先日、山梨側の富士山登山口で、山開きが行われましたね。
また、きょうNHKBSで「日本百名山選、・富士山」が放送されていました。
18歳から23歳まで、静岡県旧・清水市の菓子店で修行をしていた関係で、
清水にいる間位は富士山に登っていようと、毎年登る様に心掛けてた。(数名の方達と・・)
登るのは、例年梅雨明け10日と云われて天候が安定するこの時季だけだった。
それも、現在登り方でやり玉に挙がっている「弾丸登山」と云われて
ヒンシュクを買っている 〝夜に登り始め朝方にご来光を仰ぎ、下山するというモノ〝。
毎週水曜日が休みでしたから、火曜日の仕事が終えてから
富士宮市の浅間神社にお参りをしてからバスで5合目まで行きました。
登りながら夜空を仰げば、こんなにも空が近くて、星の数が多かったのかと、感心させられた。
遮るものが無いと、流れ星の多い事、多い事・・・。(息は絶え絶え・・、願い事などしてられません)
所々に、山小屋がありますが、疲れと寒さで小屋の周囲に腰かけていると
ふと気付くと、大きな樽に貴重な水を蓄えてあるのだが、表面が凍っていた
真夏に真冬の景色を見るような、実にビックリした事を覚えている。
頂上でご来光を見られる時と、間に合わなくて8合目辺りで見る時があった。
圧巻は、たった1回だけ目の前が雲海の時があった。
黛じゅんの「雲にのりたい」ではないが、
ふわふわとした雲にダイブしたい様な気持ちにさせられる。
★以下、きょうのTVから・・・、
静岡県側から見ると、秀麗な山裾の途中 中ほどに
チッチャナ小山がありますがそれが宝永山です。
宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した火口です。
富士山が最後に噴火したのは、この火口です。
富士山5合目からハイキングコースがあって
手ごろな散歩道になっている(30分~1時間)
噴火から300年が経過しても今なお
こんな大きな噴火口があったのには
驚きました。
火口まで降りられるとTVでは言っていましたが
時間を十分確保していないと気持ちが萎えてしまいます
その火口の上が登山道になってるとは
知りませんでした
時折大きな「影富士」を見ることが出来ます
私も稜線から大きく手を振ったら「影」も振っていました
ご来光です!!自然と両の手を合わせています・・・
「バンザイ、バンザイと叫ぶ人がこの頃では多い様ですが
私たちの頃には両手で拝んでる人が多かったですネ
頂上真ん中の噴火口です
頂上の周囲を1周することが出来ます(多分今でも・・)
ほとんど睡眠をとらずに頂上まで登ったから
眠りながら歩いていた様な記憶があります
日本最高峰富士山の剣が峰に建っています
我々が行ったころには無かった様に思います
下山は、高山病で小屋に泊まった人を迎えに行ったとき以外は「須走口」が多かった。
急傾斜の砂混じりの下山道を、大きな一歩を歩くと2m位は進む。
富士登山の駅伝が毎年フジTV系列で放送されていた様に思いますが
タスキを渡して数十mも転がっていく人がいても少しもオーバーには見えません。
それ位楽しい様な、大きな石が潜っていたらと思うとチョッと恐い様な「砂走り」です。
宇都宮に来てからも一度登った事があって、清水時代も含めると計5回ほど登った様に記憶している。
今夜は、TVで久し振りに富士登山をした夜でした・・・・。
また、きょうNHKBSで「日本百名山選、・富士山」が放送されていました。
18歳から23歳まで、静岡県旧・清水市の菓子店で修行をしていた関係で、
清水にいる間位は富士山に登っていようと、毎年登る様に心掛けてた。(数名の方達と・・)
登るのは、例年梅雨明け10日と云われて天候が安定するこの時季だけだった。
それも、現在登り方でやり玉に挙がっている「弾丸登山」と云われて
ヒンシュクを買っている 〝夜に登り始め朝方にご来光を仰ぎ、下山するというモノ〝。
毎週水曜日が休みでしたから、火曜日の仕事が終えてから
富士宮市の浅間神社にお参りをしてからバスで5合目まで行きました。
登りながら夜空を仰げば、こんなにも空が近くて、星の数が多かったのかと、感心させられた。
遮るものが無いと、流れ星の多い事、多い事・・・。(息は絶え絶え・・、願い事などしてられません)
所々に、山小屋がありますが、疲れと寒さで小屋の周囲に腰かけていると
ふと気付くと、大きな樽に貴重な水を蓄えてあるのだが、表面が凍っていた
真夏に真冬の景色を見るような、実にビックリした事を覚えている。
頂上でご来光を見られる時と、間に合わなくて8合目辺りで見る時があった。
圧巻は、たった1回だけ目の前が雲海の時があった。
黛じゅんの「雲にのりたい」ではないが、
ふわふわとした雲にダイブしたい様な気持ちにさせられる。
★以下、きょうのTVから・・・、
静岡県側から見ると、秀麗な山裾の途中 中ほどに
チッチャナ小山がありますがそれが宝永山です。
宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した火口です。
富士山が最後に噴火したのは、この火口です。
富士山5合目からハイキングコースがあって
手ごろな散歩道になっている(30分~1時間)
噴火から300年が経過しても今なお
こんな大きな噴火口があったのには
驚きました。
火口まで降りられるとTVでは言っていましたが
時間を十分確保していないと気持ちが萎えてしまいます
その火口の上が登山道になってるとは
知りませんでした
時折大きな「影富士」を見ることが出来ます
私も稜線から大きく手を振ったら「影」も振っていました
ご来光です!!自然と両の手を合わせています・・・
「バンザイ、バンザイと叫ぶ人がこの頃では多い様ですが
私たちの頃には両手で拝んでる人が多かったですネ
頂上真ん中の噴火口です
頂上の周囲を1周することが出来ます(多分今でも・・)
ほとんど睡眠をとらずに頂上まで登ったから
眠りながら歩いていた様な記憶があります
日本最高峰富士山の剣が峰に建っています
我々が行ったころには無かった様に思います
下山は、高山病で小屋に泊まった人を迎えに行ったとき以外は「須走口」が多かった。
急傾斜の砂混じりの下山道を、大きな一歩を歩くと2m位は進む。
富士登山の駅伝が毎年フジTV系列で放送されていた様に思いますが
タスキを渡して数十mも転がっていく人がいても少しもオーバーには見えません。
それ位楽しい様な、大きな石が潜っていたらと思うとチョッと恐い様な「砂走り」です。
宇都宮に来てからも一度登った事があって、清水時代も含めると計5回ほど登った様に記憶している。
今夜は、TVで久し振りに富士登山をした夜でした・・・・。