餃子の街・宇都宮  ある菓子店のひとり言・・・

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東日本大震災から2年!!

2013年03月11日 22時33分34秒 | 地震
2011年、3月11日 二年前のきょう 午後2時46分
その大地震はやってきた

最初からド~ンと大きかったわけでは無く、
だんだんだんだんだんだんと次第に大きさを増して
max状態での揺れが長く長く続いた。

仕事場で、遅い昼食を済ませたばかりの私は、
店に行ったり更に外に行って様子を見守ったりしていた。

愚妻は?と云えば、まだ昼食中で座ったままの状態で目の前に落ちて来た仕事の本とか
多数のカセットテープとかが散乱している中、身動き出来ずにそのままの状態で
やがてテレビでも落ちて来やしないかと、その場を去りがたかったようだ。

そんな情景を見ていても、
私はこの家が倒壊するのでは?と云う一抹の不安が頭から離れなかった。
ギシギシ、ギシギシと今までに聞いたことの無い古い家の叫び声の様な気がした。

店のドアを開け放っておき、いつでも外に逃げられるようにとは思っていたが、
愚妻が気になり様子を見に行くが、まだ棚からの落下物が気になって仕事場にいた。
外へも直ぐに行けて、何かあれば仕事場にも行ける様にと真ん中の店のケースに暫く掴まっていた。

揺れはまだ続いていた。
信号待ちの車は、左右に大きく揺れていた。
青になっても出発せずに、揺れるがままだった。
時間にして4分前後は揺れ続けていたのだろうか?
後から分かった事だが、三つの震源地が連動して動いたとテレビで報じていたと思う。

宇都宮は震度6強だった。
仕事場もかなりの落下物が散乱していたが、2階の状態が気になり行ってみると
電話機兼fax機が、半分くらい落ちそうな位置だった。
菓子箱が畳の上にこれまたかなりの数が落ちていた。
その他の物もあって、足の置き場を探すような状態。
いつもの癖で、落ちてるものは直ぐに拾おうとするが、
今度は余震がスグに起きて、急いで階下に降りてくる。

本震よりも大きな余震は起こらないと 考えれば判るが、
今経験したばかりの大きな地震に怯えている者にとっては、
そんな冷静さはまだまだ無かった。

この地震後、一週間~十日位は、毎夜余震に備えて服を着たまま寝ていましたねぇ。


    ~~~~~~ あの日から 2年 ~~~~~~



                

政府主催の追悼式が行われ、また新たな涙が頬を流れて行く・・・。





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