生にチクるレベルの晒し合いを始め、ワクチンには群がって、そうでない者には村八分の刑、お笑い劇場の新年早々には、大学駅伝でマスクして混雑混雑の大密集。
神社にお寺にショッピング・モールに行けばまたまた大混雑、それでもオミクロンは怖いんだとさ。
一貫性の無さは日本人の群集心理の大昔からの習わしでもあるが、それを楽しんでいるような薄気味悪い変態の陰湿さは、今年から始まる世界の経済大波乱には、手枷足枷になってしまうんだろう。
新年早々だが、ご愁傷様、だな。
コロナよりも、ワクチンよりも先に用意されていたのは、PCR検査だが、産みの親のマリス博士は殺されて口封じされた。
その遺言には、感染症の検査にはPCRは使うな!とあるが、これも黙殺された、もう俺にはまともな会話が出来る相手がいなくなって来たわい。
普通の人間でも陽性値は出る検査で、勝手にその判断基準の数値を弄って、増えた減ったとやってる猿の集団には、呆れ返るわい。
ここは思い切り、初笑いするところだ。
40年いじょうも前の20歳の頃、自分で自費出版を始めて色んなモノを書いていた時代に、多くの先輩文学者芸術家たちとも触れ合い、その妙に歪んだ自意識の世界とみみっち~我欲に呆れ、とっとと興味が失せてしまったことを、今でも親しい連中には笑い話ですることはよくある。
実名で話すから、聞く方は面白いだろう。
口伝いがいでは、決して話さない。
権力と反権力、大メディアと対抗する小メディア、そんな根っこの同じ猿芝居には付き合い切れない。
メディアが守銭奴と権力と政治と結び合えば、ひとつの国家が右往左往する、そのシステムには呆れ果てた。
そこから不動産の訪問販売の世界に入り、日本中を飛び回って、好き放題なお遊び人生が始まっている。
その頃には、すでに人間の世界には怖れるものがなくなったとも言える。
メディアに作られただけの流行や風潮、著名人に有名人、芸術家と呼ばれて英雄になってる猿の群れが、ただの滑稽な置物に見えるようになった。
常識や風習、宗教に哲学、ルールに感情や意志という猿芝居、これも底が見えてしまった。
表彰状や勲章にメダル、ゼニカネの為ならばどうにでも股を開いて転ぶ芸者ばかり、あんたはナニが欲しいの?
地球の表層で繰り広げられるそんな猿の世界で、俺にはそこでどう愉しく生きるか、それだけだ。
いま、社会を見回すと、もっと酷い洗脳状況になっているが、猿の群れはメディアの報道には従順なまんま、タコかイカかと言うほどに、見事に茹で上がって喰われるのを待っている。
どうして反感を持ち、どうして反抗をしないのか?
社会への報復や犯行は、おなじ猿同士に向けれられるのが常で、その管理する側には決して向かわない。
同類を道連れにするくらいなら、もっと権力や財を抱えてる歪み猿らを道連れにすればエエのにの~。
大人しい、静かな、オモテナシの心を持って、日本人は小さな小さな日常に、埋もれてしまっている。
だから枠外の価値観で生きる者には、天国にもなる訳だ。
群れる獣はすなわち弱者、地球温暖化と騒ぎながら、低地に群れて疑問すら抱かない猿。
やっちもね~。
年末年始と、高齢者たちに面倒なことばかりが重なっておって、俺には旧年も新年も関係ない。
昨日は高齢者ひとりの要介護の申請にも走り回ってクタクタになった深夜、別の高齢者の興奮状態を鎮めにまた出掛けて行き、今年1年を予見できる大笑いな、騒々しい日になった。
去年1年をつつましく、清らかに過ごしたであろう神社に出向き、白紙のお札をもらってきて、店の神棚に据え、俺がそこに入る儀式を、今年もこれからやる訳だ。
どうせ猿芝居なら、からっからの大声で笑える猿芝居が良い。
そういうことだ。
今年は皆さんも、覚悟をしておいた方が、エエで。
当社は右へ倣えの3月末決算ではないから、新年度を迎えるが、すでに今年もバブルを作り始めている。
俺の周りには、そんなコロナ特需な一匹狼がたくさんいるが、みなで大笑いだ。
ざま~ね~な、夏ころには、またまた仕事納めになるかな・・・ただその後も皆さんの何倍もの時間を地べた駆けずり回って、利益とは別個のいろんな動きをして行くよ。
世界人類の動きが読めて無いなんて、大笑いだぜ。