こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

【明日は月並御影供】

2024年06月20日 | 仏教
・明日6月21日(金)

・9:30~11:00

・お寺の本堂にて

・6月の御影供が行われます

・お大師さまのご縁日

・報恩感謝の気持ちを持って

・読経とご詠歌で深甚の利益に浴します

・あいにくの雨の予報ではありますが

・ご都合と体調の良い方は是非にお参りくださいませ






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【奉仕作業寸景】

2024年06月19日 | 仏教



































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【心を鍛えることと体を鍛えること】

2024年06月18日 | 仏教
・どうにも体を鍛えることと、瞑想など心を鍛えることは姿勢の面で似ている気がします

・体を鍛えた極致には、ミスターオリンピアと言うボディビル最高の名誉があり

・心を鍛えた極致には悟りがあります

・しかしながらどちらもその道中はイバラの道

・一朝一夕でそれらのゴールに辿り着くのは難しく、才能や環境もその成果に多大に作用するでしょう

・しかし、それらのゴールを目指していくなかで、その道を歩むことそのものに大きなメリットがあることも事実です

・事実、多くの筋トレを趣味にしている人がボディビルチャンピオンを目指しているわけではなく

・ダイエットだったり、健康的な体作りだったり、本来の目的に副次的についてくる効果の方に期待していることが多いです

・瞑想も同じようなもので

・多くの人にとっては、リラックスや集中力の向上など

・悟りを目指す上で副次的に現れる効果の方が魅力的でしょう

・しかしながら本来の目的は悟りへの直道にほかならず

・体を鍛えることと同様、頂きは高く、裾野は広い、非常に懐の深い分野なのだと思い知らされます

・そしてこの事実はことさら、檀信徒さま、あるいはもっと多くの皆様と成仏の直道を歩む自信にも繋がります

・体を鍛えないスポーツインストラクターに師事できないように

・悟りを渇望する修行者で在り続ける必要性を痛感します






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【明日は奉仕作業】

2024年06月17日 | 仏教
・明日6月18日(火)の午前中は

・お寺の奉仕作業です

・お寺の境内の美化、清掃活動

・しかし天気はあいにくの雨

・お昼にかけて晴れてくるようですが、山寺の地盤は雨に弱く

・滑りやすく、ぬかるみやすいです

・どうぞご参加の方は足元に気を付けて

・無理のない範囲でお願いいたします

・お寺のご本尊様である観音様のご縁日

・お寺への参加不参加に関わらず

・報恩感謝の気持ちを大切にする

・そんな1日にいたしましょう




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【如実知自心】

2024年06月16日 | 仏教
・甚だ勉強不足ではありますが、

・現状、このお寺と言うものを適切に表現するには

・「修行の場」

・と呼ぶのが一番腑に落ちるところであります

・あくまで今の副住職の現在位置から言えるところでしかないのが表現するに心苦しいところですが

・すべてのお寺の活動はそこに集約することができるのではないかと仮説できます

・無論、僧侶をはじめとして檀信徒さまを含めた全ての方にとって、「修行の場」であると言うことです

・「先祖供養」は死と向き合うと言った面では四諦との直面

・感謝を祈る面では生きとし生ける命への慈悲の修養

・ご祈願も誰かの利益を祈る慈悲の修行

・写経や写仏は集中力の練磨

・瞑想や座禅の集いは直接自心を受け入れるまさに修行の本流

・お寺に於けるありとあらゆる活動を

・一切衆生をことごとく悟りの直道へ招き入れる方便と見れば

・こんなに素晴らしいことはありません

・悟る悟らないに関わらず修行の利益はそもそも甚大

・僧侶とそうじゃない人との分け隔てなくその道を歩むにこしたことはありません

・かの世界的仏教の象徴、ダライ・ラマは宗教全般に対して徹底的に懐疑主義であったテレビ記者に対して、ありのままの答えに徹頭徹尾準じました

・どんな質問に対しても、「ただ、その事実を受け入れるだけですよ」と

・心に支配されず、かと言って心を無理に歪ませず、ただありのまま受け入れる

・受容する

・お寺のお経本の1ページ目に書いてある「如実知自心」は

・実の如く自分の心を知ること

・理屈としては難しいことではありません

・ただただありのままにいること

・お寺のすべての活動はそこに集約していくと思います




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