カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

石川九楊 『万葉仮名でよむ「万葉集」』

2013-11-13 18:18:30 | 本日の抜粋

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仮名が必要とされた理由は、前述のように、大陸とは異なる国家としての独立への気概にあった。漢詩からはみ出る伸びやかで微妙なニュアンスまでも、どうしても盛り込んでいきたいと考えたからである。漢字で「春楊」と書くのと同じく漢字で「波流楊那宜」と書くのでは何が違うのか。意味は同じでも音が違う。歌とは何か。音であり、声である。言葉と声、声と音のリアリティ、その音が含み込んだ微妙な色合いと表現、それらを欲したのである。「春楊」という文字の背後にかすんでしまう音では足りず、また「はるやなぎ」と訓(よ)んだところで文字の背後から聞こえる「シュンヤン」の音が耳ざわりである。そうではなく、やはり「はるやなぎ」という音、そのリアリティ、その存在感を表に出したい。意味は「春楊」で確かに伝わるが、この音も含めたリアリティを、表記に求めた。音、音韻、音韻律。そして五七五七七の音数律。その音に込められたリアリティを獲得したい。そこで楷書・行書体の借字からこれをさらに崩し、崩すことによって漢字の意味を背後に追いやり、ついには脱色して、そして一字一音式の表記法に至るという営みが、『万葉集』を舞台に演じられた。

 石川九楊 『万葉仮名でよむ『万葉集』』より 岩波書店

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柄にもないものを読んだ。
別に自分で選らんだわけではない。
友人に言葉の世界に関心の強い奴がいて、久々の名著だと強い口調で薦められたのだ。
勿論、酒の席においてだ。
彼は、徳さんの古典文化音痴を知らない。
和歌にも短歌にも俳句にも関心がない。
ましてや、万葉集なんぞに、、、、。

そんな徳さんが、読んでて感心したのが、抜粋部。
(結構、こんな時、徳さんは律義なのだ。判んなくても読む)
それを、証明すべく、実作のあれこれを微細に検討している。
徳さんは、ああ、と、ため息つくばかり。



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