社会と仏教教団
お釈迦様は、人間関係の煩わしさ、降り注ぐ災い、憎悪、殺し合い、領地の奪い合い、諸行の無常、やがて死すべき人間のはかなさ、など、人生のあらゆる苦悩を敏感に感じ取り、そして深く悩まれたんですね。人一倍敏感な精神の持ち主だったかもしれません。そして、この深き暗黒から抜け出すため、今ある生活を捨て去り(出家)、さまざまな葛藤が始まるんです。これが、仏教のスタート。
出家者として、さまざまな先達の元で修行を重ね、果たして菩提樹の根元で瞑想を続けたのち、ひとつの安らかな境地へと到達することに成功するんです。これが、いわゆる仏教と称されるお悟りですね。悟った人のことを「仏陀」「覚者」「目覚めた人」などと呼んだりもします。
お釈迦様は、当初の目的であった「人生の苦悩からの脱出」に見事成功しました。ですから、お釈迦様にとっては、これですべて完結だったはずです。精進苦労して獲得した境地の中で、ひとり安らかに生きていかれるわけですから。しかしお釈迦様はそうしなかった。自分の悟った境地を少しでも多くの人々に伝えようとされたんです。そして、悟りに至るための論理と技術を伝えるための組織とシステムを構築されました。それが、初期の仏教教団です。たくさんのお弟子さんたちと生活を共にしながら、瞑想を中心とした生活と、仏法の伝授に生涯を費やしていかれます。
お釈迦様が覚者になられたことは、あっという間に広く伝播し、多くの弟子たちが押し寄せ、釈迦の行脚する先々では多くの民衆が釈迦の説法を聴聞に訪れます。このような状況の中、大きな教団をスムースに運営していくことは、最も重要な事だったはずです。適切な環境の中で瞑想にふけることができ、そして十二分にお釈迦様の教えを学ぶことのできる環境。それには、必要最低限の衣食住の確保は必須です。
お釈迦様は、托鉢やお布施によって衣食住をまかなうシステムを発明しました。民衆は、修行者に対する清らかなお布施によって、現世や後生の幸せが約束される。かつまた、施しを受けながら教団を運営しているお釈迦様や修行者たちは、悩める民衆の心を救うべく、説法の座をもうける。修行者からのありがたい導きによって救われる民は、篤く三宝に帰依をする。この両者の関係性が円滑に機能したモノが、実は、仏教教団と呼ばれるモノでありました。