これから書くことは徳さんの間違いであって欲しい。
徳さんには、これを語る公的な資格も、必要な知識もない。
しかし、そんな事は判っちゃいるけど、一言ぐらい言わせろよな!ってことがあるではないか。
ダハ(ハは小文字、2)っちんの主訴は右肩甲骨周辺の深いところの痛みだ。
それと、頭と首の境目の痛み。
様々な更年期症状もあるという。
これらはカイロプラクティックの施療対象なので、ダハ(ハは小文字、2)っちんに色々と説明をしていた。その途中、
「ちょっと待って、先生」
ダハ(ハは小文字、2)っちんは、ハンドバックから1枚の紙を取り出した。
「これを見て下さい。実は私、2年前から頭痛に襲われ、病院でMRIを撮って貰ったんです。左側頭部にかげりがあるといって生検を受け、これはその時のお医者さんの所見です」
ダハ(ハは小文字、2)っちんの本当のわだかまりはこれのようだ、、、。
“黄色の境界不明瞭な病変がある。骨皮膜が消失している。骨髄腔に多量のマクロファージとリンパ球の集結が見られる。過去の外傷、骨髄炎が疑われる”
この精細な検査の上の結論は、怖いものではなさそうなので、様子を見ましょう。なのだった。
この場合、お医者さんは気楽でいいな、という感想を持ってはいけないだろうか?
ダハ(ハは小文字、2)っちんが受けた生検というのは、頭蓋骨を3センチ四方取り出すというものだったのだ。
もうこれは立派な手術の領域である。
現在、ダハ(ハは小文字、2)っちんの取り去られた頭蓋骨の跡にはプラスティックが埋められている。
必要最低限の検査を見極めるのが医師の技量と思うのだが、最近の医療現場は、可能な検査を網羅する傾向にある様に思えてならない。
その中には、患者さんに肉体的、精神的負担を不必要に掛けている場合も多いのではないか。
その事をもっと自覚して欲しい。
保険点数の問題もある。
保険点数の高い検査は不必要な検査を招く。
保険点数の低い問診、インフォームドコンセンサスは建前のお題目を唱えるだけになっている現実があるのではないか?
徳さんには、これを語る公的な資格も、必要な知識もない。
しかし、そんな事は判っちゃいるけど、一言ぐらい言わせろよな!ってことがあるではないか。
ダハ(ハは小文字、2)っちんの主訴は右肩甲骨周辺の深いところの痛みだ。
それと、頭と首の境目の痛み。
様々な更年期症状もあるという。
これらはカイロプラクティックの施療対象なので、ダハ(ハは小文字、2)っちんに色々と説明をしていた。その途中、
「ちょっと待って、先生」
ダハ(ハは小文字、2)っちんは、ハンドバックから1枚の紙を取り出した。
「これを見て下さい。実は私、2年前から頭痛に襲われ、病院でMRIを撮って貰ったんです。左側頭部にかげりがあるといって生検を受け、これはその時のお医者さんの所見です」
ダハ(ハは小文字、2)っちんの本当のわだかまりはこれのようだ、、、。
“黄色の境界不明瞭な病変がある。骨皮膜が消失している。骨髄腔に多量のマクロファージとリンパ球の集結が見られる。過去の外傷、骨髄炎が疑われる”
この精細な検査の上の結論は、怖いものではなさそうなので、様子を見ましょう。なのだった。
この場合、お医者さんは気楽でいいな、という感想を持ってはいけないだろうか?
ダハ(ハは小文字、2)っちんが受けた生検というのは、頭蓋骨を3センチ四方取り出すというものだったのだ。
もうこれは立派な手術の領域である。
現在、ダハ(ハは小文字、2)っちんの取り去られた頭蓋骨の跡にはプラスティックが埋められている。
必要最低限の検査を見極めるのが医師の技量と思うのだが、最近の医療現場は、可能な検査を網羅する傾向にある様に思えてならない。
その中には、患者さんに肉体的、精神的負担を不必要に掛けている場合も多いのではないか。
その事をもっと自覚して欲しい。
保険点数の問題もある。
保険点数の高い検査は不必要な検査を招く。
保険点数の低い問診、インフォームドコンセンサスは建前のお題目を唱えるだけになっている現実があるのではないか?
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