カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

世界の片隅で、ロヒンギャ難民

2015-06-13 19:01:13 | 本日のプンプン
別に徳さんは自分のことをヒステリックな人間だとは思っていない。
そりゃ、多少は変だ、とは自分でも思う。
でも、皆だってそんなもんだと思う。
少しばかりいかれた人間の集合体がこの世だと思っている。

仲良くやろうぜ!とも思っている。

でも、連日のごとく冷水をぶっかけられる。
安倍坊からばかりじゃない。
世界のありとあらゆる所から理不尽な冷水が噴射される。

このロヒンギャ問題もその一つ。
あのスー・シーさんもこの問題に関しては腰が引けてる。
圧倒的多数の仏教徒の存在が彼女の政治生命を左右するからだ。

でも、ここはスー・シーさんの本当の意味での踏ん張りどころ。
ここで踏ん張れば、少数民族、少数者への世界のまなざしが一挙に変わるところ。




あ!これ、彼らの遺体じゃないです。
密航して救助され、全員がかくもぐったり休んでいるところの写真です。
ただ、彼らは密航者の中でも幸運な人たちという事です。


本日のおまけ

ロヒンギャって何?
以下、ネットで調べた結果です。

 かつてロヒンギャ族は東インドのベンガル地方(現在のバングラデシュ)に住
んでいたが、15世紀から18世紀にかけてビルマ西海岸に栄えたアラカン王国
に傭兵や商人として移ってきた。イスラム教徒のロヒンギャ族と仏教徒のアラカ
ン族は平和に共存し、王朝はベンガル湾のイスラム諸王国との貿易推進のため、
イスラム教徒の名前を騙ることさえあった。

 19世紀前半にはインドから侵入した英国の植民地政策によって、仏教徒地主
が継承してきた農地がイスラム教徒の労働移民にあてがわれた。このことによっ
て仏教徒対イスラム教徒の対立構造が顕著になる。

 第2次大戦で進軍した日本と英国は、日本側が仏教徒、英国がキリスト教徒や
イスラム教徒と、宗教別に構成された軍を創って戦わせたことから、両者の対立
はもはやぬきさしならぬものとなった。

 ビルマ族やアラカン族など仏教徒が主導権を握った独立後、ロヒンギャ族は窮
地に立たされるが、それでも、1950年代のウー・ヌ政権下では市民権を与え
られて特別行政区を安住の地とするが、62年に軍事クーデターで政権を奪った
ネウィン将軍施政下の82年に制定された国籍法によって国籍が剥奪され、無権
利状態に置かれることとなった。

 さらに、88年の民主化運動や90年の選挙で、ロヒンギャ族がアウンサンス
ーチー氏らの民主化運動を支持したことから、軍事政権による財産没収や強制労
働などの弾圧がいっそう厳しくなり、現在に至っている。

 ロヒンギャ族を含め非仏教徒系の少数民族からも期待の高いアウンサンスーチ
ー氏だが、しかし、政治家として自由を得て初の外遊となったタイや欧州での発
言では、むしろ軍を擁護するニュアンスが色濃く、少数民族側の失望を買った。

 民主化をすすめるにはいまも実権を握りつづける軍の協力が不可欠だと彼女は
考えているだろうし、まして、大多数が仏教徒である国民の多くがバングラデシ
ュからの不法移民とみなすロヒンギャ族の肩をもつことは、国民の自分への支持
を傷つけかねないとの計算もあったことだろう。
 ここに、人権という視点だけでは捉えきれない、宗教・民族問題の複雑さがあ
る。




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