お彼岸(おひがん)
自己中心的な思いや行動が原因で
引き起こしてしまう悩みや苦しみ。
そんな自分の状態から(この岸)、
苦悩を克服した安定した自分(かの岸)
をめざして行きましょう、・・・
ってのが、お彼岸という心の修養期間
だと思います。
自分という存在が、計り知れない
つながりによって初めて生かされ、
そして輝くことが出来るという真実を、
先祖供養という形で、ご先祖様に心を
向けることで、体感する。お彼岸の
期間には、そんな意味もあると思います。
私は、季節の大きな変わり目に、この
ような修養期間をことさらに設けてある
ことに、昔の日本人の感性のすばらし
さをつくずく思います。
今日は、地元の小学校2校の卒業式。
6年間のまなび舎に別れを告げ、
新しいステージへとステップアップする
ための厳粛な儀式。春の彼岸に、
子ども達はさまざまな思いを胸に、
大きな一歩を踏み出すわけです。
中学高校、または大学を卒業し、
さまざまな職業に就職する若者達。
彼らにとっては、初めて社会へと参入
する大きな大きな節目。さまざまな保護
の中で生きることの出来た学校生活と
別れを告げて、きわめてシビアな社会生活
へとステップアップする節目です。
現実的には、これからが、本当の学びの
日々かも知れません。
寒く厳しい冬を堪え忍んできた植物の
種子たちは、気温の上昇とともに発芽の
支度を整え、堅く結んだ花のつぼみは、
お彼岸の季節を境に、徐々にふっくらと
膨らみ始める。
こんな命の営みが大きく様変わりする時節に、
私たちの心のあり方を見つめ直し、
よりよい方向へと導いていこうとする行事。
それがお彼岸にほかなりません。
その具体的な取り組み方として、
ひとつの基本となるのが、「六波羅蜜」
(ろくはらみつ)といわれる6つの徳目
です。心の開放に向けて、少しずつ
少しずつ、一歩一歩地道に、しかしながら、
その歩は確実に前進して、目的地までの距離
を確実に縮めて行く歩み。こんなふうに、
めざす目標に近づいていくことそのものの行為を、
「方便」(ほうべん)といいます。
方便という言葉は、仏教用語なんですね。
普通は、「嘘も方便」みたいな便宜的な
手段の意味、ではなかったんですね。
6つの徳目とは、
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若。
これを日常の生活の中で実践できれば、
安定した心の開放が可能になるという
わけである。
・・・春彼岸 菩提の種をまく日かな
ここにいう菩提の種って、この6つの種
なんですね。
余談ですが、六波羅蜜は、六文銭と関係
しています。亡くなられた方の持参する頭陀袋
の中に入れる六文銭です。三途の川を渡るための
渡し船の乗船チケット料が六文ほど必要なんですが、
このことの裏側には、この世でどのくらい
六波羅蜜の修行に勤めてきたかどうかに深く
関わってくるそうです。要するに、
生前中に、努めて信仰的生活(六波羅蜜行)
を送った人には、この三途の川を難なく
渡るための保証がある、というわけ。
みなさん、生前中に稼いだお金を、
6万円持参しようが、600万円持参しようが、
はたまた6億円持参したとしても、
三途の川のチケットは頂けそうもありません。
・・・・・
日々の生活の中で、心の修養に勤めることこそ、
かの岸(あの世)へ渡るため保証になるようです。
*注:一般には、
六文銭とは、三途の川の渡し賃
(死者に硬貨を六枚持たせた風習)
のことで、現在は、紙で作られた一文銭
を六枚準備して納棺する地域もある。
あるいは、
生きとし生けるもの(六道の衆生)
がすべからく幸せであるようにとの願いを
託したもの。
六道=地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天
自己中心的な思いや行動が原因で
引き起こしてしまう悩みや苦しみ。
そんな自分の状態から(この岸)、
苦悩を克服した安定した自分(かの岸)
をめざして行きましょう、・・・
ってのが、お彼岸という心の修養期間
だと思います。
自分という存在が、計り知れない
つながりによって初めて生かされ、
そして輝くことが出来るという真実を、
先祖供養という形で、ご先祖様に心を
向けることで、体感する。お彼岸の
期間には、そんな意味もあると思います。
私は、季節の大きな変わり目に、この
ような修養期間をことさらに設けてある
ことに、昔の日本人の感性のすばらし
さをつくずく思います。
今日は、地元の小学校2校の卒業式。
6年間のまなび舎に別れを告げ、
新しいステージへとステップアップする
ための厳粛な儀式。春の彼岸に、
子ども達はさまざまな思いを胸に、
大きな一歩を踏み出すわけです。
中学高校、または大学を卒業し、
さまざまな職業に就職する若者達。
彼らにとっては、初めて社会へと参入
する大きな大きな節目。さまざまな保護
の中で生きることの出来た学校生活と
別れを告げて、きわめてシビアな社会生活
へとステップアップする節目です。
現実的には、これからが、本当の学びの
日々かも知れません。
寒く厳しい冬を堪え忍んできた植物の
種子たちは、気温の上昇とともに発芽の
支度を整え、堅く結んだ花のつぼみは、
お彼岸の季節を境に、徐々にふっくらと
膨らみ始める。
こんな命の営みが大きく様変わりする時節に、
私たちの心のあり方を見つめ直し、
よりよい方向へと導いていこうとする行事。
それがお彼岸にほかなりません。
その具体的な取り組み方として、
ひとつの基本となるのが、「六波羅蜜」
(ろくはらみつ)といわれる6つの徳目
です。心の開放に向けて、少しずつ
少しずつ、一歩一歩地道に、しかしながら、
その歩は確実に前進して、目的地までの距離
を確実に縮めて行く歩み。こんなふうに、
めざす目標に近づいていくことそのものの行為を、
「方便」(ほうべん)といいます。
方便という言葉は、仏教用語なんですね。
普通は、「嘘も方便」みたいな便宜的な
手段の意味、ではなかったんですね。
6つの徳目とは、
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若。
これを日常の生活の中で実践できれば、
安定した心の開放が可能になるという
わけである。
・・・春彼岸 菩提の種をまく日かな
ここにいう菩提の種って、この6つの種
なんですね。
余談ですが、六波羅蜜は、六文銭と関係
しています。亡くなられた方の持参する頭陀袋
の中に入れる六文銭です。三途の川を渡るための
渡し船の乗船チケット料が六文ほど必要なんですが、
このことの裏側には、この世でどのくらい
六波羅蜜の修行に勤めてきたかどうかに深く
関わってくるそうです。要するに、
生前中に、努めて信仰的生活(六波羅蜜行)
を送った人には、この三途の川を難なく
渡るための保証がある、というわけ。
みなさん、生前中に稼いだお金を、
6万円持参しようが、600万円持参しようが、
はたまた6億円持参したとしても、
三途の川のチケットは頂けそうもありません。
・・・・・
日々の生活の中で、心の修養に勤めることこそ、
かの岸(あの世)へ渡るため保証になるようです。
*注:一般には、
六文銭とは、三途の川の渡し賃
(死者に硬貨を六枚持たせた風習)
のことで、現在は、紙で作られた一文銭
を六枚準備して納棺する地域もある。
あるいは、
生きとし生けるもの(六道の衆生)
がすべからく幸せであるようにとの願いを
託したもの。
六道=地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天
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