今週末は野暮用が入りそうで、山には行けなくなりそう・・・これが俺には一番の辛いことだ。
売買や賃貸の内見とて、わざわざ日をずらしてもらってるくらいで、契約日もそこは避けてもらってるような横柄な周旋屋なのに、それが叶わないこと、これは万死に等しい。
・・・あ~あ
軍茶利だとか金剛夜叉だとか、五大明王の名前がそのまんま山の地名についてる場所は日本中にある。
その中でも不動明王の名前がついてる山に関する地名が一番多いのではないかというほどに、お不動さんはあちこちに登場して来る。
これらは我が国の原始宗教・修験道や山伏が修業を行った山々に、たくさん地名として遺されている。
山の名前だけでなく、谷や川や峠やにもたくさん遺っている。
古い苔むした石に刻まれた不動明王は、どの顔も忿怒をあらわす怖い顔で刻まれている。
背には燃え上がる炎を焚き上げて、右手にはおどろしい宝剣を持ち、左手には柔い羂索を持ち、睨み上げるような鋭いまなざしを向けている。
煩悩を断ち、迷いも断ち、叱咤激励して生きようとする者に手を差し伸べる・・・そんなことだろう。
奥秩父から上州・佐久にかけての里山には不動明王の刻まれた古い石がたくさんある。
錆びついた刀剣が飾られているものもある。
いまは熊公が棲みついておるような閑散とした奥山になっておるが、昔は賑やかに参拝するものもおった。
神は高い見晴らしの良い山の頂に降り立ち、死者は高い山の頂から天に還る、その後はナニも無い。
考えて見ればわかりやすいし、それで良いのだと納得できることでもある。
これだけ人工のモノが溢れ、生活は楽が出来るような時代になってはおっても、人間が背負っていることの肝要なる部分は、ナニも変わってはいない。
こないだの週末は高速も下道も空いておった。
今週が三連休だからというのと、給料前だったからというのと、まわりでは色々と言って居るが、秋と冬の狭間だからというのが、俺の受け答え。
干し柿が今年はよく出来そうだとか、干し芋が甘くなりそうだとか、そういう話が愉しい。
オツムが単純になってきてるということは、終わりが近いということでもある。
山に行けない、これは本当に あ~あ だ。
どっか別の日の平日に、なんとか時間を作って行くしかないか・・・。