カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

池澤夏樹 『マシアス・ギアの失脚』

2011-10-31 14:00:18 | 本日の抜粋

    ***********************

 近年、ミクロネシア人の航海術を非常に高く評価する動きがある。近代的な羅針盤や海図も(もちろん船外機もレーダーもロラン・システムもソニーの衛星定位装置ピクシスも)ないのに、広い太平洋の島から島へと自在に渡った技術はもちろん賞賛されてよい。しかし、この種の賞賛には、自分たち現代人がするようなことを未開の野蛮人のくせにやっていたという、微妙に見下した姿勢がどこかに混じっている。自分たちが持つものこそが正当な文化であるという前提の上に立って、それに似たものが太平洋のこんな僻地にもあったとかんしんしてみせる、そういう驕りが透けて見える。古代から現代まで、人の性質はちっとも変わっていない。誇るべきも恥じるべきも人間そのものの資質でなくてはならないので、現代人の誇りとは所詮長い歴史によって織られ、裁たれ、縫い寄せられた他人の褌にすぎない。

池澤夏樹 『マシアス・ギリの失脚』より 新潮文庫

     ************************

621ページに及ぶ、不可思議な物語である。

どのページを開いてもびっしり活字が詰まっている。
以前なら気にもならず、いや逆に楽しみの密度が濃い気さえして喜んでいたのだが、今回は事情が違った。
そう、老眼が一気に進んだのだ。
数行読み進むうちに、活字が滲み出し、揺らぎだし、ハッと気を引き締め、焦点を合わせ直す。
こんな事をやってると目が疲れを訴えだし、頭の焦点もぼやけだし、やがて深い眠りに落ちる。
だから、今回、読了までにえらい時間が係った。
このままでは、近いうちに老人用の大型活字版の本を図書館で借りるようになるだろう。
トホホ。

さて、肝心の『マシアス・ギアの失脚』
物語のあちこちに寓意がちりばめられている。
18年前に出版された本だが、現代社会をも充分に皮肉ってもいる。

<進んだ資本主義では製造者でも消費者でもなく、間に立つ者がすべてを決める>

<当時の定時制高校の生徒の主体を成すのは官庁の給仕たちだった。中卒で採用されて使い走りをしている彼らは実際には成績の優れた少年たちで、これらの人材をそのまま使い捨てにするのは惜しいというのが、夜学という制度が作られた最初の理由だった>

<この船の積荷は八百八十五箱の中国のお茶だった。貿易史の神はまずイギリス人を紅茶中毒にし、そのつけを中国人の阿片中毒で賄おうとした。これはこの時期以来二百年の先進国と途上国の関係の基本構図ともいうべきものだ>

石油流出事故の描写も生々しくある。

それらの野暮な現実に対応するかのように、土着的、呪術的、幻想的な世界が対置されている。
人を本当に動かしうるのはどちらか、、、。

貧しくも国の精神的支柱となっている、彼の故郷でもある島の上空を飛行機で旋回しながらのマシアス・ギアの自殺は美しくもある。


カイロジジイのHPは
http://www6.ocn.ne.jp/~tokuch/


そして、なんでもブログのランキングというものがあるそうで、以下をクリックするとブログの作者は喜ぶらしい。

にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 戦うオヤジへ
にほんブログ村


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿