こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

しばらく預かっているだけのこと

2010年07月21日 | 仏教
こんなお話があります。

お釈迦さまのお弟子であるアーナンダは、
ある時、お妃様から500着もの衣を供養されました。
王様はこの事を聞き及んで、
アーナンダがむさぼりの心をもって受け取ったのではないだろうか?
と疑いの気持ちを持ちました。
王:「アーナンダさん、あなたは500着の衣を一度に受けてどうするんですか?」
アーナンダ:「王様、たくさんの僧たちはボロボロの衣を着ています。だから彼らにこの衣をわけてあげます。」
王:「では、その破れた衣はどうしますか?」
アーナンダ:「敷布をつくります。」
王:「敷布が古くなったら?」
アーナンダ:「枕カバーに。」
王:「枕カバーが古くなれば?」
アーナンダ:「床の敷物にします。」
王:「床の敷物が古くなれば?」
アーナンダ:「足ふきを作ります。」
王:「古くなった足ふきは?」
アーナンダ:「雑巾にします。」
王:「古い雑巾は?」
アーナンダ:「王様、私たちはその雑巾を細々に裂いて、泥に混ぜ込みます。そうして家を造るときの土壁の材料にします。」

という王様とのやりとりです。

ものは大切に使う、そして生かして使う。
なぜかというと、ものには何一つ「わがもの」というものはない。
すべては因縁によってたまたま自分のところにきたものだから、
しばらくそれを預かっているだけのことだと。
そいういうことだから、
ものは大切にして粗末にするようなことがあってはならないと。

そんなメッセージです。
すごいですね。ここまで徹底的に生かし切れれば、
ものの価値も何倍にもなって有り難いことだと感じられそうです。
でも、思い起こせば、私のおさない頃の大人社会は、
みんなものを大切に生かし切れていたように思います。
土壁にまではさすがにならなかったかも知れませんが、
修行僧のそれに近いものがあったと思います。

そろそろ使い捨て社会の転換期のようです。
まだまだ成長社会の幻覚に惑わされている私たちですが、
ぼちぼち切り替え時でしょっ、ね。
コメント (1)
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