こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

現在の植樹本数は、約7~80本くらいかと。夏の新緑と秋の紅葉が待ち遠しいです。

2014年03月18日 | 仏教

定例のご縁日奉仕作業。
先般植樹しきれなかった数本をしっかり植え込んで、
青い新芽の発芽を待ちます。
現在の植樹の本数は、およそ70本前後かと。

 
小休憩は、軽トラックの荷台の上をテーブルに、
お雑煮とたくさんの野菜の炒め物を食しました。

作業中に焼いた焼き芋は、とてもあんばいよく焼けていましたよ。

蛇足ですが、
こんなお芋がありました。なんだかとても縁起が良さそうで、・・・。

・・・食べられそうにありません。(笑

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西の果ての山寺も、春遠からじ

2014年03月16日 | 仏教

    

鐘楼堂の奥に、白木蓮の花が見頃です。

冬の間、彩りに乏しかった境内の植物も、
多様な色合いを演出してくれる季節になってきました。

 日中の日差しは、うとうと眠気を誘うほどに温かく。

 夕日は、真西に近づいて。

・・・今月21日(春分の日)10時半から、春季彼岸会法要 厳修。

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涅槃図には多くの物語が描かれてあります。

2014年03月15日 | 仏教

本日は、月遅れの常楽会(じょうらくえ)<涅槃会>です。

先月の15日から今月のお彼岸明けまで、本堂右手に涅槃図をおまつりしてあります。

どうぞ、お参り下さい。

ここに紹介する図柄には、ひどく悲しみにむせぶ老女が描かれています。
涅槃に入られたお釈迦さまの足元にすがり、

その御足をさすりつつ涙を流しています。貧しく供養する物が無い老女は、

長年の行脚を支えられた足をいたわり、お釈迦さまを一心に思って涙するのです。

お釈迦さまの足に落ちた老女の涙の跡は消えることなく残ったといいます。

それを見た尊者たちは感じ入り、皆心より礼拝をしたといいます。

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隠れ家も造ってほしいなあ~(笑

2014年03月13日 | 仏教

 参道わきの森の中に、孟宗竹と間伐材を利用した
あずまやが建ちました。もみじの里遊歩道の休憩場所です。
環境整備作業の合間に、総代さんが製作。大工さんでもないのに、
うまいものです。次は、かやぶきの屋根でつくる予定だそうです。
夢はドンドン膨らみます。檀徒さんたちがみんなで楽しみながら手がける
もみじの里づくり。楽しそうですね。

 

 

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真言八祖

2014年03月10日 | 仏教

 

お釈迦から始まる仏教の結実は、真言密教となってインドの地に花開きました。その後、中国のお坊さん方に受け継がれ、そして九世紀の初め入唐した空海(弘法大師)が、日本に持ち帰りました。真言宗のお寺では、空海までの三国(インド・中国・日本)八代に及ぶ祖師(継承者)を、八祖大師または「伝持の八祖」として大切にお祀りしています。
 
龍猛菩薩  ■ 第一祖 龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
 南インドのバラモンの家に生まれ、大乗仏教の大学者で日本仏教諸宗の祖と称される龍樹(りゅうじゅ)「ナーガールジュナ」と同一人物であるともされます。「南天の鉄塔」において、大日如来の直弟子金剛薩?から密教経典を授かって、真言密教の奥義を感得したと伝えられています。(三鈷杵(さんこしょ)を右手に持っている)。
 
   
龍智菩薩  ■ 第二祖 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
 南インドを中心に活躍されたお坊さん。とても長寿な人で、唐からインドに来た不空三蔵にも教えを伝え、「西遊記」で有名な唐の高僧の玄奘三蔵にも中観論などを教え伝えたといわれています。また、善無畏三蔵の師とされるナーランダー寺の達磨掬多(だるまきくた)[Dharma-gupta]がこの人であるとも伝えられます。 (龍猛から授かった密教の経文を右手に持っている)。
 
   
金剛智三蔵  ■ 第三祖 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
 中インド出身の王子。十歳で出家し仏教を学び、三十一歳の頃南インドで龍智菩薩から七年間密教を学びました。その後、南インドやスリランカの各地をめぐり修行。唐にも渡って、玄宗皇帝に国師と仰がれ真言密教の儀式を伝えています。多くの密教経典の翻訳にもつとめ、金剛智訳とされる経典がたくさん現存しています。帰国はかなわずに没しました。(数珠を右手に持っている)。
 
   
不空三蔵  ■ 第四祖 不空三蔵(ふくうさんぞう)
 西域生まれ。貿易商の叔父に連れられて唐へ行き、長安で金剛智に入門し、25年間仕えました。「金剛頂経」を漢語に翻訳し、皇帝を始め多くの人に灌頂(かんじょう)を授けました。とくに玄宗をはじめ三代の皇帝に潅頂を授けたことから、三代の国師と仰がれます。七十歳で入滅し皇帝より大広智(だいこうち)の称号を賜りました。(外縛印(げばくいん)を結んでいる)。
 
   
善無畏三蔵  ■ 第五祖 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)
 東インドの王子として生まれ王位を継承。しかし内紛があり出家しました。ナーランダ寺に入り真言密教の奥義を授けられます。その後諸国で教えを広め、80歳の時に(開元四年(716))唐の長安に入り、玄宗皇帝の深い信任をうけ真言密教の根本経典である「大日経」を翻訳しました。帰国を望みましたが許されず、中国の地で没しました。(右手の人さし指を立てている) 。
 
   
一行阿闍梨 
■ 第六祖 一行阿闍梨(いちぎょうあじゃり)
 中国生まれで中国人初の密教の相承者。数学や天文学にも詳しかったとか。唐代屈指の学問僧で、金剛智三蔵から「金剛頂経」系の密教を受け、善無畏三蔵の「大日経」の翻訳にも加わり、その注釈(大日経疏)をしました。四十五歳の若さでなくなりますが、その後の真言密教に与えた影響は多大でした。現代中国においても「大衍暦」(だいえんれき)という暦を作製した科学者として不朽の名声を得ています。(法衣のなかで印を結んでいる)。
 
   
恵果阿闍梨  ■ 第七祖 恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
 お大師さまの師にあたる中国人のお坊さんです。不空三蔵から「金剛頂経」、善無畏三蔵の弟子の玄超(げんちょう)から「大日経」を受け継ぎました。長安の青龍寺(しょうりゅうじ)を賜り三十歳で阿闍梨となりなす。貞元(じょうげん)二十一年(805)に病に倒れ余命のすくないことを自覚。、日本の空海に法を伝えることを決意して、灌頂を授けました。空海はこれを日本に伝えて真言宗を開くことになります。(椅子に座り、横に童子を待らせている)。
 
   
弘法大師  ■ 第八祖 弘法大師 (こうぼうだいし)
 空海は、仏教の神髄を求めて唐に渡りました。そこで恵果阿闍梨に認められ、密教の奥義を全て授けられて帰国します。多くの人たちに「結縁灌頂」(けちえんかんじょう)を授けるなど教化に努め、東寺の経営や高野山の開山など真言宗の確立に尽力しました。また、庶民のための学校の「綜芸種智院」(しゅげいしゅちいん)の創設や、灌漑用池の「満濃池」の築造など、多方面に渡り足跡を残しています。後に、その徳をたたえられて弘法大師の号を賜りました。(五鈷杵(ごこしょ)を右手に持ち、左手には念珠を持っている)。
 

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