ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

東京オリンピックから50年

2014-10-10 | ほとほと日記
今日は仕事はお休みでした。

以前から「眼医者と歯医者に行く日」と決めていましたので、それぞれ午前と午後に行ってきました。
定期的に(数か月おき…というのも含めて)通う医院が少しづつ増えてきて、六科目になりました。
総合病院とまでは行きませんが、かなりの充実ぶりです。
まあ、55年間も使ってきた中古の心身ですから、定期メンテナンスが必要なのは仕方ないかな…と思っています。


50年前の10月10日は、東京オリンピックの開会式の日でした。
それを記念してNHKで色々な放送をしていましたが、特に午後六時台にBS放送で各競技の実況中継映像を流していて、感慨深く観ました。
「女子バレー」「体操」「柔道」「重量挙げ」「ボクシング」「陸上」…。

まず初めに感じたのが「アナウンサーが絶叫しない」ということ。
東洋の魔女が金メダルをとっても柔道無差別級で神永選手がヘーシンクに押え込みで一本負けしても、現在の感覚では「淡々としている」と言えるほど落ち着いた口調で中継をしています。
ここしばらくのスポーツ中継はアナウンサーも解説者も興奮しすぎる…と感じていましたので、とても印象的でした。

競技水準は、現在から見るとずいぶんとおっとりしています。
女子バレー選手の体型は現在に比べてずんぐりとしているし、体操の技の難度がかなりユルイのは素人目にも分かります。
陸上男子百メートルの優勝タイムは10秒0ですが、まだ百分の一秒表示が出来ない時代だったのです。
ただ、柔道の試合時間は現在の4分に比べて10分と倍以上だし、ボクシングはヘッドギアをしないでまともに殴り合うし、競技環境としてはずいぶん過酷だったことも伝わってきました。

前回の東京オリンピックの開会式の頃、私は幼稚園に通う五歳児で静岡市に住んでいました。
男子マラソンで二位で国立競技場に入ってきた円谷選手が、トラックでイギリスのヒートリー選手に抜かれて銅メダルになった中継は、リアルタイムで覚えています。
こういう「記憶」は後から観たものをリアルタイムと錯覚している可能性もありますが、両親や当時一緒に住んでいた叔母が悔しがっている映像の記憶があるのです。
それと、一位でゴールしたアベベ選手がすぐに屈伸運動する様子を観て「あれじゃ敵わないなア」と大人たちが驚いていた記憶も。


二回目の東京オリンピックの開会式まであと六年を切りました。
色々な声がありますが、私は2020年の東京オリンピックを楽しみにしています。

私は前半生でずいぶんとひねくれた物の見方をしていた期間が長かったのですが、今考えると、それは自分の弱さから来ていたと思います。
そして、ひねくれて生きて良かったことは何もなかった…と痛感しています。

私は今でも弱いし、これから老いて更に弱っていくことでしょう。
せめて、六年後にオリンピック中継を素直に観て、若い日本選手を素直に応援したい…と思っています。
そのとき、両親といっしょに観ることが出来れば…とも願っているのです。